「沖矢さんは、お酒飲みますか?」
先程から先頭を切って前を歩く彼女が首を傾けた。
デパートに着いてから先に日用雑貨を買い、食品コーナーへやってきた。カートは沖矢が押し、プリンセスはその前を歩く。一週間分の食材を買う為、プリンセスは次々とホイホイとカゴに入れていくが、沖矢はその行動に文句も言わずただ着いて行く。意外にもプリンセスが入れる食材は適当ではないみたいだ。
黙々と彼女の小さな背中に着いて行くと、知らずうちにお酒コーナーに突入していたのだ。
「そうですね、飲みますよ…プリンセスさんは?」
沖矢は首を傾げて彼女を見た。
「…好きよ」
彼女は少しの間を置いて感情のこもっていない声で静かにいった。
「意外ですね」
「どうして――?」
プリンセスは首を傾げて彼を見上げた。沖矢は彼女が子供の様にとぼけた顔をしていると思った。
「貴女からは、お酒の匂いがしない…いつも甘い、お菓子の匂いばかりだ」
淡々とした口調でいった。信じられない程潤いを帯びた瞳を見つめながら――。
すると、彼女は一瞬驚いた様子で目を瞬かせ、徐々に口端を上げていった。
「そうね、確かにチョコレートばかりね、私」
笑い交じりの声でいった。彼女は沖矢をチラッと見つめ、踵を返した。彼女がどこに向かうのか観察していると、ウイスキーなど蒸留酒の並ぶ棚を物色し始めた。
沖矢は彼女の行動が偶然か必然か、どちらにせよ、センスが良いと思った。
「バーボンなんてどうでしょう…僕、好きなんです」
沖矢はプリンセスの頭上にあるボトルを手に取った。その時、プリンセスの鼻を爽やかな匂いがくすぐった。香水でもない――彼の香り。プリンセスは同じ柔軟剤を使っているはずなのに自分とは違うその匂いをこっそりと吸い込んだ。
「チョコとの相性も抜群ですよ」
どうやら彼はプリンセスの嗜好に合わせたものを選んだようだ。プリンセスは、そんな気配り上手な彼に微笑んだ。
「今夜、一緒に飲みませんか?」
沖矢は少し頭を下げ、彼女の耳元に静かに囁いた。プリンセスは微かに体を震わせた。そして顔を上げるとすぐそこに彼の造りものの様に美しい顔がある。交わる二人の視線。沖矢は口元をほのかに歪ませ誘う。
プリンセスは一度瞳を閉ざした。そして、口元を緩め頷いた。沖矢はプリンセスの返事に満足気に笑み、かごの中にボトルを入れた。
これで買い出しはもう十分だろうとレジに向かおうとした時、沖矢はプリンセスが、まだ酒棚に目を落としているのが気になった。
「どうかしましたか――?」
沖矢は優しく囁くように訊ねた。するとプリンセスは、ちらっと彼に目配せ力なく微笑んだ。
「…私、もっと好きなお酒があるの」
少し間をおいて彼女は呟いた。
「それは何ですか――?」
沖矢は、とても穏やかな口調で訊いた。そして、静かに彼女は呟いた――。
「スコッチ――。」
とても繊細な、触れてしまったら切れてしまいそうな程、彼女の言葉は哀しみを帯びていた。思わず、沖矢は言葉を失った。彼の頭には、彼女が口にした名を持つ人物が浮かんだのだ。
「でも…飲んだことがないの…だけど、好き」
プリンセスは沖矢に顔を向け、力なく微笑んだ。沖矢は、彼女が何を思ってその酒を好きになったのか、そのきっかけが気になった――。
あわよくば、彼の知るその名を持つ人物と接点が無い事を願った。