スーツ姿に


 悟られてはならない。
彼ーー赤井秀一は、とてつもない切れ者だ。仕草、言動、瞳孔、他にも観点はあるだろうけど…それらから様々な情報を感知して全てを繋げ合わせ、答えを導いてしまう。
 だから今、彼を出迎えるために玄関を開け、彼の見慣れないスーツ姿に心臓がバクバクと脈打っている事を隠し通す為には平然を装わなければならない。

「えっと…お帰りなさい」
「…ああ、ただいま」
「うん…」

 無理だ、平然何て装えない。どうしてスーツを着ているのか、いつもニット帽を被って如何にも訝しげな暗い服を着ているのにーーなぜ、真っ白いワイシャツで喉元までしっかりボタンを留め、ネクタイもしっかり巻いて、恐らく容易には手にする事ない高品質な黒いスーツを着ているの。
 幾つかの疑問が浮かび静止していると赤井秀一は眉間に皺を寄せ「どうした」と訝しげに訊いてきた。私はハッと正気を取り戻し、部屋の中へと彼を通した。
 靴を脱ぎ、リビングに向かう為に廊下を歩く彼の後を追う。彼が前を向いてる事を良い事にチャンスだ、と目視する。すると彼は頭を少し此方に傾げた。即座に視線を泳がせる。

「ど、どうしてスーツなの…?」

慌てた口調で訊くと彼は、ああ、と正面に顔を戻し、リビングのドアを開けながら答えた。

「今日は"あっち"からお偉いさんが来ていたんだ。」

 彼のいう"あっち"と"お偉いさん"という二語に私は納得した様に頷いた。どうやら米国の方から彼の属する組織の上層部の人が来日したみたいだ。
 彼からジャケットを受け取り左胸付近に留められている襟章が目につき更に納得した。しかし今日の朝、見送る時は確か私服だった気がするーー疑問を投げると、単純な事にジョディさん達が用意していたらしい。

 それにしても、直視出来ない。秀一は今、ソファに深く腰掛けてネクタイを緩めるなりボタンを二つ外し、天井に立ち上る煙を見ながら煙草をふかしている。
 落ち着け私ーー平然を装うのだ。

「ところで、お腹は…?」
「ああ…酷くしつこい物を食べさせられた…」
「じゃあ、ご飯は要らないのね」
「ああ」

 彼の返事を訊き、私はキッチンに向かい胃もたれに良い茶をコップに注ぎ、それを持って彼の座るソファの前にあるローテーブルに置いて、彼の隣ーーではなく、カーペットに足を崩した。そして彼を視界に捉えない様に瞳を泳がせた。
 すると秀一は、私の行動に不審を抱いた様で「おい」と言葉を零した。

「ん…何?」

サッと彼の鋭い瞳を見つめる。何だか、瞳から心を読まれている様な気がして逸らしたい気持ちが込み上がるが今逸らしたら本当に全てを悟られるような気がして逸らせない。

「…何かあるな」

探る様に瞳を細める秀一。腿の上で握っていた拳が汗ばんだ。

「何も無いよ」

 私は一言一句丁寧に力を込め口にした。その後は口を結び奥歯を噛み締めた。ぼろが出ない様に…すると秀一は、じっと私を見つめてから、そうか、と瞼を閉じ、私から目を逸らした。
 ふう、と胸を撫で下ろし、立ち上がり、お風呂の湯でも沸かそう、と踵を返した時ーー。ぐいっと腕を引かれた。見事に油断していた私はバランスを崩し、そして次の瞬間には自分の身を支える為に現れた秀一の厚い胸に手を添えた。
 え、と動揺の気持ちを込めて顔を上げると、秀一は、にやり、と怪しい笑みを浮かべていた。

「分かったぞ」

 私の腰に触れて更に引き寄せ耳元で囁かれた。ハッと揺れる瞳を大きく見開き秀一の顔を見ると、本当に謎が解けた時の様に優越した笑みを浮かべていた。
 
「帰って来た時から可笑しいと思ったんだ」

瞳を細め、私の髪を撫でながら彼は続ける。

「俺と目を合わそうとしない。」

心臓がドキッとした。恐らくその瞬間、私の僅かな表情のブレを見据えて彼は、図星だろ、と伺う様に私を一瞥した。

「それに、お前の性分だと珍しいモノにはもっと食いつくだろう?」

 私は秀一の言葉に、どういうこと、と問う様に上目遣いに彼の瞳を見つめた。確かに彼が指摘する通り、新作のスイーツが出たら買います…秀一が話してくれる普通では考えられないような出来事に興味津々…。頭を巡らせていると彼は、ふっと笑った。

「俺がスーツを着ているのは珍しい…なのにお前は全くそれについて聞いてこなかっただろう」
「…うん…」
「それは、あえて触れない様にしていたのだろう」

 言葉と同時に秀一の手が私の頬を撫でて、ぞくぞくと身震いした。その通りだ。早く、自分を落ち着かせる為にスーツの話題を素っ飛ばしてしまいたかった。秀一の見事な見解に徐々に顔が熱くなった。もう十分、と静する様にギュッと彼の真っ白いワイシャツを握るも、そんな事お構いなしに私に更に畳みかける様に秀一は言葉続けた。

「お前が俺のスーツ姿に"見惚れている"ことを悟られたくなかったからーー。」

「そうです!」私は堪えていたものが溢れた様に声を上げ、秀一の胸に顔を埋めた。全て見抜かれていたーー恥ずかしい、きっと物凄く赤面していると思う。
 秀一は私の反応を面白がっている様で喉を鳴らし笑いながら、少しやり過ぎたか、と私の髪を撫でた。

「んん…もう、見事な洞察力…推理力です…」

顔を上げ、伏目がちに呟く。

「そんなに目に余るほどか…俺のスーツ姿は」
「うん…もうどうしようもないくらいに…格好いい…心臓ドキドキ…」

本当に心臓がドキドキしている。秀一は私の顔にかかる髪を梳きながら笑っている。

「最初から素直にそう言えば良いだろ」
「…意地悪…最初から気づいてたのに焦らして…」
「ああ、すまない、すまない」

 そして私はもう一度、秀一の胸に顔を埋めた。彼は軽く流す様に謝罪を述べながら、私の背に手を回し、もう片方の手で髪を撫でていた。