#02





 

深夜遅い時間、だと思う。玄関の開く音で目が覚め、真っ暗な視界の中で微睡んだままの脳を回転させて状態を起こせば、突然部屋の電気が点いた。

「……寝てたのか」
「――あ、はい、すみません。寝てました。おかえりなさい」

テレビは設定されているタイマーのお陰で、いつの間にか消えていたようだ。
ガサガサと音の鳴る紙袋をテーブルに置き、ネクタイを緩めた晋助さんの姿は、スーツの色を除けば普通のサラリーマンのように見えた。実際は、歌舞伎町で働くホストなのだが。
何かの準備を始める晋助さんを手伝おうと立ち上がれば、もう一人、廊下に立っている人物が見えた。

「初めまして。えっと、……名前ちゃん、だよね?」
「……初めまして」
「俺、晋助の友人の神威。よろしくね」
「言っただろ。おめーに客が来るって」

晋助さんのその言葉で、その客人は、ピンクがかった橙色をした髪を三つ編みにしている、神威と名乗る男性の事だと気付く。
改めて自己紹介をすれば、笑顔でお辞儀してくれた。

「夕飯まだだろ。座っとけ。適当に作る」
「わーい、晋助のご飯だー。たくさんたーべよ!」
「俺は名前に言ったんだ。お前は少しくらい自重しろ」

ちぇー、と子供のように言って、ソファに座った私の隣に腰を下ろした神威さんも、服装はスーツ姿で晋助さんと同業者なのだと悟る。
その同業者さんが私に何の用があるというのだ。歌舞伎町で働いていた身ではあるが、私はホスト遊びに手を出した覚えもないし、先程も本人が初めましてと挨拶をしてきたから、初対面には違いない。
私が聞く前に、笑顔のままの神威さんが口を開いた。

「実は俺、晋助とは違う店でホストやってるんだけど」
「なんとなく、同業者の方だと分かってました」
「あ、そう? やっぱり分かっちゃうかー。まぁ、話を戻すけど、名前ちゃんが晋助と会った日ね、俺、晋助と会う約束してたんだよね。お互いオフだったし。それで久々にって感じだったんだけど、いきなりドタキャンされてさ。何なんだよって思ってたら次の日に電話があってね、名前ちゃんの事、話してくれたんだよ」

あの日、彼が電話していたのはこの人だったのか。ホストの出勤はシフト制だと聞くし、偶然か敢えてなのか休みがかち合って出掛ける予定だったのを邪魔してしまって申し訳ない。素直に言えば、気にしないでと言われる。

「それでね、俺の店って警察と凄く繋がってるんだよ。もう根の底まで」
「理由はお前の親父さんだろうが」
「ははっ、そうとも言うか」

料理が出来たらしい晋助さんが、大皿に盛られた野菜炒めを持って来た。
私は料理が出来ないわけではないし、晋助さんも率先して料理をするわけでもないのだが、出会った当時の私が他の同年齢の成人女性と比べて痩せ過ぎていたからか、仕事終わりで疲れているはずなのにこうやって遅めの夜食を作ってくれる。
これがまた美味しいのだ。時間も時間だが美味しい料理を食べると肥えるとはよく言ったもので、私の体型は普通の一般女性体型と変わらないようになってきた。……と思う。まだ骨張っている部分はあるが、今までの生活が続くわけでもないので、一人で暮らし始めればいい感じに脂肪は付いていくだろう。筋肉は、運動する事でしかつかないので、ある程度体力が戻ればそこも視野に入れよう。
醤油と生姜でしっかりと味付けされている野菜炒めを箸で取皿へ運び、お茶碗に盛られたお米と一緒に口の中に入れる。うん、とてつもなく美味しい。

「晋助って何でも出来るよねー。今度は中華作ってよ、中華」
「誰がそんな七面倒臭いもん作るかよ。あと食い過ぎだ。名前の分も残しとけ」
「とか言いながら俺の事退かそうとしてくるし。名前ちゃんの隣に俺が座るの、気に食わないだけだろー」

口いっぱいに野菜炒めを頬張りながら移動する神威さんと入れ替わって、今度は晋助さんが私の隣に座った。
調理に邪魔だったのか、スーツのジャケットは脱がれていて、シャツのボタンは外され袖を肘辺りまで捲ったままだった。

