パートナー


「これから貴方に会わせる子は、組織にとって重大な人物よ」

 ベルモットは扇動する様に怪しげな笑みを浮かべ、後ろを歩くバーボンに首を傾げた。一方、バーボンは落ち着いた様子で、それは楽しみですね、とベルモットの挑発に乗る様に口元を緩めた。
 二人は今、人気のない都内の何処かにあるホテルの廊下を歩いている。如何やら組織にとって重大な人物とはこのホテルの一室に待機しているらしい。
 "バーボン"ーー。
この黒の組織に潜入してようやく与えられたコードネーム。一歩づつ確実に組織の核心に近づいている。これから出会う人物を想像するとそれがようやく実感できた。
 一体どのような人物なのだろうかーー。前を歩くベルモットに尋ねると、彼女は怪しげな笑みを浮かべて「とても繊細な方よ」と囁いた。ふと考える様に視線を落とすと、ベルモットが幾つかの紙袋を手にしているのが目に留まった。これは一体何なのだーー。上から覗いてみるとクッキーやチョコレート…百貨店で売られている高級な洋菓子の箱が幾つか入っていた。益々その人物の像が思い浮かばない。

 バーボンが首を傾げているとベルモットが、ここよ、と一つの扉の前で止まった。懐からカードキーを取り出し、それを差し込み、ロックが解除される音が響いた。扉を開き先にベルモットが入室し「私よ、起きてるかしら」中にいる人物に問いかけた。
 バーボンは一つ息を飲み、部屋へと入るーー。ガチャッと背後で扉が閉まると、室内の明かりが大窓から覗く高層ビルの光とキングサイズのベットの上に開いたまま置かれたノートパソコンだけである事が分かった。そしてもう一つ、バーボンの目に留まったのは、此方に背を向けてベットにぽつりと座り込む人の影。

「もう、目悪くするわよ」

 ベルモットは壁に設置されている部屋の明かりを調節するコントロールを捻り、室内に光を灯した。そしてベッドに座る人物が眩しそうに眉を顰め振り返った。バーボンはその人物を目にして唖然として硬直した。
 一方ベルモットは"重大な人物"に菓子の箱が詰まった紙袋を手渡した。

「ご要望通りの物よ、結構大変だったんだから・・・」

 呆れた様子で肩を回しながら、夜景を一望できる大窓の傍に設置されたシングルソファに座り、長い足を組んだ。重大な人物は、というと幾つかの紙袋を覗きその中から一つの箱を取り出し、リボンを解き、一粒いくらするのだろうと考えさせられる様なチョコレートを手に取った。

「ありがとう、ベルモット・・・愛してる」

 チョコレートを口に放り投げ、ゆったりとした口調で、まるで感情のない言葉を呟いた。ベルモットはそんな彼女を一瞥し、はあ、とため息をつき「私も愛してるわ、ミモザ」彼女と同じ様に感情のない言葉を返した。

「ところで、ベルモット・・・彼は?」

 ようやくバーボンのターンがやってきた。しかし彼自身もあまりにも存在感に欠けていた様な気がしてただの傍観者と化していた。だがようやくたどり着いた組織の重大な人物ーーバーボンは彼女のもとへと近づき、他者から好感を得られる笑みを浮かべた。

「どうも、バーボンです」

 ミモザは、顔色を変えることなくじっと自分を見下ろすバーボンを見上げた。バーボンは彼女から注がれる視線を逸らすことなく受けて立とう、という様に目配せた。その様子をベルモットは目視するのみ。
 暫くして、ミモザは頬を緩めた。

「待ってたわ、バーボン。・・・私はミモザ。」

 ミモザは腕を上げバーボンに手を差し出した。バーボンが確実に彼女の自分に対する警戒を解いた、と確信しその手に自身の手を交えた。彼女の手は随分と小さく、彼女が組織の重大な人物である事に不信感が込み上がる。

「ベルモット、彼ともう少し話したいの。」

 想像外のミモザの発言にバーボンは僅かに眉をぴくりと動かした。如何やらそれはベルモットも同じらしく、一瞬動作を硬直させ、徐々に口元を緩め甲高く笑いながら「随分と気に入られたみたいね、バーボン・・・ごゆっくり」ミモザの髪を撫で、バーボンに目配せし、部屋から出ていった。
 一瞬にして空気が静寂した。ベルモットの笑いがどれほど空間を賑やかにさせるか分かるほどに。

「さて何を話しましょうか・・・僕は幾つか貴女に聞きたいことがありますがーー」バーボンが流暢に言葉を述べると、突然ーーそれを制する様にミモザがバーボンの首に腕を回し抱き着いた。勢いのあまり、バーボンはよろけそうになるも、ミモザを支える様に彼女の背に手を回した。

「貴方、NOCなのでしょう。」

 バーボンは耳元で囁かれた言葉にハッと瞳を見開いた。これは試されているのか・・・しかし、ここまで来て折れるわけにはいけないーーふっと嘲る様に小さく笑った。

「言ってる事の意味がーー」更にバーボンが言葉を返そうとするとより一層強くミモザの腕がバーボンに巻きつく。

「いいの、それで・・・でないと"待ってた"なんて言わないわ。」

 バーボンは次々と謎に満ちた言葉が飛び出る現状に妙に胸が騒いだ。彼女の考える事の意図がまるで読み取れない。すると、ミモザは顔をバーボンに向けた。

「私をこの組織から救って。」

真っ直ぐ、迷いのない眼差しがバーボンのグレーがかった瞳に注がれた。

「私は貴方に組織の重要な情報を流す・・・どう、良い交換条件でしょ?」

 バーボンの思考が追いつかない程に彼女は話を次々と進めていく。正直、動揺していた。この様な場合の策を考えていなかったーーまさか、組織内に組織を抜けたいとする人物があっさりと自白するだろうか、しかし、彼女の目は本気だ。珍しく困惑していた。
 バーボンは深く呼吸をした。そして真っ直ぐ目を見る彼女の頬に手を添えた。一瞬びくりとミモザは反応するが視線を逸らすことは無かった。

「罠ですか」
「・・・いいえ。本気よ。」

 警察学校時代に教わったーー手動の嘘発見器の様なものだ。相手の瞳孔の開き、脈の変化から読み取る。しかし、彼女は動揺を示さなかった。自分の頬に添えられたバーボンの手に自分の手を添え瞳を閉じた。

「わかりました。」

 バーボンは随分と自分の感情というものと争ったーー結果、彼女の提案に乗ることにした。そしてミモザは揺らぐ瞳を圧縮させ、笑みを浮かべた。

「私たち良いパートナーになりそうね」

「ええ」バーボンは一言返した。
 今日出会ったばかりで、ましてや黒の組織の一員、重大な人物をここまで信頼して良かったのか、と後になって思うも、もう嘲笑するしかなかった。