鏡合わせのmystery.





この男にとって、私は簡単に股をひらく女だと判断され、自分にも股を開いたのだから仕事上の関係者にもなってくれるだろう、と。そう思われた事が、とてつもない吐き気が襲ってくると同時に嫌悪感を抱いてしまった。
この男は、私を利用しようとしている。そう察した私の行動は早かったと思う。思うだけで本当は遅かったのかもしれないが、とりあえず断言出来るのはよく覚えていない、だ。
事件の犯人とかが良く使いそうな言葉だが、実際に使ってみるとこの単語の応用力に感服してしまいそうになる。実際に覚えていないのだから仕方ないのだけれど。
多分、めちゃくちゃ文句を言って、ついでに朝食の礼も言って、早々にあの男を追い出した。
玄関に並べられていた靴は乱雑に散らばっており、男の居なくなった部屋に荒い呼吸を繰り返す私が立ちすくんでいるのだから、現場から考えれば実に簡単なことだった。

「……は、」

乾いた笑い声が漏れる。
いつまで経っても私の中で降谷零という男は要注意人物であり、それ以上でも以下でもなく、私自身にデメリットを運んでくる人間だったのだ。
辞めたばかりの職場の事を思い出す。
人間関係は良かった。良かったのだが、殉職する旧友や事件の対応に追われる日々に嫌気がさして、私は辞める事になった。そう、そんな事で仕事を辞めたのだ。所詮、私の正義感なんてそんなもの。私の意志なんてそんなもの。仕事よりも女としての幸せを選んだだけだ。
要するに、私みたいな正義のせの字も無い性格破綻者が働くような職場じゃなかっただけ。
――落ち着こう。勝手に領域へと侵入してきた人間の所為で、思考が定まらなくなってきた。
頭が回らないのは糖分が少ないからだと、冷蔵庫へと向かえば頭を抱えてしまった。
――扉に貼られていた一枚のメモ用紙。いつの間に書いて、いつの間に貼り付けたのだろうか。まさか、自分が追い出されるなんて事まで予想済みだったとは。そこまで思考がキレるのも考え物だと思う。もし追い出されなかったらこの用紙の処理はどうしたのだ、なんて、考えても意味が無いのだろう。
アイツは全てを読み取り、その上で行動するのだから。
『忘れ物があれば、ポアロまで届けてほしい』――わざわざこんなものを残すのだから、確実に何かを置いて行っている。用意周到過ぎるのではないか。
会いたくないのが本音だが、この家にあの男の物が置いてあるのも気持ちが悪く気味が悪い。ついでに盗聴器など仕掛けられていないかの確認も兼ねて、一通り各部屋を探し回ってみようか。


******


カラン。と高い音が鳴って来客を知らせる。来客があった事を喜ぶ女性の従業員と、本当に来ると思っていなかったらしい男性従業員――降谷零が、一瞬双眸を見開いた後に営業スマイルへと戻し、普段よりも高い声で接客業を全うした。

「奥のテーブル席へどうぞ」
「……ありがとうございます」

普段と正反対の対応。ものすごく感じる違和感。吐き気がするほどだ。
案内されたテーブル席の椅子に持ってきた紙袋を置いて、私はソファーへと腰かける。程無くしてコップに入った水とおしぼりが提供された。

「……まさか、本当に来るなんて」
「思ってなかった? なんて嘘は通用しないわよ」

紙袋を見遣りながら言えば、あぁ、と当初の目的を忘れていたかのような反応をされ、私のこめかみが反応する。

「安室さーん。お客さんとお知り合い?」
「いえ、違いますよ。初めての来店だと思ったので、少しご挨拶を」
「確かに! お姉さん初めてですよね? 最近は安室さん目当ての女子高生が多かったからなぁ」
「えっと、安室、さん……?」
「はい。安室透といいます。ここでアルバイトをさせてもらいながら、このビルの上に事務所を構えている毛利先生に弟子入りしている探偵です」

どうぞ、と渡された名刺には、安室透、と記載されている。名刺を見て、男の顔を見て、あぁなるほど、と納得。

「よろしくお願いします。とりあえず、注文しても?」
「あー! そうでした! ごめんなさい!」

若い従業員の女性は本当に忘れていたようだ。少しおっちょこちょいなのかもしれないし、演技なのかもしれないし、むしろ本当に天然なのかもしれないが、今は彼女のような場を和ませる人間が居てくれた方が助かる。
偽名で働いている旧友に問い詰めたくて問い詰めたくて、今の私にはその感情しか湧き出てこないのだから。

「アイスのカフェオレを一つ」
「はい。かしこまりました。梓さん、アイスのカフェオレ1つ」
「はーい」

ごく自然に女性の名前を私に教えてくるところは抜け目ないようだ。
この男がどうして私をここに呼んだのか、偽名の名刺を渡してきたのか、私の家にわざと忘れ物をして届けさせたのか。
さて、飲み物が来る少しの間だけ思案する事にしようか。


(2018/10/17)