▼ #03
「へぇ、この子が」
「ね? 良い子でしょ」
翌日、神威さんとの待ち合わせは夜からだった為、昼間は晋助さんに連れられてショッピングモールやらで服を買ってもらったり、美容室へ行ったりと忙しなかった。
お代は出世払いにしてもらうよう説得は大変だったが、なんとか納得してもらえたので一安心。時間が余ったので喫茶店で軽くお茶をしてから待ち合わせ場所に向かえば、神威さんともう一人、美人なスタイルの良い女性が立っていた。
私達を見つけるなり近付いてくる神威さんの後ろをゆっくりと、且つ堂々とヒールを鳴らしながら歩いてくる女性は、髪の色や目鼻立ちからすぐに例のお母様だと分かった。
初めまして、と一礼して自己紹介すると、今時珍しい、なんて言われてしまう。
「江華だよ。バカ息子からある程度の話は聞いてる。ウチも人手不足でね、今年から大学生の娘も働いてくれてはいるけど、未成年に遅くまで働かせられないだろ?」
「という事だからさ、名前ちゃんが良ければ早めに働いてほしいんだよ」
立ち話もなんだし、と開店前の神威さんのお母様――江華さんのお店へと歩いて移動する。待ち合わせ場所から然程距離はない飲み屋街の一角、各階の店名が光る看板のビルの最上階に数店しかないお店の一つが、江華さんのお店だった。
店名は徨安。ちょっと中華っぽい。江華さんの服装もスリットの入った白いロングドレスなので、チャイナドレスぽいと言われればそうなのだろうと納得してしまう自信があった。
入り口である黒い扉が開けられる。開けたのは、店内に居たらしい赤いミニワンピのドレスを纏った女の子で、江華さんを見るなり抱きついてきた。
「マミー! おかえりなさいアル!」
「ただいま、神楽。でもここは店だからね。家じゃあないよ」
「おいおいバカ妹よ。兄ちゃんに挨拶はないのか? ん?」
「バカ兄貴も一緒アルか。ケッ、お前にやる酒なんて無いヨ。水飲んでさっさと帰れ」
「よぉし、それじゃあ兄に対して礼儀のなっていない妹の為に、兄ちゃん鬼になるぞー」
「コラ。兄妹喧嘩なら家でやりな。今はお客さんも居るんだから」
完全に家族の会話だった。そこに入れず何も発せない私と、江華さんと会ってから完全空気になっている晋助さんを視界に入れた神楽ちゃんは、母親の姿に隠れてひょっこりと顔を出す。
「お前が、神威の言っていた女アルか」
「よろしくお願いします」
「礼儀はまぁまぁネ。この店で働く限り私の方が先輩アル。グラさんと呼びな!」
「神楽、名前ちゃんはお前より年上だからな? 業界を全部引っ括めたらお前の方が後輩だからな?」
「えっ!」
私は年下に見られていたらしい。神楽ちゃん――もとい、グラさんは目をまん丸と広げ、おずおずと右手を差し出してきた。
「神楽アル」
「名前です」
しっかりと握手をした。グラさんとは呼ばなくて良いようだ。
出入り口でごちゃごちゃとしたやり取りは他店に迷惑なるということもあり、店内へ入る。白が基調の店内の装飾は、赤や青で飾り付けられてとても綺麗だった。
数席しか無いテーブル席へと案内され、ソファへと座る。横には晋助さん、対面には江華さんと神威さんが座った。
神楽ちゃんはカウンター内で色々と作業をしているようで、ちょっとしたガラス音が聞こえてきたと思ったらグラスに入ったお水を持ってきてくれた。
「今すぐ働かせるのもあれだからね。今日は店のイメージや客層を理解してもらおうかな。もし出来そうなら――」
「あ、あの。その前に、ひとつ、良いでしょうか?」
言葉を遮るのは申し訳なかったが、確認しなければいけない事柄があったので声を出した。
なんだい? と首を傾げる江華さんはやっぱり美人で、神威さんと神楽ちゃんもお母様似だと理解する。
「私、このお店でお世話になって、良いんでしょうか?」
採用の一言も頂けていない今、お店の客層やイメージを説明されても困る。軽い挨拶だけだったし、私の人となりも理解されていないだろうから、きちんと面接して判断してほしかった。
そんな事か、と口を開いたのは、今の今まで無言を貫いていた晋助さんだった。
