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役者が欠けても舞台はただ粛々と続いていく。
トップの退団公演、その初日をして粗末なものなどお客様に見せられるわけがない、と必死に務めた舞台の幕がようやく閉じようとしているその時になって、千舟はやっと息ができるようになった気がしていた。
手にはシャンシャン、背には初舞台生と大階段。そして目の前にはトップスターと惜しみない拍手を送ってくださるお客様。

今日という日を迎えるにあたっての苦労故か、思わず頬には涙が伝ったが、汗のおかげかそれは誰にも気づかれることなく零れていった。
退団公演に相応しいしんみりとした挨拶に胸を締め付けられながらも、二度目のカーテンコールではお決まりのキズナコールをして、舞台の幕は完全に閉じ切った。

…怒涛の一日目が、これで完全に終了したのである。


「お疲れさまでしたぁ」


舞台が終われば、その次はスタッフさんたちの仕事だ。
眩い照明はすぐに落とされ、袖から一気に大道具さんたちが舞台上へと駆け出てくる。大階段はすぐさま撤収させられ、先ほどまでは満面の笑みを浮かべていた演者たちの顔にはどっと疲労が浮かび上がった。

初日の代役公演。
一体どうなるかもわからない状況下で気を張っていたのはみんな同じだ。とにもかくにも、何事もなく終えられてよかった。
緊張の糸が切れ、今すぐこの場に寝転んでしまいたかったがそんなことが許されるはずもなく、ぼーっとその場に佇んでいると大道具さんに「邪魔や」と背を押され、千舟は重い身体を引きずるようにして楽屋へ向かって歩き出した。

「なほ、お疲れ様」

道中で、そんな声がかけられる。振り返ればそこには眞ノ宮が充実感をにじませた笑みを浮かべて立っていた。
いつもと変わらぬその笑み。
それを見ただけで、千舟の体からは一気に力が抜けてしまった。

「…うん、お疲れ様…はいちゃん」
「今日さ、舞台袖で見てたよ。なほのこと。…すごかったよ」

静かながらストレートなその言葉に千舟は顔を緩めながら「ありがとう」と噛み締めるようにして礼の言葉を口にした。

「袖に行く前さ、凄い緊張して顔色悪かったし大丈夫かなって心配してたんだけど。心配するまでもなかったね」
「そんなこと…みんなが傍にいてくれたおかげだよ」

出番前に「大丈夫」「あんなに一生懸命練習したんだから!」と口々に声をかけてくれた同期たち。
その存在にどれほど今日は救われたか。自分ひとりだったらあんな風に堂々と代役を演じることなどできなかっただろう。普段は気恥ずかしくて言えない言葉がするすると口をついて出てくる。疲れているからか、なんだかやけに今日は自分の心に素直になれた。
千舟の口から紡がれる感謝の言葉はどこまでも真っすぐで、それに眞ノ宮は気恥ずかしくなったのか頬をわずかに赤く染めて頭をがしがしと掻いた。

「もうやめてよ、別に普通のことしただけだって!同期なんだから、支え合って当然でしょ」
「うん、…でもその普通のことが心強かったの。だからありがとね、はいちゃん」

そうして微笑む千舟の顔はとても無邪気で、それは音楽学校の頃、よく泣いていた負けず嫌いな少女を彷彿とさせた。
その頃のことを思い出すとそれ以上彼女の紡ぐ言葉とその真摯な思いを無碍にすることはなんとなくできずになり、眞ノ宮は頬を染めたまま顔をわずかに俯かせて「…はいはい」と囁くような声で応えたのだった。