重なる面影

*アニメ511話時期のお話し

「ちょっと貴方。自分のお姉さんが心配じゃないの?」

灰原哀は阿笠博士宅の窓から隣にある、工藤宅を見ながら、呑気にソファに腰かける江戸川コナンに問いかけた。「え」と恍けた様な言葉を零すコナンに灰原は呆れた様子で溜息を吐きコナンに鋭い視線を送った。

「彼女、あそこで"あの男"と同居してるんでしょ」

コナンは灰原から発せられた二つの名詞に脳裏にその人物達ーー。沖矢昴と工藤ユメ子を浮かべ、ああ、と言葉を零しながら、灰原と同じ様に窓から工藤宅を見つめる。いつ見てもデカい家だな、と実家であるにも関わらず感心してしまうコナン。
 そんな事をぼけーっと何気なく思っていると、またも灰原の鋭い視線がコナンに注がれた。コナンは苦笑いを浮かべ咄嗟に言葉を紡いだ。

「心配する事ねえよ。もしもの時は俺に連絡する様に言ってるしな」

自身のポケットから携帯を取り出し、いつかかって来ても大丈夫、と言う様にそれを見せるコナンだが次第に灰原の顔は歪んでいき眉間に皺を寄せて「貴方馬鹿なの!」と声を荒げた。灰原の怒鳴り声にコナンは思わず冷や汗を額に浮かべ硬直した。

「それじゃあ手遅れになるかもしれないでしょ!?」

更に声を荒げる灰原。コナンは感情的に怒鳴る灰原を宥める様に苦笑いを浮かべ「落ち着けよ」声を上げる。
何故、こんなにも灰原がユメ子を心配するのか、コナンは不思議で仕方がなかった。でも、確かに沖矢昴の存在が謎に包まれているのは確かだ。灰原が心配するのも無理はない。

「お前なんでそんなに俺の姉ちゃんに執着してんだよ」

そうコナンが問うと、灰原はハッと目を見開き、口を閉ざした。そして視線を斜め下に落とした。

「別に…執着何てしてないわよ…」

灰原の今にも消え入りそうな声と切なげな表情にコナンは怪訝そうな顔でそれを見つめる事しか出来なかった。

無言で視線を落とす灰原の脳裏に浮かんだのは姉、宮野明美の姿だった。灰原には自分の姉と工藤新一の姉の姿が重なる様だった。その刹那、女性の叫び声が僅かに響いてきた。ハッと顔を上げる灰原。コナンはその叫び声が自身の姉、ユメ子の声だと感知し青ざめた表情で工藤宅に目を向けた。すると、コナンが手にしていた携帯が着信を知らせる音と共に揺れた。
 瞬時に着信ボタンを押すと、ユメ子の落ち着きのない声が聞こえてきた。

「おい!姉ちゃん!どうしたんだよ!」
「新…ちゃん…?わ、私、ユメ子だけど…大変なの!…助けーー。」

ピー、ピー、と通話の切れた音が響いた。

「…切れた」
「だから言ったじゃない!行くわよ!」

突然の事に漠然とするコナンに灰原は冷や汗を浮かべ工藤宅へ向かう為に走ろうとした。その瞬間、それを抑止する様に腕を掴まれた。

「おい!灰原!お前は待ってろ!」

灰原の腕を掴んだのはコナンだった。何が起こるか分からない、もしかしたら黒の組織が関わっているかもしれないーー。そう思いコナンは灰原には行かせるわけには行かないと、その細い腕を掴んだ。

「待てるわけないでしょ!?」

灰原は血の気が引いたような表情と共に双眸をカッと開いてコナンの瞳を捉え、そして自身の腕を掴むコナンの手を払う様に腕を振り、駆けていった。
 コナンは灰原の取り乱した様な姿に、ただ呆然とその背を見つめる事しか出来なかった。


