

愛を教えて
鯉登と祐季が共に寝起きするようになって、あれからもう6日が経つ。
「……鯉登少尉殿。顔色が優れないようですが、どこか体調が悪いのですか?」
月島軍曹が心配するのも無理はない。
今日の鯉登少尉には覇気がなく、なんでもないところで転ぶわ、上の空だわ、忘れ物が多いわで、まるで使い物にならないのだから。
「祐季さんのことで、また何かあったのですか?」
私で良ければ話だけでも聞きますよ、という言葉に光を見出した鯉登は、悩みを吐露した。
・祐季の寝相が悪く、朝になると布団から離れた位置の床で丸まっている。
・何か良くない夢を見ているのか、うなされている。
・寝ている状態のまま、隣の布団で寝ている鯉登を殴ったり蹴ったりする。
「それは…………すごいですね。」
「お陰で私は寝不足だ。」
「このことは、彼女には伝えたのですか?」
「伝えた。だが、抱き締めていればうなされることも暴れることもないと、昨夜わかったからな。今夜もそうやって寝るつもりだ。」
月島は戸惑った。
「ん? 彼は今なんと言った?」と。
フリーズした月島を、鯉登が怪訝な顔で見る。
「どうした月島。」
「……祐季さんを、抱き締めながら寝たのですか?」
「ああ。」
平然と肯定する上官を、動揺を隠しきれていない表情で月島は凝視する。祐季と同じ部屋で寝泊まりすることは直接、事後報告を受けた。しかし、同衾については聞いていない。
右頬を手で摩りながら、鯉登は続けた。
「抱き締めたまま寝たら、今朝、目を覚ました祐季から頬を叩かれたのだ! 私の腕の中では穏やかに眠っていたと伝えたら、顔を赤らめて照れておった。はぁ……愛らしい……。」
嬉しそうに語っている鯉登だが、男という生き物が、意中の女をただ抱き締めて眠るだけで満足出来るわけがない、と月島は祐季に少し同情した。
月島軍曹が運んで来た二人分のお膳を部屋の外に置き、鯉登と祐季は酒を飲みながら、食後の会話を交わす。
「鯉登さんの眉毛は母親譲りなんですね。」
「ああ。だが母上は色が白いから、私のこの色の黒さは父上譲りだ。」
酒が回っているのだろう。鯉登はわかりやすく上機嫌で、家族のことを楽しそうに語った。
両親はお互い薩摩の生まれで、父は寡黙だが家族想いで部下想いの、男前な海の男であること。
母は父より表情豊かで、心配性なところはあるが、とても優しい性格をしていること。
13歳年上の兄がいて、自分が8つの時に船で戦死したこと。母親に似て色が白く、「桜島大根」と鯉登がからかっても怒らない、優しい兄だったこと。
兄のことが大好きな鯉登は、話の途中で声を詰まらせて、泣きそうな顔を一瞬見せたが男なのだから泣き顔は見せまいと顔を逸らした。
こういう時にどんな言葉をかければいいか、祐季にはわからない。泣いている人間を慰めるのに最適な言葉など、何も浮かばない。
「…………祐季は、家族の話を聞かせてくれんのか。」
「…………。」
俯いて黙り込む姿を見て、鯉登は月島軍曹の言葉を思い出す。
【恐らくですが、祐季さん自身に、良い母親に育ててもらった経験がないのでは?】
良い母親、と聞いて鯉登の頭に浮かぶのは、自らの母親である鯉登ユキだ。
(母上はお優しく、父上のことも鯉登家のことも常に支えて下さっている。私が急に進む道を変えて陸軍士官学校の受験を決めた時も、勉強漬けの私によく夜食を持って来て下さった。)
では、隣で俯いている祐季の母親は?
娘が自分の子を産むことをためらうほどの母親とは、どんな女なのか?
鯉登は尋ねた。お前の母親はどんな女なのか、と。
触れてもらいたくない部分だろうし、答えてもらえない可能性は考えていた。だから別に黙秘を続けられても構わなかった。
しかし彼女は、答えた。
祐季の母親は、金目当てで結婚した人間だった。
贅沢な暮らしを夢見て15歳以上歳の離れた男に嫁入りし、浪費癖のある母親は、夫が長年かけてコツコツと貯めた金を短期間で使い果たしたという。
経済的に余裕がなくなったため、祐季が小学校に入学した辺りから、母親も外に働きに出るようになる。
祐季が学校から帰宅して家に誰もいない中、一人で過ごすことは珍しくなかった。宿題を見てくれる相手などいないため、一人だけで宿題を終わらせる。宿題が終われば音楽教室へ行って楽器を習い、帰宅後は働きに出かける前に母親が用意した、すっかり冷めた夕食を一人で食べる。
両親がそれぞれ仕事から帰って来る頃には祐季は寝ており、翌日は朝早くに父親が仕事に出て、そのあとに母親が仕事に出て、最後に祐季は登校。
会話らしい会話は必要な連絡事項以外、ほとんど交わされることがない。
就職して実家を出るまでそんな日々が続いたと聞き、鯉登は絶句した。
「……家ではほとんど一人で過ごし、掃除や食器洗い、風呂の用意も私一人。褒められることもなく、母の愛情を感じることもありませんでした。周りの優しい母親たちが羨ましくてたまらなかったですよ。結婚して子を産んでも、母や私に少しでも似ているところがあれば、愛せるかどうか……。」
しっかりものを言い、堂々として見える彼女は、そうならざるを得ない環境で育ったのだと、鯉登は把握した。
話を更に聞き、元いた時代で彼女は誰と結婚するつもりもなく、子を産まないことで、自分勝手な母親と家庭に無関心な父親の血を、自分の代で絶やす気でいたことを知った。
「祐季は、自分の両親が憎いのか。」
「……私を生み出したことを責めるくらいには、憎いです。」
その目は、あの無愛想な部下が時折見せる、深い闇の色をしていた。