包み込んだ先に

 プリンセスは、一度深呼吸をし、ふっと笑みを浮かべてから遠くを見据えて打ち明けた。

「沖矢さんも知ってるでしょう?…新一は平成のシャーロックホームズって言われるほどの高校生探偵…それに比べて、普通の元社会人…元ね、元…」

 伏せ目がちに呟いた。最後の言葉を強調していうのは、彼女が自分自身を責めている様だった。沖矢は静かに彼女の言葉を訊いた。

「小さい時からね、比べられることが多くて…新一はあんなに凄いのにどうして出来ないんだとかね、言われ続けて、幼い頃はそこまで気にならなかったけど…へらへら笑い飛ばしてたから」

プリンセスは沖矢に微かに笑みかけた。しかし彼には、彼女のその笑みが酷く悲しく見えた。

「大人になるとね…ちょっと疲れちゃったんだ…」

 グラスの中の氷が溶け音を鳴らした。静かにその余韻が耳に残る。プリンセスの鼻をすする音が小さく聞こえた。

「自分が駄目なのにね…、この家に戻ることも躊躇ったのよ…これ以上甘えられないって、でも、駄目だった…正直、この家に帰ってきた時、新一でもなくてパパやママでもなくて…貴方で良かったって思っちゃったの」

プリンセスは困った様に笑みを浮かべた。黒目がちな瞳が酷く揺れている。沖矢は気持ちが次第に、たまらくなってきたーー。

「本当に、駄目なお姉ちゃんだよね」

 ついにプリンセスの瞳から大粒の涙が零れた。同時に沖矢は自身の胸に彼女の頭を引き寄せた。そして強く、優しく包み込んだ。

プリンセスは突然の事に、どうしたら良いか分からず、唖然と彼の温もりを感じた。

「プリンセス」

 彼女の赤くなった耳にハッキリと響く沖矢の静かな、それでいて強さのこもった優しい声。さらに彼女の体を抱き寄せた。

「お前は駄目なんかじゃない…十分、一人で強く戦ってきた…たまにはこうやって甘えるべきだ」

 いつもと違う彼の口調に僅かにプリンセスは戸惑った。しかし、彼の言葉は彼女の心の中で大きく何か複雑な気持ちを緩めた。
 そしてプリンセスは、堪えていたものが溢れた様に泣き叫ぶ声を上げ、彼の背にギュッと腕を回した。






 しばらくして、プリンセスの泣き叫ぶ声は収まった。そしてそれと入れ替わる様に静かな寝息が沖矢の耳をくすぐった。どうやら彼女は泣きつかれ、寝てしまった様だ。沖矢は、やれやれという様な表情を浮かべ、慎重に小さな体を抱きかかえた。そしてリビングから廊下にでて、階段を上り、幾つかの空き部屋を超えた先にある彼女の部屋の扉を器用に開けた。
 
 扉を開けた瞬間、沖矢の鼻を彼女の香りがくすぐる。甘ったるいわけでも爽やかでも無い彼女らしい香りだ。
 そして、ゆっくりと起こさぬようにベッドへ寝かせた。すると彼女は今まで感じていた温もりがなくなったせいか小さく唸り声を上げた。沖矢はギョッとして彼女を見つめた。しばらくして、また静かな寝息が聞こえてきたため、少々気をホッとさせ、気持ち良さそうに眠る彼女の少女の様な寝顔に、そっと触れた。
 
 まるで、別の誰かと重ねる様に彼女を見つめていた。そして髪に触れた時、僅かに開いたプリンセスの瞳が沖矢を捉えた。沖矢は、しまったという様な表情で、ゆっくりと手を引こうとした時だったーー。

「やめないで…気持ち良いから撫でてーー。」

 ゆっくりと消え入りそうな声で零された言葉。プリンセスは瞳を閉ざし、ふわりと笑みを浮かべた。沖矢は、自身の心臓がうるさく脈打っている事に気が付いた。
 
 そして、悩まし気に深い吐息をつき、目の前の彼女ーープリンセス自身を見つめ、彼女が寝返りを打つまでの間、そっと髪を撫でることにした。