月組
私の恋人は可愛くて、格好良くて。
それで、少しだけ面倒くさい。
…って、上級生に面倒くさいなんていうのは失礼か、さすがに。
心の中でのんきにそんなことを思いながら、私は目の前のソファで丸くなるその人に視線を注ぐ。人間国宝級の顔面をクッションに押し付け、膝を抱えるその姿はとてもじゃないがファンにキャーキャーと騒がれる月組のトップさんとは思えなかった。
「…れいこさぁん」
「………」
「ごめんなさい、もうしませんから…もう、機嫌直してください…」
素直に謝っても無視されるし。
ご機嫌取りのために買ってきた彼女の好きなお店のショートケーキは冷蔵庫の中にしまわれてしまった。子供のようにあからさまに不機嫌な彼女に対して苛立たないわけではないのだけれど、普段は穏和でめったに怒らない彼女をここまで怒らせてしまったのは自分の方だという自覚はあるので何も言えない。
「…おだちんとは、本当になんともなかったんです。あの子も私のことをそういう風には見ていないし…」
心の中で「おだちんのバカヤロー」と身勝手な怒りを下級生に向ける私はきっととてつもなく大人げない。
だがそうやって怒りの矛先を心の中のおだちんに向けなければやってられない。
どうしてれいこさんはいつも信じてくれないんだろう。
私とおだちんの関係なんて、どこまで行っても仲のいい先輩後輩でしかないのに。
事の始まりは昨日のこと。
大劇場の千秋楽を迎え、東京公演までのしばらくの余暇、私は下級生の仲良しであるおだちんと二人で久々に飲みにいったのだ。勿論、おだちんと飲みに行くことはれいこさんにはきちんと話して許可ももらっていたし、私とおだちんの間になにがあったわけではない。
実際、飲みながらも私たちの話の話題はくだらない雑談やら堅苦しい演技論ばかりだったし。
問題なのは久々の飲みの席ということもあり、おだちんも私も少々酒を飲みすぎてしまったということである。
記憶を失うほど飲んだわけではないけれど、脳みそがふわふわする程度の量を飲んでしまった私は恋人のことなどすっぽり忘れて会話に盛り上がってしまい、挙句に私はおだちんの家に上がり込み、そこで一夜を明かしたのであった。
次の日、おだちんに体を揺すられて起きた時、時刻はすでに朝の10時を回っていた。
「おはようございます、なまえさん。…やっと起きたぁ」
ふわふわとした口調で私を見下ろすおだちん。昨日のお酒のせいでまだ頭が回らない私がぼうっと彼女の顔を見上げると、おだちんは笑った。
そして、笑ったまま私に爆弾発言をかました。
「あ、なまえさんの電話にれいこさんから着信来てたから出ときましたよ!なんか用があったみたいですけど、私が出たら大した用じゃないからってきっちゃって…」
この瞬間、私の酔いが一気に醒めたのは言うまでもない。
そして私はおだちんを適当に言い含めた後、ダッシュで家に帰り、お風呂と着替えを済ませてかられいこさんの好きなお店のケーキを買って爆速でれいこさん宅に訪れたのである。
…おだちんが勝手に電話に出たことには少し腹が立つけれど、それだっておだちんの善意なわけで。そもそもおだちんは私とれいこさんが付き合っていることを知らないのだし。
れいこさんを面倒くさくも感じるけど、それだって私が何の連絡も入れずにおだちんと一夜を過ごしたせいでもある。今はこんなに怒っているけど普段は本当に優しくて尊敬できる人なのだ。
どう考えても、どう見ても…酒量を誤った自分の責任だ。
「れいこさん…あの」
なんて言ったらいいのかわからず、とりあえず声をかけるがれいこさんは一瞬こちらに冷たい視線を向けたと思えばふいと顔をそむけてしまう。
美しい人なだけに、その鋭い目が恐ろしい。
「…ごめんなさい」
項垂れて謝る私。続く沈黙。
ああ、気まずい…。なんか…心なしかお腹痛くなってきた、ような。
そんなことを思いながら俯いていると「なまえはさ」と冷ややかな声が私の耳を貫いた。
「謝ってるけど、それ。何に対して謝ってるわけ」
「そっ…それはもちろん!れいこさんに何の連絡もしないまま…おだちんと一晩一緒にいたこと……です」
放った言葉は途中から勢いをなくし、ほろほろと空気に解けて、消えて行く。
なんだかこれじゃあ私が本当に浮気したみたい…。別にしてないのに…。無実なのに…。
心の中ではそう思うが、れいこさんを目の前にしてそんなことは決して言えない。だって不用意なことを言ってこれ以上れいこさんを怒らせでもしたら、「もういい」なんて言って家を出ていかれてしまうかもしれないのだから。
惚れた方の弱味ってやつである。…うん、それだけは避けなけば…。
悶々と頭の中でそんなことを考えていると「ねえ」と二度目の声がかかる。
「…なまえ」
「は、…はい!なんでしょうか」
下級生らしい畏まった敬語で、背筋をぴんと伸ばす。
まさか別れを告げられるのでは、と緊張で顔を強張らせる私の姿を一体れいこさんはどう見ているのだろうか。
ゆっくりと、れいこさんが立ち上がる。一歩、一歩と歩み寄ってくるその姿にはえもいわれぬ迫力があり、思わず後ずさりしそうなのを必死に食い止める。れいこさんの眉間に寄せられたしわが今はただただ、恐ろしい。
「なまえの恋人は、だれ」
「っもちろん、それはれいこさんですよ!」
「うん、そう。そうでしょ。…私、なまえの恋人だよね。…だったら…だったらさあ」
仏頂面のれいこさんが両手をぐいと私の顔へと伸ばす。
まさか殴るなんてバイオレンスなことをするとは思ってもいないけれど、反射的に両目を瞑った私を襲ったのは少し冷たい手の感触。
目を開けるとれいこさんのそれはそれは美しい顔が眼前にあって私は思わずはっと息を飲む。少し動けば、唇が触れ合ってしまいそうな距離。
ゆらゆらと揺れる、れいこさんの瞳には隠そうにも隠しきれない不安の色が映っていた。
「…心配させるようなこと、しないでよ」
掠れるような声で呟かれ、私の顔の温度が20度くらい上がったような、そんな気がした。ぼっと赤くなった私の顔を見て、恥ずかしげに目をそらしたれいこさんはそのまま顔を隠すように背に手を回し、肩口に顔を押し付ける。抱きしめ返したら怒られるだろうか。いや、でも。今はただ、この美しくて愛らしい人を抱きしめたい。
「…不安にさせちゃってごめんなさい。ほんとに…へへ」
ぎゅうと、その痩躯を抱きしめる。形式ばかりの謝罪を口にはしたけれど、緩む口元に浮かんだ笑みは隠しきれず、「何笑ってんの」とれいこさんの背を叩かれてしまった。
「…
月組98期男役
月組の中堅スター。
2期下の風間柚乃とは公私ともに仲が良い。