「やっぱり彼女、"あの事件"の被害者だったみたい。」
とある一室でジョディの声が虚しく零された。それを赤井秀一は何も言葉を返すことなく耳だけを傾けていた。
「如月ユメ子…あの日、両親と三人であのホテルに宿泊する予定だったらしいわ」
何かの資料を眺めながらジョディは言葉を紡いだ。
「あの場に両親二人の死体は残されていたけど…あの子だけ消息不明。」
三年の月日が流れてようやく姿を現した彼女ーー。ジョディが信じられないという様にかぶりを振ると赤井秀一は何か思いついた様子で扉の方へと踵を返した。
「ちょっとシュウ!どこいくのよ!」
「"眠り姫"が目覚める頃だろう」
ジョディが慌てた様子で訊くと赤井秀一は冗談染みた口調で口元を緩め、軽く手を振りながら去っていった。
目を覚ました時ーー私の目に映ったのは白い天井だった。ジンと共に過ごした家の天井ではないものだ。
「目覚めたか」
「赤井…秀一…」
すぐに視界の片隅にジンを殺った男が目に留まった。腕を組みながらベットから少し離れた所にあるパイプ椅子に座っていた。
私は体を起こし、彼に目を向けた。確か私は撃たれたはずなのに痛みなど一ミリもなかったーー寧ろ久々によく眠れた様な気がした。
「どうして生きているの…私は確か撃たれははずなのに」
「君に撃ったのは麻酔銃だ…少々手荒な真似をしたが、こうするしか無かった。」
どうやら、赤井秀一は初めから私に撃たれる気など無かったみたいだ。私は呆気なく終わってしまった復讐劇に、ふっと嘲笑した。
そして私に"シルバーブレット"の居場所を教えたーープラチナブロンドを凪かせる彼女の事を頭に浮かべた。
「ベルモットね…私を嵌めたのは…」
私の言葉に赤井秀一は頭を縦に振る事も無かった。初めから私に殺しなんてさせる気など無かったのだ、彼女には。
私は最後に見せた彼女の気遣いに焦燥した。
「…君は三年前のあの事件被害者だ」
何の前触れもなく云った赤井秀一の言葉に私は、しばらく間を置いてから大きく息を吸った。
「…そうよ…両親を殺されたわ」
「だが君は姿をくらませた…恐らく拉致られたのだろうとーー」彼の言葉を制する様に私は声を上げた。
「違う!…ジンは…私を誘拐なんてしてない…」
ギュッとシーツに皺が刻まれるくらい拳を握った。
「ジンは私を愛してた…私も彼を愛してた…!」
拉致なんかされていない。あの人は私に危害を加えなかったーー寧ろ私を優しく包み込んだ。部屋の鍵だって閉められていなかったーー私の意思で逃げる事なんて簡単な空間だった。でも私は、両親を失って空いた穴を埋める為に勝手にあの人に縋りついていただけだ。
そんな私にジンは本物の愛を注いでくれていた。
「…君を利用しようと考えていたかもしれない」
「それは…ないわ…」
心の底から否定した。それからは赤井秀一も突き詰めることなく、私の気持ちのペースに合わせる様に口をつぐんだ。
「…これから君には証人保護プログラム受けてもらう」
私は顔を上げ赤井秀一を見た。さらに彼は言葉を続けた。
「仮にも組織の重要人物と接点があった身だ…何か奴から告げ口されていてそれを漏らさんと君を狙いに来る可能性が無いわけでもないだろう」
名前、国籍、全てを変えて別人として生きて制度ーーなんて馬鹿げてるのか。私は「…あり得ないわ」と拒否した。別に組織に命を狙われても構わないーーそれがジンとの繋がりになるなら構わない、そう思った。
「君はこれから一人で生きていかなければならない。」
「…ジンがいなくなって私は…どう生きたらいいのよ…」
「甘えるな」赤井秀一から怒涛が鳴り響いた。私は突然の事にカッと目を見開いて彼を見上げた。彼の目はとてつもなく鋭く私の目を捉えていた。
「…ガキじゃねぇんだ…てめぇの生き方ぐらいてめぇで考えろ」
胸中に鋭い棘が刺さったみたいに彼の言葉は私に響いた。私は反論できる言葉が出なかった。すると赤井秀一は私の肩に手をかけた。
「俺たちFBIがしっかりお前のサポートをする」
赤井秀一の手はジンの手と違っていたけど、それでも私の気持ちを僅かに動かすものだった。
暫くの間を置いて私は言葉を紡いだ。
「…一つだけ教えて…もし、失ったものが戻って来てしまったら人はどうなるのかしら…」
まるで独り言の様に赤井秀一に目を向けることなく訊いた。すると彼は「それは」と言葉を零し、一度、はあ、と息をはいた。
多分だけど赤井秀一も自分にとってとても大切なものを失った経験があるのではないかとそう思った。
「失って気づく大切さが薄れる。そしてその価値観が低くなり、また失った時に同じことを思っての繰り返しになるだろう」
私はハッと目を見開いた。彼の雄弁な台詞に私は、じわじわと胸の内に何かが込み上げてきた。そして彼を見上げた。
「そうね…ありがとう…妥当な答えを導いてくれて…自分で考える力を身につけなきゃね…」
私は赤井秀一に微笑みかけた。すると彼は少し驚いた様子で一瞬、瞳を見開いた。そして彼のグリーンの瞳は私を再生に導く色であった。
恐らく私は名前、国籍、全てを変えて別人として生きていく選択はしないだろう。全てこのままで、ジンと共に過ごしたこの私自身の状態で更生していく。
死んでもなお、私の心にはジンーー貴方がまだいる。きっともう、この空いた穴は埋まる事は無い。 これを埋めることが出来るのはジンーーあの人だけ。
いつからかもう、私の記憶にはジンの煙草の匂いが残っていなかった。ソファに座って煙草をふかし、立ち上る煙を見上げるジンの姿も、もう僅かーー。