プリンセス、プリンセスさん
脳裏に響く聞き心地の良い低音の声色。重い瞼を徐々に開けてゆくと、夕焼けの淡いオレンジの光が窓から部屋に注がれていた。
「私…寝ちゃってたんだ…」
ドアに寄りかかって眠っていたらしく、首を動かすと僅かな痛みが走った。脳が活性しておらず、ぼーっとしていると
「プリンセスさん!大丈夫ですか?…新一くんから連絡が…」
先程よりも声を上げ、ドアをノックする。プリンセスは弟の名がハッキリと耳に入り、勢いよく立ち上がり鍵を外しドアを開けた。
そして彼が手に持つ、自宅の受話器を半ば奪い取った。必死さが伝わる。
「もしもし!新一!」
プリンセスは受話器に耳を当て声を張り上げた。すると、受話口の向こうから、げっ、と言葉が零された。おそらく耳元から携帯電話を離したのだろう。
「ねえ…どうして、知らない男の人が家にいるのかな?」
プリンセスは、感情的になってはいけないと、なるべく落ち着いた、優しく諭す様に訊いた。勿論、受話口の向こうの人物は、それが彼女が腹を立てた時にする行動だと知っているため、慎重さを心がけ、口を開いた。
「その沖矢昴さん、住んでたアパートが燃えちまったらしくてな、困ってたからどうせなら、家にって…俺も、母さんも父さんも中々帰らねえだろ?…留守を頼んだんだよ」
「新ちゃん…どうしてそこに私は入っていないのかな?」
「お前が帰って来るのは予想外だったんだよ!」
「探偵なら、それぐらい予想の範囲内でしょ!」
プリンセスの怒涛が廊下に鳴り響いた。普段からあまり驚く事のない沖矢でさえ、今の彼女の声にはさすがに肝を冷やした様だ。そして受話口の向こうの人物も、彼と同じ様に言葉を失っていた。
しかし、受話口の向こうの人物ーー工藤新一こと、江戸川コナンは内心では様々な事を考えていた。彼女を今自分の身に起きている事件に巻き込まない事を優先すべき。
そしてしばらくして言葉を発した。
「怪しいやつじゃねえから…安心してくれ…じゃあ…そういうことで」
彼が今、彼女に伝える事が出来るのはそれだけだったーー。
ピーピーと、通話終了の音が流れる。プリンセスは、一方的な彼の態度に子機を持つ手をだらしなく落とし、呆然と立ち尽くした。
「…大丈夫ですか?」
沖矢は、プリンセスの顔を覗き込んだ。そして彼女の表情にハッとしたーープリンセスは、何か様々な感情を押し堪え、泣いてしまいそうな顔をしていた。同時に沖矢はその表情が、ある女性の存在と重なった。思わず見入ってしまっていた。
そして沖矢が慌てて視線を逸らした時、彼女は吐息を零し、眉尻を下げ、彼を見上げた。彼女の目に警戒心の色はもうなくなっていた。
「大丈夫です…でも、私、貴方に謝らなければならないですね…ごめんなさい…」
プリンセスは髪を耳にかけ、深々と頭を下げた。
「最近奇妙な事件が多いから、私最初…ついに新一が恨みを買われて、家が乗っ取られてしまったのかと思いました…でも、まさかあの子自身が放置して…普通だったら弟がしっかり留守を守らなければならないのに…」
まるで、その弟の事を頭に浮かべている様子で彼女は力なく微笑んだ。そして沖矢にもう一度目配せた。
「本当に…弟の分まで、ありがとうございます」
沖矢は、目を細め笑みを浮かべた彼女の表情が、彼女の母親に良く似通っていると感じた。
そしてハッキリと彼女が自分に対する警戒が薄れたと感じ取り、ホッとした様子で沖矢も笑みを浮かべた。
「しばらくの間よろしくお願いします」
大きな手をプリンセスの前に出す。
「こちらこそ…よろしくお願いします」
プリンセスも、自身の手を出しその大きな手を握った。