心臓がバクバクと脈打っていた。靴に履き替える余裕もなく灰原は外に出て、工藤宅の門を力一杯押し、重い玄関の扉を開いた。そして廊下に響く叫び声を頼りにその声のする方へと足早に進む。
 灰原の脳裏に浮かぶのは、やはり姉、宮野明美だった。次第に視界がぼやけていく。自分の命に代えてでも助けなければーー。

「お姉ちゃん!」

そう思わず声を上げてしまった。はあはあ、と肩を上下させる灰原。そんな灰原の前にはユメ子が一人、床にへたり込んでいた。

「哀…ちゃん…」
「……何…しているの……?」

ようやくまともな呼吸が出来る様になった灰原は、自分が想像していた光景と全く異なった現実の光景にただ唖然と言葉を零した。

「ゴキブリが出たの!!!」

歪んだ表情で声を上げるユメ子。
どうやらユメ子は書物の壁で埋め尽くされた書斎の掃除をしていた様だった。現に床には様々な書物が散乱している。
 そして灰原はハッとした。叫び声を上げ、そして直ぐにコナンに着信をかけた理由ーー。全身の力が抜けた様なそんな感覚に襲われた。

「凄く心配したじゃない!貴女…ただのゴキブリって…!」

灰原は足元に散らかる分厚い本を手に取り、壁をカサカサと走る一匹のゴキブリに向けて本を投げた。そして見事にヒットした様で本と一緒に落ちる潰れた死骸。
 ユメ子は灰原の強い口ぶりに、ゴキブリごとき、いや、中々の強敵だが…それごときにあんなにも取り乱して助けを求めてしまった事に、変に心配させてしまったと申し訳なさそうに眉を下げた。

「おい灰原!」

コナンは廊下まで響いてきた灰原の怒鳴り声を抑制する様にその名を呼んだ。すると灰原はコナンに顔を向けた。灰原の表情にコナンは大きく目を見開いた。

「哀ちゃん…もしかして泣いているの…?」

そう灰原の目は水気が増し酷く揺らいでいて、堪える様に顔も赤く染まっていたのだ。ユメ子は、抜けていた腰を上げ、灰原の目線に合わせる様に膝を着き、視線を逸らす灰原顔を不安げに覗いた。
 すると灰原は「……泣いてなんかないわよ…」と震える声で呟いた。その応えにユメ子は自身の瞳を揺るがせ口元を緩め、そして自分の心配をして涙を浮かべる少女に感謝と安否を伝える様に包み込んだ。

「ごめんね……そんなに心配させちゃったんだね……」

ぎゅーっと灰原を包み込むユメ子。灰原はその温もりに思わず「お姉…ちゃん…」言葉を零し重なる面影を慈しむ様にユメ子の背に手を回した。

「…私は大丈夫だよ…もう心配しないでね…」

ユメ子は灰原の瞳を真っ直ぐ見つめ宥める様に呟いた。そのユメ子の言葉に灰原は控えめに頷いた。


そしてコナンと灰原は工藤宅を後にし、阿笠博士宅に戻る為、すでに夕焼け色に染まった空の下を歩いていた。そしてコナンは先ほどのユメ子と灰原の姿が脳裏に浮かび、前を歩く灰原に声を上げた。

「お前、言っておくけどな、あいつ俺の姉ちゃんだからな」
「うっさいわね!分かってるわよ。」

コナンの言葉に哀は顔を少しだけ傾け強めの口調で言い返した。灰原の顔は少し赤く染まっていた。そしてさらにコナンは言葉を続ける。

「まあ…半分くらいは貸してやってもいいけどよ」
「馬鹿じゃないの」

「んだよ、その態度…せっかくお前ーー。」コナンが言いかけた所で前を歩く灰原が振り返った。

「貴方、お姉さんに何かあったら許さないんだからね」

口元を緩めそう言葉を零す灰原にコナンは、もっと素直にな…と少々呆れた様子で、はいはい、と言葉を返した。