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 密室な空間であるはずなのに、窮屈な感じがしないのはなぜだろう。きっと身を縮こませているからかもしれない――。
 それでも、心臓はキュッと締め付けられている。今、私はあの人を――大和勘助を壁に追いやり、逃げ場のない状態を作り上げているのだ。




 私の上司に当たる彼――大和勘助と私は、殺人容疑の掛かった犯人が住む高層マンションに踏み込んだ。容疑者の自宅の階は36階。片足が不自由な状態の大和警部にとってそこまで階段を上るのは、いくら彼の様な人でも時間がかかる為、エレベーターに乗ったのだが――

「…なんだか、動いていない気がするんですけど…気のせいですかね」
「気のせいなんかじゃねぇよ、止まってんだよ」

 扉上の現在の階を示すランプが25階で点滅し続けているのをジッと見つめながら、おどけた口調で云うと、隣にいる大和警部はいつもの様に荒っぽい口ぶりで言葉を返してきた。
 突然訪れたアクシデントに私は、とりあえず全ての階のボタンを押してみたが反応は無く――、ひじょう、と書かれたボタンを押し外部応答を待った。その間、ちらっと大和警部に目を向けると彼は地べたに座り誰かと連絡を取っていた――彼の口ぶりから察するに上原刑事だろう。
 じーっと無意識に見つめてしまっていたらしく、私の視線に気づいた大和警部が私の方に目を向けた。彼の真っ直ぐな瞳に私の心臓が一瞬跳ね上がった。同時にインターホンから応答があり、私は咄嗟に彼から目を背けた。
 連絡を取っている間も、大和警部の視線が背に注がれている様な気がして、こそばゆかった。

「無理に、こじ開ける事もせず待っていてください…との事です」

 連絡を終え、大和警部の方に体を向けて伝えると、彼は以外にも従容としており、そうか、とだけ言葉を零し、瞳を閉ざした。恐らく上原刑事や諸伏警部がどうにしてくれるのだろう。少し、悔しい気もしたが、犯人逮捕にそんな感情をむき出しにするのも、目の前にいる彼を目にすると不思議と気が収まった。

 私は、また彼をジッと見据えた。私が初めて大和警部を目にした時、彼の鋭い瞳に委縮したのをよく覚えている。一課に配属されて、彼と共に行動するのに緊張していたのもよく覚えている。
 大和警部は、寡黙で常に人を見定めている様な鋭い眼差しをしているけれど、刑事としてとても熱い志を持っている――そして、私が失敗して落ち込んでいたりすると不器用だけど、さり気なく気遣ってくれたりする。
 そういう大和警部も優しい一面に触れてからは、彼の事を怖いなんて思わなくなった。寧ろ、彼の為に力を尽くしたい、だったり傍にいたいだったり、好意的な感情が生まれてしまったのだ。
 だから、正直今の状態に焦り半面、喜ばしさもあったりする。自然と緩まってしまう口元を咄嗟に抑え、彼を一瞥すると相変わらず瞳は閉ざされたままだ。
 もしかして、寝てしまったのではないか、と私は恐る恐る彼に近づき、膝を曲げてしゃがみ込み彼の顔を覗いた。

「なんだ」

 覗いた瞬間に、大和警部は閉ざしていた目を開けて私を睨んだ。私は一瞬心臓がキュッと圧迫された。以外にも顔が近くで、私は少し首を顰めて誤魔化す様に視線を泳がせた。

「な、なんでもないです!…ただ寝ているのかなって…」

 私が歯切れ悪く口にすると、大和警部は、少しの間を置いて、そうか、とだけ一言零し、もう一度瞳を閉ざした。そっけない態度に私は少し物足りなさを感じた。だから、もう少しだけ、と心の中で懇願し私は大和警部から目を逸らさなかった。
 ふと以前、耳にした噂を思い出した――大和警部と上原刑事が出来ているのではないか、というものだ。あのお二人は幼馴染であるし、時々彼女は大和警部の事を"勘ちゃん"って呼び間違えてしまう時がある。大和警部はそれを止めろというけれど、見ている側からすると二人の仲の良さがよく分かるのだ。
 上原刑事は、私の知らない大和警部の一面を沢山見ている、知っているのだ――少しだけ嫉妬してしまう。
 私が大和警部の事で知っているのは、牡丹餅が得意料理である事、室伏警部が相手となると冷静さを失ってしまう事…後は、不器用だけど優しい所、そんなものだった。
 上原刑事には勝てない大和警部に関する知識不足で、私は堪らなくなり溜息を零した。すぐ目の前に大和警部がいることも忘れて。

「だから、お前はさっきから何なんだ」

 私の大きな溜息の音で、大和警部は目を開けて私を真っ直ぐと鋭い眼差しで捉えた。私は委縮してしまう気持ちを何とか奮い立たせて声を上げた。

「大和警部は、上原刑事と…出来ているんですか…?」

 恐る恐るというよりか、勢いに身を任せて訊いてしまった。大和警部は一瞬驚いた様子で肩眉を上げた。私は照れてしまう気持ちを隠しながら彼をジッと見つめた。すると、大和警部は、参ったな、という様な素振りで溜息を零し、私を一瞥した。

「上原は、ただの幼馴染だ」

 云い慣れている様な口ぶりだった。恐らく、他の刑事さん達にもこうして訊かれているのだろう。

「本当に…"ただ"の幼馴染なんですか…?」
「ああ、そーだよ」

 私は上目遣いに彼を見つめた。大和警部は面倒くさそうに、もう一度溜息を吐いた。私は、一度視線を落とし、考えた――こうして二人きりになれる状態なんて、そう滅多にない。今しかない、そう自分自身を奮い立たせ、顔を上げた。心臓の鼓動が加速した。

「私、大和警部が好きなんです」

 彼の瞳を見つめていった。大和警部は瞳を大きく見開いた。しかし、直ぐに瞳を閉ざし、吐息を零した。彼が何を言おうとしているのは私は分かっていた。
 だから彼が口にする前に言葉を紡いだ――。

「…でも、そういう感情を大和警部は受け付けてくれないと思うから…だから、今だけ、私の好きなようにさせてください」

 私の言葉に彼は顔を上げた。そしてまた驚いた様子で私を見つめていた。恐らく、私の顔が物凄く赤く染まっているからだろう。私自身もこれから自分がしようとしている事に体中が熱くなっているのを自覚済みだ。
 私は大和警部の男らしい首元から無精髭の部分を包み込んだ。そして顔を近づける。

「おまっ…何を――」

 吐息がかかる距離で大和警部が声を上げた。しかし、私はそれを遮る様に大和警部の唇に自分の唇を押し付けた。大和警部の唇は、見た目の荒っぽさに反して柔らかかった。やはり、優しい一面がこうして身に見染み出ているのだな、と思いながら、唇をゆっくりと離した。触れるだけの口づけ。

 同時に扉の向こうから声が響いた。どうやらメンテナンス従業員の人が来てくれた様だ。私は、私の突然の行動に唖然とする大和警部を一瞥し、口元を緩めた。

「さ、行きましょう…大和警部」

 私は立ち上がり彼に手を差し伸べた。大和警部は、私の手を借りず立ち上がった。その際、彼が口にした言葉に私は更に口元が、にやけてしまった。