姉の目は誤魔化せない

 
 翌日、プリンセスは朝早くから身支度を済ませ、出かける準備をしていた。ダイニングルームのテーブルに、ラップされた朝食と書き置きメッセージが添えられており、沖矢はそこでようやく彼女がもう家を出ていることを知った。

 そして彼は携帯端末を取り出し、画面に"江戸川コナン"と表示されたそれを押し、着信をかけた。


 

 プリンセスは用事を済ませ、時計に目をやった。秒針は二時過ぎを指しており、予定よりも三時間程早かった。
 特に、衣類や小物雑貨を見る気分でもなく、彼女は巷で話題のスイーツを買い、書き置きしてきた紙に記した時間よりもかなり早いが沖矢の待つ自宅へと帰る事にした。


 その頃、工藤宅では沖矢とコナンが、あらたまった様子で会談していた。そしてふと話題はプリンセスの事になった。

「まさかプリンセスねえちゃんが帰って来るなんて思わなかったなあ」

 コナンは、あどけない口調でいった。すると沖矢は、一瞬口元を緩めた。

「すみません――偶然彼女が外出してる際に呼んでしまって」

 沖矢は穏やかな口調で、申し訳なさそうな表情を浮かべているが、コナンにはそれが恐ろしく思えた。
 正直、沖矢には正体がばれている様な気もしていた為、ひょっとしたら彼がワザと彼女が不在の時を狙って呼んだのではないか、と推測した。
 しかし、下手に口にするのも良くないとコナンは困った様に笑みを浮かべた。

「うんうん…大丈夫!」

「そうですか、それにしても、新一君は随分と素敵なお姉さんを――」

 沖矢は最後まで言葉を言わず、途中で言葉を止めた。同時に僅かに片眉がぴくりと上がった。

 そして間もない内に、二人のいるリビングルームの扉が開かれた。

 プリンセスは、扉を開けた瞬間――すぐに目に入った少年をジッと見据えた。ソファに腰掛け、しまったという様な表情を浮かべ、顔のサイズの割には大きい眼鏡をかけ、蝶ネクタイといった整えられた格好をする少年。
 プリンセスは、その面影をよく知る人物と重ね合わせた。

「…新一…?」

 大きく瞳を見開き首を傾げながら彼女は口にした。するとコナンは、わああ、と徐々に声を上げ、プリンセスのもとへ駆け寄り彼女の腕を取った。そして無理矢理に引っ張りながらリビングから出て行った。
 沖矢はその姿を口元に弧を描き、静かにコーヒーをすすった。

「どうしよう、私…夢見てるのかな――フランダースの犬の気分…私はネロとパトラッシュ兼任で、天使役は貴方…しんい――」
「おめぇなんでわかるんだよ!」

 空き部屋にプリンセスを押し込み、コナンは変声機を使った声ではなく工藤新一自身の声で、噛みつく様に怒鳴った。プリンセスは、数年ぶりに再会した弟の姿が――まさか数年前よりも遥かに幼くなった姿に思わず、不可解で可笑しくて笑いが込み上がった。

「分かるに決まってるじゃない。だって一番に貴方の顔をよく見てたんだから――泣いた顔も、笑った顔も…今みたいに怒った顔だって…」

 プリンセスは感情が高ぶり過ぎたのか、涙を零しながら、それでも明るい口調でいった。コナンは唖然とした――彼女のこういう所が妙に母親とよく似通っていると思ったから。
 しばらくしてプリンセスの笑いはだいぶ収まり、目の前にいる幼児化した弟の大きな眼鏡をひょいっと取り上げた。そして呆れた様に見つめる彼をみて、くすくす、と控えめに笑った。

「眼鏡外したら、新一、そのものね」
「…ったく、返せよっ」

 コナンはプリンセスの手から眼鏡を取り返し、つけた。

「どうして、幼児化してるの――?」

 プリンセスは、あっさりとした口調で訊いた。コナンは、顔を渋め、彼女から視線を逸らした。

「…すまねぇ…詳しい事はまだ言えねぇんだ…」
「…そう…変な事件に巻き込まれたの――?」

 十秒ほど間を置いて彼女は訊いた。コナンは時にプリンセスの勘が鋭い事を今は少し厄介に感じた。

「とりあえず今は江戸川コナンって名乗ってる。状況が分かんねぇと思うけど上手く合わせてくれ、頼む、ねえちゃん」

 コナンは弱々しく口にした。プリンセスは真っ直ぐな彼の眼差しに、新一の面影を感じた。そして、はあ、と一つ吐息を零しコナンを見つめた。

「うん…よく分からないけど…新一がそんな真剣に私に頼みごとなんて、あまりしたことないから…本当に大変そうなのね…わかった…協力する」

 プリンセスは淡々と口にした。そしてコナンはホッとした様に肩を落とした。さらに彼女は首を傾げ、言葉を紡いだ。

「…沖矢さんには、言ってるの――?」
「いや、言ってねえ。…ただあっちは気づいてそうだけどな。一応、博士の遠い親戚の子って設定にしてるからよ」
「わあー、はかせに、こーんなかわいらしいしんせきがいたんだー」

 プリンセスは、両手を胸元で上げ、あからさまな声を上げた。コナンは、片方の口端を上げ苦笑した。

「でも――私、沖矢さんに嘘つけるかなあ…」

 不安げに視線を横に流す彼女をコナンは不思議そうに首を傾げた。

「あの人、すごい、どこかの探偵さんみたいに鋭いでしょう?」

 プリンセスが更に不安げに吐息を零すと、コナンは「まあ…どうにかなるだろう」と軽い口調で呟いた。
 コナンは、沖矢がきっと此方の都合の悪い方向には事を進めないという確信を持っていた。

 そして二人は、彼の待つリビングルームへと戻った。




「久しぶりの再会だったから、全然わからなかったなあー」
「あはは、プリンセスねえちゃんたらー忘れないでよー」

 リビングルームの扉を開け、入って来た二人の顔は非常によく似ていた。どうやら誤魔化し方も姉弟は酷似してしまうらしい。
 不自然な口調で、まるで大々的に言葉を交わすプリンセスとコナンを沖矢は何を云うわけでもなく静かに訊いていた。

「あ、僕もう、帰るね、またね」
「うん!またね、新…コナンくん」

 プリンセスは、思わず本当の彼の名前を口にしてしまうところだった。ギッと彼女を睨み上げたコナンのその顔は、二人のよく知る人物のそれと似ていた。
 そしてコナンは沖矢に軽く手をふり、颯爽と玄関に向かっていった。ガチャっと玄関の戸が閉まる音が静かに響いた。
 プリンセスは、ホッと胸を撫で下ろし、沖矢に振り返った。

「ケーキ買って来たんです――食べましょうね?」

 彼女は完全に動揺が収まり切れていない様で語尾が少し可笑しかったが、沖矢はいつもの様に爽やかな笑みを彼女に向けた。