▼ #01
自分が劣悪な環境から救われたのだと気付いたのは、昼間に見ていた情報バラエティ番組を見ていた時だった。
違法風俗店一斉検挙。――そのニュースの中に、私が在籍していた店名があり、関連のグループ店も警察の介入で経営陣が風営法違法の疑いで逮捕されたという内容に、数日の間に寝慣れたソファベッドから起き上がり、食い入るようにテレビを見てしまう。
アナウンサーやゲストのコメンテイターなどの会話を聞き逃さないようにと見ていれば、ガチャリ、とリビングの扉が開いた。
「あ、……お、おはようございます、晋助さん。起こしてしまいましたか?」
「いや、今日は同伴だ。気にするな」
ラフなTシャツとジャージのズボンという、普段の彼を見ている人間からすれば想像できないであろう服装で現れた晋助さんは、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、飲みながらニュースを見ている。
折角の情報を聞き逃さないようにと、薄くて大きいテレビへと意識を戻した。
「良かったな」
「……はい、本当に」
ニュースの内容は、昨日深夜、営業中の店に私服警官が客を装って来店し、状況を録音。そして検挙に至るまでの経緯を、一般人にも理解できるように、番組のスタッフが制作した表を使って事細かに説明してくれていた。
その中で、違法風俗店で勤務していた女性達に非は無く、事情聴取が済み次第、警察署から解放されていっているようだ。
私が晋助さんに出会わなければ、こんな数日の内に事態が良い方に動くなんて無かったかもしれない。私が晋助さんにぶつからなければ。晋助さんが私の様子に疑問を持たなければ。私も含め、まだあの店で働かされていたのかもしれない。
「晋助さんは、命の恩人です。私を、被害者の女性達を救って下さって、本当にありがとうございます」
改めて、立ったままの晋助さんに頭を下げる。気にすんな、と素っ気無く言われてしまったが、私個人としては気にしないなんて難しい。
それは出来ないと首を振れば、短く、喉を鳴らして笑われてしまう。
あの日、タクシーで到着したのは、この部屋のあるマンションだった。慣れた様子でオートロックの鍵を開け、エレベーターホールへ歩き出す彼の後をついて行くことしか出来ず、やっぱりこの人は私を買うつもりなんだと思っていた矢先。中層階にある玄関の鍵を開け、中に案内されたので覚悟を決めていたのだが、私に渡されたのは冷えた飲み物で。
幼少期に飲み過ぎてお腹を壊してしまった思い出が蘇り、私は渡されたヤクルトを握りしめたまま、また大泣きしてしまったのだ。
私が泣き止むまでただ静かに煙草を嗜んでいた晋助さんが自分の名を名乗った事で、私は彼を信用し、部屋に入るまでの決意ではなく全て話すことを決意した。
義父との確執、実母からの暴力、家出をしてから勤務し始めた店の実態。嗚咽が混じりながら、歌舞伎町で晋助さんに出会うまでの事を全て話した。話し終わるまで黙ってくれていた晋助さんは、事の顛末を聞くなり私の肩に手を置いて、後は任せろと言ってくれたから、私はこの人に出会えて良かったと実感したのだ。
そして、身の安全を確保する為にこの部屋に居ても良いと、言ってくれた。
それから数日が経っての一斉検挙。彼がどう動いてくれたのか、何をしてくれたのかの詳細は聞いていない。けれどニュースになる程の事をしてくれていた。恩人と言わずしてなんと例えよう。私はそれ以外の言葉が見つからない。
「これで、私も真っ当に生きていけると思います」
「出て行くのか」
「元々、匿って頂いていただけですから。居候してしまって、すみませんでした」
2LDKの防犯が完璧な広い部屋に一時的にも住まわせて頂いていたのだ。数日であれど、快適な一人暮らしを邪魔してしまったという罪悪感もある。なるべく早く仕事と新居を見つけ、出て行かなければならない。
その事をきちんと話せば、飲み干したらしいペットボトルを潰す音がリビングに響いた。
「職のアテはあるのか」
「いえ、まだ……ですが、近所のコンビニで求人誌など見てみようかと思っています。早めに見つけたいので」
「そうか」
「はい。あと、住宅情報誌も」
「わかった」
短い会話だが、嫌な気分にはならない。
晋助さん自体がミステリアスな、何を考えているのか分からない雰囲気を醸し出しているのだが、言葉の節々に負の感情が乗っていないので悪い会話でない事を理解できるようになったからだ。思えば、最初にぶつかった時も嫌悪感は特に無かった。本当に、不思議な人だと思う。
「まだ検挙されただけだ。逃げ遂せた奴らも居るかもしれねェ。安全が確証されるまでは、此処から出るな。わかったな」
「えっと、……はい、分かりました。でも、」
「でもは無ェ。この家に居る限り、俺が主人だ」
「……わかり、ました」
「夜に客人が来る。起きとけるか?」
「お客様ですか?」
「お前ェの客人だ。普段通りで良い」
私の、お客? 晋助さんの言う言葉に疑問が生まれてくるが、そろそろ出勤準備をし始める彼をこれ以上引き止めておくことは出来ないと自分を納得させ、承諾の返事をした。
潰したペットボトルをゴミ箱に投げ入れた彼は、大人しくしとけよ、と告げてリビングを出て行く。私は黙ってその背中を見送るしか出来ない。
晋助さんの住居であるこのマンションに匿ってもらう以上、彼の言うことは絶対で、従わなければならない。今までの仕事のように自我を殺せと言われたわけではないのだが、長年勤めていた影響もあってか、私は命令されることに従順になってしまったようだ。
奴隷――と言い換えれる方が正しいのかもしれない。やはり、組織の人形として働いていた癖はそう簡単に抜けないみたいである。
芸能人の恋愛事情へと内容が変わった情報番組を、私はいつも通りに無心で眺める事にした。
暫くして、玄関の開く音、閉まる音、そして鍵をかける音が響いてくる。
晋助さんが出て行ったのだと理解出来たが、紫紺色のラグと黒に塗装されたウッド調のセンターテーブル、同じ色のテレビ台に無駄に大きい薄型テレビと今私が座るリクライニング式のソファベッドしかない広いリビングで、大人しく待っていろなんて、ある意味拷問に近い。
彼は知らないかもしれないが、不安に押し潰されるなんて事は毎日訪れて、私の思考の邪魔をしてくるのだ。
晋助さんが定期購入しているケータリングサービスも、本日は定休日となっている。人と話さないなんて日は、一人で過ごす長い一日は、晋助さんの仕事上早く家を出てしまう日は、心が虚ろになってしまいそうで。
それを阻止しようと、テレビの音声を少しだけ上げた。
(2019/09/27)