嫉妬の香り


「貴方は今、安室透かバーボンどっち?」

顎を引いて疑心する様に問いかけた。私の声は二人だけの車内によく通るみたいだ。
彼の車に乗った瞬間だ、私が顔を顰めたのはーー。

中々返事が無く、視線で問う様に隣の運転席の彼に目を向けると、まるで私が其方に目を向けるのを待っていたかの様に彼も私の瞳を見つめて口元を緩めた。彼がこうして笑う時、私は思わず身構えてしまう。

「では、貴方も今はどちらなのでしょう…」

私は思わず「え」と拍子抜けした様な声が漏れた。すると彼は、くすくす、とわざとらしい笑い声を零した。まるで私がその様な反応を示すのを分かっていたかのように。

「如月ユメ子なのか…ミモザなのか。」

彼の言葉にハッと目を見開いた。そう来たか…。まさか自分の問いをオウム返しされるとは…。私は知らずうちに自身の唇を噛み締めていた。そしてそれに気づいた彼は、またもや余裕を思わせる笑みを僅かに浮かべていた。
私は、私の行動を全て見据えている彼に嫌気がさし、はあ、とわざとらしい大きなため息をつき、正面を向いた。
 車は大通りを走行している。後方に流れていく景色を何気なく見つめているが、心につっかえる何かは流れていく気がしない。自分でどうにかしなければならないか。

「止まって。」

私が指さした先には一軒のコンビニ。一瞬彼は私に目を向けた様な気がしたけど、私は彼の方を向くことなくじっと正面を見つめた。
 そして車がコンビニ前の駐車場に停車されると、私はシートベルトを外し、ドアを開け、身を外に投げ出した。そしてドアを閉め、サイドウィンドウから顔を覗かせ彼を見た。

「ちょっと待っててね…置いて行かないでよ」

優し気な口調のつもりだったが、どこか棘のある様な口調に聞こえたに違いない。彼が不思議そうな顔をして私を見ていたからきっとそうだ。

彼を置いてコンビニに入ると店員のいらっしゃいませ、という活気溢れる声が響いていたがその裏の意味に防犯対策が込められている、というのを彼から聞いた話が記憶に新しい。だが生憎万引きをするつもりなどさらさらない。
 目的のモノを見つけた。種類がいくつがあるが、何だって良い。私は幾つかある中の一つを手に取りレジへ向かい、すぐ使うから、とテープのみで、と頼んだ。そして店員のありがとうございました、という声を背に受け、彼の車へと向かう。

彼は何やら携帯の画面を操作しているみたいだが、私が帰って来たことに気づくと私に向けて僅かな笑みを浮かべた。笑みを返す余裕など無かった。何故か、やましいものでは無いのに咄嗟に先ほど購入したモノを背に隠してしまった。
 そして助手席のドアを開けた。その瞬間、先ほど購入したモノーー。まずそれを助手席に吹きかけた。霧吹きの様なミストが、シュッシュッ、とリズミカルに車内に響く。そして車内に充満していた、あの嫌な香りが消えていく。
 この車の持ち主である彼がどの様な表情をしているかなんて分からない。確認の為に顔を見る事なんて出来やしない。恥ずかしすぎる。私は無言のまま、でもきっと顔は赤く染まっていると思うけど…後部座席に向けても吹きかけた。そして最後に彼の座る運転席にむけてもかけた。


 私は少しひんやりと湿った助手席へと座った。ドアを閉めると、ミストを吹きかけたせいなのか少し車内の温度が下がった様な気がする。

「さっき貴方が私にした質問の答えだけど、私は今ミモザよ。」

ようやく彼に目を向ける事が出来た。私の答えに彼は正面を向いたままで一度瞳を閉じてから、開けた瞬間、私にグレーかかった瞳を向けた。思わず心臓がドキッとしてしまう。

「じゃあ僕はバーボン…ですね。」

彼の答えに更に心臓が苦しくなった。私は照れ隠し気に視線を逸らした。言葉にしなくても彼の目を見ればわかる。確かに今の彼はバーボン。

「どうして私が、あんな行動をとったか、貴方なら分るでしょ…?」

更に問うと、彼は口元を緩め「ええ」と返事した。私はまたもや知らずうちに唇を噛み締めていた。癖なのかもしれない。
 すると、まるでそれを緩める様に彼の手が私の頬に触れ、指が唇を撫でた。逸らしていた視線を彼に向けると真っ直ぐにバーボンの瞳が私の瞳を射抜いている。逸らすことが出来なかった。瞳も、頬も、唇も、心まで捉えられたみたいだ。

「嫉妬の香りですか」

彼から発せられた言葉にカッと目を大きく見開いた。ぞくぞくと顔が熱くなっていく。更に彼は言葉を続けた。

「彼女の香水の香りがしたのでしょう。」

意地が悪い。初めからそう言えばいいのに。なぜ彼は"嫉妬の香り"と表したのだろうか。心の奥底で気づいているけど気づいていないふりをしていた感情を抉られた様な感じだ。羞恥心なのか、瞳が水気を増して揺らいだ。

彼女ーー。
そう彼が口にした彼女とはベルモットの事だ。組織内の機密情報を交換する際、大体直接やり取りをする。そしてこの車は、よくベルモットとバーボンのやり取りに使われている。それを直接聞かされていたわけでもない。でも、この車のドアを開けた瞬間にすぐにわかる。ベルモット、彼女の独特な香水の香りが漂ってくるのだから…だから、それが耐えられなくなってフレグランスミストを突発的に買ってしまった。
 
自分の先ほどの行動を思い返すと、堪えきれない程に恥ずかしくなってきて思わず羞恥で溢れた涙を堪える様に眉間に皺が寄った。
 すると、彼のもう片方の手が私のもう片方の頬を包み込んだ。

「本当に貴女は可愛らしい人だ。」

まるで慈しむ様に細められたバーボンの瞳が私の瞳に交わった。その刹那、バーボンの唇が私の唇に触れた。突然の事に思わず大きく目を見開くが、すぐ目の前のバーボンの瞳は閉ざされている。次第に深くなっていく口づけに私も瞳を閉じた。力なくバーボンの胸を押すがびくともするわけがない。車内に響く水音に官能的な部分が擽られる。
 そして、しばらくしてゆっくりと惜しむ様に唇が銀色の糸を引いて離れていった。

「ちょっと…バーボン…」

とろけてしまいそうな瞳で見つめていたに違いない。しかし私は思考を正常に戻す様に声を上げた。するとバーボンはいつもの様に自信に満ちた瞳と共に口元を緩め、私の濡れた唇に人差し指を添えた。

「貴女の匂いで消してください。」

耳元にそう囁いた彼の声は私の全身を震わせた。
そして助手席の方へ、私に覆いかぶさるバーボン。
私は彼の首に顔を埋め、大きく彼の香りを吸った。