「美味いか」
「はい。いつもありがとうございます」
「気にすんな」

私にご飯を作ってくれるが、晋助さんは店で食べてきたとかで基本的に食べない。いつも私が食べている姿を見ているだけだ。いや、見ているというのは間違いかもしれない。栄養を摂取しているか、必要な食事量を胃に入れているかどうかの確認だろう。
数日でそこまで変わるとは思えないが、自分の顔に少しだけ肉が付いてきた気もする。まともな食事をしてこない生活が長かったので、まぁ仕方ないか。

「話を戻すとね、まぁ晋助が俺に相談してくるのって相当だなぁーなんて傍観しようとしてたんだけど、オーナーと親父が店に居たからその話をしたんだよね。俺からしたら治安とかそんな事より、俺自身の収入とかそっちの方が大事だから、軽いネタ提供って感じで。そしたら、丁度そのグループでヤマ張ってるって言うからさ。晋助にも来てもらって、詳しく話してもらったんだよね」
「勝手に他人に話をしたのは悪かった」
「いえ、別に、晋助さんも他人である私の話を聞いてくれたので……そこはお互い様ということで」
「そしたら一斉検挙だって。ビックリだよねー」

ケラケラと笑いながら口の中へと野菜炒めを放り込む神威さんの口調はあっけらかんとしていて、自分が他の人の人生を救った事に実感はないようだった。
箸を置き、床に座る神威さんに向き直って頭を深く下げた。やめてよー、と明るく言われるが、頭を上げることはしない。

「神威さんがお父様にお話してくれなかったら、逃げ出した私しか助からなかったかもしれません。働き続ける先輩や同期、後輩を助けて頂いて、本当にありがとうございました」
「……もう、調子狂っちゃうなぁ」

こうして改めてお礼を言われることに慣れているわけではないらしい。そりゃそうか。本人からしたら、それこそ軽いネタ提供のつもりだったのだから、そのお陰で絶望の状況から助け出された人間から直接感謝される事が今まで無かったのだろう。これまでも何回か同じような事があったのだとしたら、その被害者達の気持ちを含めて、私は彼に感謝しよう。それしか、今は何も出来ない。

「もういいよ、名前ちゃん。君の――君達の気持ちは受け取ったから」
「ありがとうございます」
「そんなに言われちゃうと照れちゃうってば」
「どうだ、神威。いけそうか」
「……あぁ、忘れてた。大丈夫だと思うよ。容姿も良いし、礼儀もしっかりしてる」
「なんの、話ですか……?」

会話内容の変わりように戸惑ってしまう。容姿が関係しているとなれば、と最悪な考えが頭を過り、血の気が引いた。
助けられていたと思ったのは私だけなのか。だから、私は晋助さんの元に匿われていたのか。口の水分が無くなっていく感覚が、気持ち悪い。

「名前ちゃんにね、ピッタリな仕事だと思うんだ」
「わた、しに、ですか……?」
「安心しろ。こいつの親の店で雇ってもらえねぇかって話だ」
「名前ちゃんさえ良ければね。俺の母さん、クラブやってるんだよ。会員制のね。だから、客の素性は分かってるし、今までみたいに君をいたぶる人なんて居ない。どうかな?」
「あ、えっと……」

自分が想像していた展開に気付いたのか、神威さんがフォローを付け加えてくれた。なんだ、やっぱりこの人達は、私を助けてくれているじゃないか。変なことを考えてしまった自分を恥じた。
出来れば歌舞伎町から離れたいこと、なるべく早く自立したいことを伝える。別に晋助さんとの生活が苦なわけではないとも伝えた。
それを聞いた神威さんは目を丸くして、あはは、と快活に笑う。

「フラれちゃったねー、晋助」
「ち、違います! そうじゃなくて、負担になってしまいますし、きちんと自立してからご恩を返したくて……!」
「あはははっ、あー、面白い。うん、大丈夫だよ。お袋の店は六本木だし、一ヶ月も働けば一人暮らしの資金も稼げると思う」
「そういうわけだ。一ヶ月間、此処に居たくねぇなら別に部屋を借りてやるが」
「いやいや、そこまでお世話になってしまうのも……!」
「じゃあ決まりだね。話はしとくから、明日案内するよ」

