またか、となまえは思わず足を止める。この裏道で白蘭が女性から告白される現場に居合わせてしまった日からさほど日にちは経っていないが、またしても先客が居たらしい。そして相手はまたあの彼のようだ。息を潜め、影から相手を確認するように覗き込む。だが見えた姿はローブで全身を覆った人が二人。
「我々はあなたの人生に訪れたある思考です」
表情は見えないが、相手は女性のようだ。如何にも怪しげな様子になまえは思わず眉を顰める。だが白蘭は彼女とは違い、笑い声を上げた。
「何がおかしいのです」
可笑しいと思ったのはどうやらなまえだけでは無かったらしい。ローブを被った者も怪訝そうに彼に尋ねた。
「こんな馬鹿げた出来事を待っていたんだよ。現実世界なんてとっくに信じていないからね。生まれてこのかた、人間やっているのに違和感ありまくり。右を見ても左を見ても、人も社会もどこもかしこも僕には景色に見えるだけ」
それはなまえが聞きたくて仕方がなかった白蘭の本音であった。だがなまえの想像を遥かに絶する内容に思わず息を呑む。ずっとこれを抱えたまま彼は生きていたというのか。パラレルワールド?飛ぶ?一体どういうことだ。理解しようにもなまえは全く理解が出来なかった。だが彼はずっとこれを体感して生きてきたのだと、それだけは理解できた。たったそれだけで、目眩がしそうであった。
彼の口から次々と出てくるのは、最近正一とハマっているというゲームの話かと勘違いするような内容であった。彼の中でこの世界は正一と行っているゲームと何ら変わりないのだ。フィールドや設定が変わっただけ。彼の言葉はなまえの上に重くのしかかる。
少しでも彼が感じてきたものを取り除ければいいなと思っていた。彼の本音に近付きたい。白蘭はもう大切な友人の一人であった。だが蓋を開けてみればどうだろう。彼のことを少しでも救えたらなど、なんて烏滸がましいことを考えていたのだろう。彼が背負ってきたものを、あまりにも軽く考えていた自分に腹立って、なまえは思わず強く拳を握った。
「なまえチャン」
気が付けばローブを被った二人は消え、目の前で白蘭がなまえを見下ろしている。思わず後退りしそうになるのを堪え、真っ直ぐと彼を見つめた。
「泣いてるの?」
どうして?と言いたげな表情で白蘭はなまえから零れた涙を掬った。
「幻滅した?」
首を横に振るだけで精一杯だった。彼を否定してはいけない。それは彼に以前伝えた時に無意識になまえの中で生まれたものであった。だがそれは間違っていたのかもしれないと、暫くしてから気付くことになるが後悔してももう遅い。
なまえはあの日と同じように彼の手を取った。
明らかに悪い方向へ進んでいると、なまえも分かっていた。しかしあの日、彼を受け入れてから今更止めることなどなまえには出来なかった。
だが彼女が自分を友人として大切に思い、そして救おうとしてくれていたことをちゃんと気付いていた白蘭は、なまえの逃げ道を作る為に離れる機会を何度か与えた。元々人が嫌いな訳では無い白蘭は、それなりに正一やなまえのことは気に入っていた。特になまえは唯一自分の違和感に気付いた人物。世界征服なんてナンセンスなことを行おうとしていることを知ってからも、変わらず手を差し伸べた優しくて愚かな可愛い人。だが甘すぎる彼女は白蘭がわざわざ作った逃げ道とも呼べる選択肢を全て蹴って白蘭の後を着いてきている。それが自分の首を締め付け、苦しんでいることに白蘭は呆れたこともあったが、自分のことで苦しんでいる姿は独占欲や優越感を与え、寧ろ心地良いとまで感じられた。
悪いことは重なるものだと知ったのはジェッソファミリーが設立されて暫く経った頃。大学卒業後もずるずると白蘭の傍に居続けたなまえは、正式なファミリーの者では無かったが変わらず彼の傍にいた。
目的の為に手段を選ばない彼は人を殺すことでさえ躊躇しない。白蘭はまだしも何故正一まで加担しているのか正直なまえには理解出来なかった。その理由を知るのはまだ暫く先になる。
「ただいま〜」
「おかえりなさい」
話によれば先程まで別のファミリーを潰しに行っていた筈なのに、部屋に入ってきた彼はそれを全く感じさせないような雰囲気であった。それが逆になまえは怖かった。これが本当の白蘭なんだろうか。そもそも本当の白蘭とは一体何なのだろうか。
「今度、ジッリョネロファミリーと会合があるんだ。なまえチャンも来る?」
一体何のために。なまえがそう思ったのは当然だろう。事務仕事をしているとはいえ、彼女は正式なジェッソファミリーの仲間ではないのだから。
「行かない」
「そう?」
笑みを絶やさず続ける彼に違和感を覚えた。その理由を知るのは、ジッリョネロファミリーと合併し、ミルフィオーレファミリーになったすぐの事、ユニの瞳を見てからであった。
「白蘭!」
「お、似合ってるじゃん、隊服」
「そうじゃなくて!」
マフィアのボスとはいえ、まだ幼い彼女になんてことをしたのだと、本当はそう言いたかった。
「あの日なまえチャンも来れば良かったのに」
「え……?」
彼は笑っていた。なまえが悲痛な面持ちで彼の元に走ってこようと、何が言いたいかなど彼は分かっている筈なのに、それでも笑っていた。
もう戻れない所まで来てしまっているのだと、その時なまえはやっと気付いた。そしてあの時ならまだ止められた筈なのに、それをしなかったのは他ならぬ自分なのだと後悔するのは随分と遅かった。
「なまえチャンには前みたいに僕の傍で色々やってもらうつもりだから」
遠ざかる彼の背中は以前とは全く違うものに感じられ、なまえは足に根が生えたかのように動くことが出来なかった。
なまえの端末が震えた。それはミルフィオーレで支給された物ではなく、なまえ個人の物。差出人は父からであった。
「……もしもし」
大学を卒業してからも度々両親と連絡は取っていたが、日本に帰ったことは一度も無かった。またいつものように確認だろうと思っていたが、その予想は裏切られる。
「お前に話したいことがある。イタリアで少し会わないか」
数日後、イタリアで再会した両親の表情と、話された内容はなまえをどん底に突き落とす。
「ボンゴレ……?CEDEF……?」
何故日本人の両親を持ちながらも生まれはイタリアなのか、両親は何の仕事をしているのか、興味が無かった訳では無い。寧ろ両親に聞いたこともある。だがそれは今までずっとマフィアとは無縁の場所で生活していたなまえを守る為だと初めて知った。
ボンゴレのCEDEFに所属している両親は、白蘭を止めるために自らの娘を選んだ。