バージンロード2

 


私には父との記憶、というものがほとんどない。
というのも私が生まれて間もない頃に母と父は離婚していたからだ。

我が家の家庭環境はなかなかに複雑だ。
父はあまりよい人ではなかったと二人の兄達は言う。機嫌が悪い時には八つ当たりで暴力を振るわれることもあったし、酒に酔うと母に対して手を出しては良く泣かせていたとも。
2番目の兄は幼い頃、私に対してよく言っていた。

「お前が生まれてきたのが遅くてよかった。お前は女の子やから、顔に傷なんか残ったら大変やろ」

幼い頃は兄の言うことをよく理解できなかったけれど、今となってはそれが兄として妹を案じる優しい気持ちなのだとわかる。
二人の兄と、母と私の4人暮らし。
一番上の兄は芸能人で、仕事のために東京で暮らしていたからなかなか会うこともなかったけど誕生日やクリスマスの日には必ずプレゼントを用意して送ってくれる優しい人だった。
私にとって父といえば一家の大黒柱たる兄だった。
16歳も歳の離れた兄は「兄」というよりも私には親に近しい人だったのだ。

「兄ちゃん、名前のためだったらなんだってしたるからな」

それが兄の口癖。
兄からしてみれば一回り以上も歳の離れた初めての妹だから、目に入れても痛くないほどにそれはもう可愛かったのだろう。兄の特別扱いはいつだって私だった。
2番目の兄と3番目の兄は私の特別扱いに不平不満をよく零していたが、それでも2人だって歳が随分離れた私のことを可愛い妹として甲斐甲斐しく面倒を見てくれていた。
父はいなかったし、決して簡単ではない暮らしだったけど、苦しいとか辛いとか思ったことは一度もない。それもこれも、全ては私たちを養うために働いてくれていた長兄のおかげだった。
母が亡くなったあの日、泣きわめくしかない私を抱きしめて兄は言った。
「これからは兄ちゃんが、名前のことを守るから」と。そしてその言葉は本当だった。
母の死をきっかけに兄の過保護さはさらに拍車がかかるようになり、現に25歳の立派な社会人になった後も、私は未だに独身男である兄と二人でこの高級マンションの上層階で暮らしている。



『そういやヨコ、お前この前週刊誌に撮られたやんな?』

『あーあれね、…あれ…』

『なんやったっけ、…あ、なんか用意されとるみたいやで』

『えっ…はぁ!?んでそんなモンここに…!」

『なになに…《ジャニーズアイドル・横山裕の同棲愛!お相手は石原さとみ似の黒髪美女!今年度中にゴールインか?》。……ぶっ、ゴールイン間近なんすか、横山さん」

『いやっ…ちゃうて!いや、これ違いますよ、ほんまに」

『いやーでも関係者Aさんが言うてはりますよ。お相手は20代前半の一般女性。横山さんと近所に出かける姿も度々目撃されていて、地元では知られた仲みたいですーって』

『誰やねん関係者A!いや、それほんまにちゃうから!あれですよ、皆さん!これ、…あのー……うちの、妹です…。……てかヒナ、お前知っとるやろが!』


そのツッコミに対してラジオの中からスタッフさんの笑い声と村上さんの笑い声が聞こえる。

『エイターの皆さんには安心してほしいね。これ、横山さんの妹のことだから』

『ほんまに…いや、変なね、心労かけてもうたわ…。俺のファン、減っとらんよな…今回の報道で』

『SNSは一時期大荒れだったみたいやけどな。マルが言っとったでー』

『いや、ほんまに…勘弁してくれ…』

『はは、でもヨコはあれよな、今は妹さんと二人暮らし?なんやったっけ』

『あー、まあ。…個人情報そんな語りたくないんやけど』

『ヨコはあれやで…めちゃシスコンやから。まー、ヨコのねぇ妹さん、美人ですから気持ちはわかるけど』

『…うん。まあ、兄ながら美人やと思うわ、俺の妹』

『ほら聞いたか!シスコンや!』


…と、そこまで聞き、私はぶつりとラジオを切る。
手元にあるのは週刊文春。『横山裕、同棲愛』の文字を見て頭を抱えたくなった。
誰もが憧れるジャニーズアイドル。その人と一緒に暮らしているのだから、いつかこういう日がくるかもという風には思っていたけれど、まさかこんな風に書かれるなんて思ってもいなかった。
週刊誌に載っている写真には肩を並べてマンションに入る私と目深に被ったキャップで顔を隠す芸能人然とした兄の姿。
…確かに事情を知らない多くの人たちにとってこの写真は違うことなき熱愛の現場だろうな。
ふとスマホを開き、Twitterを流し見すればトレンドには「横山裕 熱愛」だとか「横山 妹」だとかが上がっているのが見えて、それが無性に恥ずかしくなった。

『ヨコって妹と暮らしてるの!?』
『成人しても妹と同居とかめちゃ仲いい!』
『横山のシスコンブラコンはファンの間ではそれなりに有名(笑)』

そんな言葉の羅列を見て、思う。
やっぱり一人暮らししていてもおかしくない年齢で兄と同居っておかしいのかな…。