私の全てを持つ人へ
初恋は叶わないなんてことは、恋に気づいた瞬間から知っていた。
幼い頃に私が貴方の隣に居られたのは、私が綺麗だからでも聡明だからでも、ましてや血統が高潔だからなんて訳もなく、単純に私達が幼かったからだ。確かに純血であるシリウス・ブラックと、きっと恐らく純血であるだろう女の子。家同士の繋がりが有り、同い年で、そこまで醜悪な見た目では無い、大人の言う事をきちんと守れる女の子。大人たちが見て、まあ可愛らしい2人ね。と微笑み合うオブジェが必要な時に、私達はよく隣り合っていた。私は隣の男の子がかっこよくて恥ずかしくて、あなたは暇そうで、そんな暇そうな横顔がかっこよくて、ますます恥ずかしかった。
美しく優秀な貴方と、平凡で気弱な私。そんな少し浮かれた幼い初恋は、私たちがホグワーツへ入学した年に一度終わってしまう。
グリフィンドールへ行ったシリウスと、親の言う通りに何とかスリザリンへ入った私。同じ寮なら、少しくらいは話す機会も有っただろうに。流され易くて気が弱い私は、シリウスのように自ら道を切り拓くなんて、とてもじゃないが出来ない。そもそも、親の失望した顔を見る勇気なんて無い私は、勇敢な者が集うあの寮には入れる筈が無かったけれど。
それでも私は期待していた。寮が別れても、シリウスは私を忘れ去ることは流石に無いだろうと。特に好かれる事は無いだろうけれど、昔に会った事のある女の子の存在を知っていてくれている筈だ、と。
大広間で遠く彼を見つけて、廊下ですれ違い、教室で一緒に授業を受ける。一度たりとも向けられない黒い瞳に、愚鈍な私もある日気付いた。彼は、シリウスは、そもそも私の事なんて覚えていた事さえないって。涙も出ないわね。私は渇いた笑いが自分の口元に浮かんだ気がした。
あの瞬間に分かったの。私はシリウスが本当に好きで、できれば声をかけてもらいたくって、名前を呼んで欲しくて、ついでに言うなら笑いかけて欲しかった。でもシリウスは私の事を何とも思っていないって、知ってしまったの。
私は笑いながら廊下を駆けるシリウスの横顔を見ながら、失恋を理解した。
それでも私の恋心はしぶとくて、かなりの図々しさで私の中にいつまでも居座った。私は何度もシリウスを忘れようとして、何度もそれに失敗した。すれ違う横顔に、教室の隅から眺める後姿に、遠くから響く笑い声に。幾度も恋をした。せずにはいられなかった。ハンサムな男の子。勇敢で大胆で、優秀な初恋の人。彼が私を知らなくったって、私は色々なシリウスを知っていた。私の知るシリウスが、それが彼のほんの一部だけだとしても、私が恋をするには十分だった。何も誇れる物を持っていない私の、唯一の恋。
シリウスか私が生きている限りは、私はシリウスを好きなまま。そう諦めたのは、貴方が夏休みに家を出たと、魔法史の授業で聞いた時だったかしら。
私に向けられる黒い瞳と、貴方の杖。シリウスは髪も瞳も、身に纏う色は全て黒色の癖に、瞳はいつも光を受けて輝いていた。そして、親に望まれて死喰い人になった私はそれらを初めて真正面から向けられている。こんな状況なのに、私は嬉しさを感じずにはいられなかった。
「弱虫のお前には無理だ。俺に傷一つ付ける事は出来ない。」
その言葉に、彼が私を知ってくれていたのを、初めて知った。弱虫の私。臆病で、大人の言う事に逆らえなくて、親の期待を裏切るのが怖くて、流されるままここまで来てしまった私。シリウスが私を見ていないなら、何処へ行ったっておんなじだろうと、そうやって生きてきた。そんな惨めな私がどこかに居るのを、シリウスは知っていたのだ。それが、今日のこの、闇払いと死喰い人との戦闘の場だとは知らなかっただけで。
「そうね。私は貴方には勝てないわ。」
少し遠くから聞こえる音や閃光を視界の隅に入れたまま、私は肩の力を抜いた。でも構える杖は下ろさない。そうすれば、貴方も私を狙い続けるしかない。
「……分かっているなら杖を下ろせ。命までは奪わない。」
「嫌よ。私、アズカバンには行きたくないの。」
私みたいな弱虫の臆病者が行ったとして、三日も保たずに心が死んで、身体もそれに倣うだけだ。
「いいから杖を下ろせ!昔の知り合いを殺したくは無い!」
そうなのか。ふと、そう思った。彼にとっての私は知り合いで、殺すのを躊躇するくらいには、親愛の情を感じているのかと、そうだったのか、と思った。
それを知られただけで、充分だと思った。私が今まで生きてきたのも、今日ここで死ぬにも、充分な理由だと思ったのだ。だって、シリウスは私の全てだったのだから。私の初恋も、失恋も、青春も何もかも。私のすべての記憶にシリウスがいた。私のすべてが貴方だった。そして、私の未来を奪うのも貴方なのね。
「……もっと早く言ってくれれば、よかったのに。」
そしたら、私は大人の言う事も、親の期待も、何もかもを引き千切って、貴方の元に行ったのに。何時の間にか、もう戻れない所まで、闇に踏み込んでしまった。こんな事なら、もっと貴方の為に生きればよかった。貴方に愛されずとも、もう少し近くで生きる事を諦めなければ良かった。
少し残念だけれど、シリウスに殺されるなら、私の長くて長い、図々しくてしつこくて、惨めなこの恋心も報われるような気がした。
「今からでも遅く無い、罪を償えばいい。」
「……そうね。」
そんなに私を殺すのが嫌なのか。少し可笑しくて、渇いた笑いが口元に浮かんだ気がした。その拍子に杖を揺らす。私が呪文を放つと思ったのか、シリウスが素早く反応する。
黒い瞳が私を見つめる。私もそれを見つめるの。幸せだと思い込みながら、初恋を胸に抱えて地獄に落ちる。
ねえ、私を救えなかったこと、少しは後悔してくれる?