半ば押されながらも、私は神威さんのお母様が勤められるお店で働くことになるらしい。らしい、で済ませたいのは、神威さんや晋助さんの見立てでは大丈夫でも、お母様自身が使えないと判断をしたらそれまでだと思ったからだ。
個人的には、ファミレスなりで働いてというペースで考えていたのだが、会員制のクラブということで神威さんの言う通りに変なことは無いだろう。
水商売になっただけで客を相手にするというその本質は今までと変わらないはずなのに、少しだけ気が楽になった。

「あの、晋助さん」
「なんだ」
「もう少しだけ、此処に居させてもらっても、良いでしょうか?」
「構わねーよ。好きなだけ居ればいい」
「ありがとうございます」

ご馳走様でした、と手を合わせる神威さんが晋助さんを笑いながら見ているが、この二人はどんな関係なのだろう。
そういえば、晋助さんの年齢も知らない。ふと気になったので聞いてみれば、予想の斜め上で開いた口が塞がらなくなってしまう。

「なんだよ。そんなにおかしいかよ」
「いや、そうでなくて、晋助さん同い年だったんですね」
「えっ!? 名前ちゃん28歳なの!? 俺と同い年くらいだと思ってたんだけど!?」
「神威さん、おいくつですか?」
「俺、23歳。卒論に追われる大学四年」

まさかの、だった。これだけ晋助さんと仲が良いから、同年代か少し下くらいかと思っていた。
そしてその衝撃を上回る衝撃が私を襲う。

「晋助は歌舞伎町史上最年少で自分の店持って、オーナー兼従業員だからね。上にも見えるよねー。老けて見えるしねー」
「おい神威。おめーも俺と同年代に見られてたんだ。そっちこそ老け顔なんじゃねぇのか?」
「いやいや、俺は母さん似だから。親父みたいにハゲてないから」
「待って、待って下さい。どういう事ですか。お店持ってるって」
「そのままの意味だよ。ホスト時代のグループ店JO−YIからの完全独立してCLUB KIHEITAIを作ったんだ。凄いよねー」

凄いとかそういう次元の話ではない事くらい、私には分かる。ホストのグループからの完全独立というのは、かなりのタブーだと聞いた事があるし、それを最年少でなんて、この人はどれくらいの年月を歌舞伎町で過ごしてきたんだ。

「お前の考える通り、簡単なもんじゃねぇよ。独立した時に無くしちまったしな」
「でもそこからだよね、晋助の快進撃。あれよあれよという間に歌舞伎町トップの座に君臨したんだもん」

無くしたとは、眼帯を付けている左目のことだろう。色々な組合や運営会社が多い歌舞伎町では、抗争なんて昔はザラだったらしい。
私は、一番頼るべき人に頼ることが出来たようだ。自分の運の悪さに辟易する日々ではあったが、今回ばかりは自分の悪運が好転したと受け止めておこう。

「そろそろ帰ろっかな。また明日ね、名前ちゃん。時間と待ち合わせ場所は晋助に伝えとくから」
「あ、はい、ありがとうございました」
「もういいよ、それ。んじゃ晋助、ご馳走様」
「気をつけて帰れよ」
「わかってるよー」

晋助さんは見送ることもせず、慣れたように玄関へと向かう神威さんに、立ち上がって再度一礼した。
バタン、と玄関が閉まる。その音を確認し、テーブルの上にあるお皿を片付けようとすれば、晋助さんに腕を引っ張られ、私はまたソファに腰掛けることとなった。
腕を掴んでいた手は私の腰に周り、左肩に置かれた頭からは、独特の香水と酒と煙草の入り混じった臭いがする。

「あ、の……晋助さん?」
「さっき言ったことは嘘じゃねェ」
「えっと――」
「好きなだけ、此処に居りゃあ良い」

その言葉はどういった心意で私に言ったのか。
それを聞いてしまうにはまだ早いと思ってしまって、拘束が解かれるまでの間、急いていく鼓動が聞こえてしまうのを必死に抑えようと俯くしか出来なかった。


(2019/10/01)