もう疲れた。そう思った時には既に辞職なんか書いてしまって颯爽と恨み深いあの仕事場から去った。
「…連絡なしに来ちゃった。…新一はいるかな…そっちの方が都合がいいんだけど」
目の前に広がる立派な家。仮にも、社会に出るまではここで暮らしていたのだ。所謂、里帰りと言うのか…しかし、両親には会いたくない。合わせる顔がない。
そして、弟だけがいることを願って恐る恐るインターホンを押す。暫くして玄関のドアが開く音がした。相手側から見えないように上手く死角に入る。心の準備を、と深呼吸をしーーそして鉄門が開かれるのと同時に勢いよく笑顔を張り付けて死角から出た。
「ただいまー!!帰って来ちゃっ‥た‥え」
勢い良く身を乗り出したのだが、プリンセスの目の前に現れたのは、弟の新一でもなく、はたまた両親でもなく、眼鏡をかけた長身でタートルネックを着た男性。可笑しいなあ…と表札を見てもそこには工藤と記載されている。間違っていない。
「えっと…家間違えました」
しかし、家から出て来た男性が全くの見ず知らずの人間だった訳でなぜか引き下がるという行動に出てしまった。
とりあえず、幼い頃から世話になっているお隣さんである阿笠博士の自宅へと向かおうとした。
「失礼いたしました」
丁寧に頭を下げ立ち去ろうとした時ーー
「待ってください!プリンセスさんですか?」
腕を掴まれ阻止される。そして、なぜ男が自分の名を知っているのか、一瞬驚くが、警戒した表情で彼を睨んだ。
「あなた、どうしてこの家に?」
掴まれた腕をはらい、不安を抑える様に胸元に腕を戻し、距離を取る。すると、そんな警戒してるプリンセスとは異なり沖矢は表情を緩め、苦笑した。
「まぁいったな。確かに実家から知らない男が出て来たら、その位警戒するのは当たり前ですよね…紹介遅れました。沖矢昴です。新一くんから今、留守をしっかり守ることを条件に居候させていただいてるんです」
沖矢から出たその弟の名前に、目の前の男に対する警戒が少し緩んだが、まだ疑わしく、探るようにジッと彼の眼鏡の奥を凝視する。沖矢は、ここまで警戒心の強い彼女に、何だか申し訳なさを感じてしまった。
「とりあえず、中に入りますか?」
沖矢は中々疑心が晴れず、探る様に目を凝らすプリンセスに、歯がゆくなったのか家へと招く。
プリンセスは、なぜ自分が客人の様になっているのだ、とモヤモヤとした気持ちを抱きながら顔をしかめた。
そして考えた挙句、
「…そうね」
沖矢に目を合わせること無く、颯爽と沖矢の隣を通り越し玄関へと向かう。相変わらず、古びた書物の匂いが香ってくる家ーーしかし彼女はその匂いを胸いっぱいに吸い上げた。そして迷うこと無く一途に自室へと向かった。
素早く自室へと入り鍵を閉め、ドアに寄りかかりそのまま地べたに座り込んだ。
「はああ‥‥実家に帰って来たはずなのに落ち着かない」
何一つ変わっていない、静かな空間にポツリと言葉を溢した。