「既に面接は済んでいて、お前がこの店で働く前提の話が進んでいたわけなんだがな」
「そうだったん……ですか……?」
「そうだねぇ。神威の話では判断できなかったけど、実際会って、礼儀もしっかりしてるし容姿も申し分ない。断る理由は他にあるかい?」
「無いよねー。こう見えても母さん、人間の分別がちゃんと出来るし。伊達に接客業を長くやってないよ」
「そういう事だ。後はお前次第だとよ」
まさか、会った瞬間から面接が始まっていたなんて思いもしなかった。
優しく微笑む江華さんがこちらを見て、そして前のめりになったかと思えば私の鼻孔をくすぐる匂い。何かの花の匂いだと思った瞬間、私を包み込むように頭の上へと置かれた手。ゆっくりと撫でられる感触がむず痒くて、目の奥が熱くなっていく。
「今まで頑張ったね。辛かったね。もう大丈夫だよ。アンタに何かする奴が来たら、すぐブタ箱に突っ込んでやるからね」
「江華さん、それ、冗談に聞こえないん、ですが……」
「当たり前だろ。私の旦那はポリ公だからね」
柔らかく笑う優しい母親というのは、この人の事なのだろうと考えた。自分の子供ではない人間に対してもこうやって優しく自愛に満ちた微笑みを向けてくれるのだから、本当にこの女性は素敵な方だと思った。
つられて笑ってしまい、女の笑顔は一番男が喜ぶんだ、と言われる。江華さんの目線の先には、私の隣に座る晋助さん。手が退けられ、ソファに座り直した江華さんは変わらず晋助さんを見ていて、神威さんもニマニマとしているものだから気になって私も横を見ようとすれば、テーブルに上に置かれていたメニュー表で顔を塞がれてしまった。
「あ、の……?」
「なんでもねェ。気にすんな」
「と言われましても」
「表情の無い冷血野郎が笑ってるネ!」
「えっ、見たい」
変わらずメニュー表が邪魔をして晋助さんの表情は見えないが、普段笑うような笑みではないのなら見てみたいと思った。だが、視界が元に戻った頃には普段通りの目付きの鋭い晋助さんで、なんだか損をしたような気分になる。
さて。と手を叩いた江華さんが立ち上がった。
「そろそろ店を開ける時間だ。閉店まで居るんだろ? 神威はてっぺん近付いたら神楽を家に送って、また戻っておいで」
「えー! 私も最後まで居たいアル」
「お前は駄目。明日も大学あるだろ」
「それはバカ兄貴も一緒ネ」
「俺は四年。お前は一年。講義の多さも濃厚さも必要さも違うんだよ。大人しく母さんに従っとけ」
「お前はバイトにかまけて留年してんだろォが」
「やだな、晋助。それは言わない約束だろ。俺よりも留年してた奴が店に居るから一年ぐらいノーカンだよ、ノーカン」
ふてくされた表情をする神楽ちゃんは年相応だと感じた。あれだけ表情豊かな女の子なのだから、大切に育てられているのだろう。その姿は微笑ましくもあり、羨ましくもあった。私のような目に遭ってほしくないとも思ったが、江華さんや神威さんが居るのだからきっと大丈夫だ。あとは、警察官だというお父様。情報量が過多な家族だな。
「飲み物は、シンスケくんのボトルで良いだろ?」
「晋助って久し振りに来るよね。もっと来てもいいのに」
「誰のせいだ」
「俺のせいにするのは止めてほしいなー」
「滅多に来ない酒クズホストは願い下げヨ。金づるにもならないアル」
「こら神楽。そんな事言わないの。……名前ちゃんは飲める?」
「あ、はい。嗜む程度ですけど」
慣れた手付きで晋助さんのキープボトルである焼酎と氷の入ったアイスペール、ポンプ式の水差しを持ってくる江華さんは、このお店のママとしての顔付きになった。
グラスの種類はあまり知らないのだが、ロックグラスが一つに背の高いグラスが二つ。晋助さんは焼酎をロックで嗜むようだ。私と神威さんは水割りで、準備し終えた江華さんがごゆっくり、という言葉と共に席を立てば、神威さんがコホン、とわざとらしい咳払いをしてグラスを持った。
「それでは、名前ちゃんの再出発一日目を祝して、」
――乾杯。
ガラス同士がぶつかる、軽快な音が鳴る。
グラスに口をつければ、仄かなアルコールの香りと味が口内を満たしていった。
(2019/10/08)