媚薬を盛られただなんて、我ながら笑えてくる。
 出された食べ物は口にしていないし、席だって立っていない。ハイボールを一口、たった僅かな量を摂取しただけだ。ということは、あのグラスの中にあらかじめ液を落としていたのだろう。してやられた、彼女とマスターはグルだったのだ。まあ、僕が彼女の相手をするわけがないし、既に任務は達成したから振り払ったけれど――報告ではどう説明しようか。
 簡潔にまとめよう。今日の夜に催された、裏の住人共が集まるパーティーで特定の相手に接触成功し、口説いてバーにて仕切り直し。相手を適度に酔わせ、肩を抱いて甘い言葉を囁きながら、こっそりメモリーを入手。しかし、自分は薬を盛られてしまった。
 情けない。最後の部分がなければ完璧だった。こんな報告書を提出するなんてごめんだ。
 胸中で不満をぶちまけようが身体の疼きが収まるわけでもないし、体温も下がるわけがない。シャワーを浴びれば幾分か楽になるかもしれない――それに、深夜の事務所にはきっと、誰もいないはず。
 ネクタイを外し、熱を吐き出そうとしたが、呼吸はなお乱れている。どうしようもない欲に頭を掻きむしりたくなった。

「スティーブン?」

 舌っ足らずな、幼い声で僕を呼んだのは#名前#だった。クラウスの家に居候している、異世界から来た人間。歳は――知らないし興味もないし関わろうとも思わない。僕のことを怖がっている様子だから、そのまま放置していた、のに、目の前の子供をぐちゃぐちゃにしてやりたい衝動に駆られる。
 だめだ、この選択だけは。
 #名前#はクラウスを慕っているのだ。クラウスも口には出していないものの行動に表れている。二人が両片想いの状態を保っているというのに、そこに僕が割り込むわけにはいかない。僕は#名前#を好いているわけじゃない、ちがうのに。
 黙り込んでいると、#名前#が近付いてきた。普段は寄っても来ないのに、どうしてこういうときに限ってきみは。「スティーブン」心配そうに覗き込まれる。なにも知らない無垢な眼差しを、塗り替えてやりたい。

「#名前#……水を、持ってきてくれるかい」
「ん」

 戸惑いがちに頷いた彼女がぱたぱたと足を急がせた。彼女の#名前#を、久しぶりに呼んだ気がする。いつもだったら二人称かそれ以外を使って、意地でも呼ばないようにしていたのに。ああくそ、こいつのせいだ。
 ソファになだれ込んで目を瞑った。額に手の甲を宛てがうと少しずつ熱が溶け込んでいく。あつい。顔もあついし身体は疼いているし――最悪の気分だ。
 からん。
 不意に軽快な音が聞こえた。
 目蓋を持ち上げて視線だけを動かすと、#名前#が僕を見下ろしていた。手に持っているのは氷の入ったグラス。

「……すまない。ありがとう」
「ん」

 起き上がって、差し出されたグラスを受け取る。ひやりとした温度が心地いい。グラスを口に運んで冷たい水を喉に流し込むが、熱が収まったのは一瞬だけだった。
 グラスをテーブルに置いて、#名前#の様子を窺う。彼女は立ったまま僕の一部始終を眺めていたが、視線が合うなり慌てたように目を泳がせ始めた。

「#名前#」

 段々と俯いていた顔が僕の方へ。頬が、ほんのりと赤く色づいている。
 肉付きのいい腕を掴んでしまったのは魔が差した。その後も多分、魔が差した。
 ソファから立ち上がって、彼女の腕を掴んだまま仮眠室へ連れて行くなんてどうかしている。そもそも抵抗をしなかった彼女が悪い。わざわざこの僕が、腕を引いてまでそこへ向かうんだったら、察しがつくだろうに。
 抱き上げて、ベッドに放り投げたところで彼女はやっと気が付いたらしい。引きつった口元が物語っていた。


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