

据え膳食わなかったやっせんぼ
結局、鯉登と祐季の間には何も起こらなかった。
昨晩、鯉登はよっぽど酔っていたのか営外にある自宅ではなく、営内の、それも酒宴で使った大広間からあまり離れていないところにある部屋で、祐季を抱き締めて眠っていた。
宴会場の片づけを終えた宇佐美上等兵が廊下で大きないびきの音を聞きつけ、いびきの主である鯉登と、彼に抱き締められながらもすうすうと静かな寝息を立てている祐季を発見。
宇佐美は自分と同じく上等兵である尾形を呼び、「なぜ俺が鯉登少尉殿の面倒を見なければならんのだ」などととても嫌そうに小言を言われながらも手分けして、尾形は鯉登を営外にある彼の自宅へ、宇佐美は祐季を彼女の部屋へとそれぞれ運んで寝かせたのだった。
「酒が回っていたのにもかかわらず、鯉登少尉は祐季くんに一切手を出さなかったのか?」
「そのようです。」
「据え膳されておいて食わんとは……。」
そもそも酔わせる側があんなに酔ってしまっては意味がないだろう、と鶴見は呆れる。
渦中の人物である鯉登は、今日ここにはいない。
「鯉登は酒に強いはずだろう。どうしてあそこまでべろんべろんになってしまったのだ?」
「恐らく、祐季さんと話すことに夢中になるあまり酒を飲む時間配分を誤り、短い時間で大量に飲んでしまったためかと。」
「全くどうしようもないな鯉登少尉は。」
フルフルと首を横に振ると、鶴見は「次の策だ」と、月島に今日の仕事を伝えた。
「やはりおなごは台所に立つ姿が様になるな、月島軍曹。ズッ。」
目の前で手際よくせっせと調理をしている祐季を見つめ、鯉登は視界の端にいる月島に声をかける。
「そうですね。」
特には感情を込めず、月島は適当に相槌を打ち、お茶を啜る。
鯉登はお茶ではなく、鼻をすすっている。
というのも、昨晩鯉登少尉を自宅まで運んだ尾形上等兵が、布団を敷くのが面倒だったのか部屋にある長椅子に鯉登を寝かせ、上から何もかけてやらずにそのまま行ってしまい、見事鯉登は風邪を引いてしまったのである。
「尾形上等兵め……。私のことを陰でボンボンと悪口を言って舐め腐るわ、私を寒い部屋に放置して病人にするわ、とんだ男だ!
ズビビッ。」
ここは営外にある鯉登少尉の自宅である。
自分では全く料理をしない鯉登は専ら仕出しを頼むか外で食べるかなので、自宅にある台所は殆ど使われたことがない。
未来ではかまどで調理することがないと祐季が言うので、月島が火の起こし方などの基本を教え、手伝った。
しばらくして、祐季特製の《たまご粥》が完成した。
茶碗によそったたまご粥を持って鯉登の側に来て座り、匙と一緒に茶碗を差し出す祐季。
「熱いんで、気をつけて食べて下さいね。」
そう声をかけられ、一瞬だけ嬉しそうに茶碗を受け取ろうとした鯉登だが、すぐに伸ばした手を引っ込める。
「あれ、何か嫌いな食べ物が入ってます?」
「いや……その。…………祐季が食べさせてくれないか?
ほら、見ての通り私は病人であるわけだしな。」
「元気そうに見えますけどねぇ。」
「うっ! ゲッホゲホ!! うゲホゲホ!! …ほらな! どんどん酷くなるなこれは!!」
「……お粥吹き出しちゃったら大変なんで、咳が大人しくなったらゆっくり食べて下さい。お粥はここに置いておくんで。」
「そんな冷たいことを言うな!!」
今にも泣きそうな顔で縋りつく青年将校。
そんな彼を見て、祐季は思わず隣の月島を見る。
「鶴見さんが頼んだんですよね、鯉登さんのお守り。」
「お守りって言うな。」
「そうだ。」
「そこはお守りという言葉を否定してくれ月島ぁ!」
まるで3人でコントを演じているようで、祐季は段々と楽しくなってきた。
枕元に置いたお粥を再び手にすると、匙で一口すくってふーふーと冷まし、鯉登の口元に運ぶ。
「はーい病人は大人しくこれ食べて、大人しく眠りについて下さーい。」
「眠りにつくって言うな縁起でもない……! それと、まるで赤ん坊に接しているかのようなその妙に優しすぎる声音もやめろ!」
文句を言いつつも鯉登は素直に口を開き、たまご粥をもぐもぐと咀嚼する。
「んん! 美味い! 味つけが私好みだ!」
「ありがとうございます。」
「この辺りの店はどこも関東寄りの濃い味が多くてな。私はこれくらいの優しい味が好きだ。」
そういえばそうだな、と祐季は名古屋で食べた味噌煮込みうどんや、近所で食べた関東風のうどんを思い出す。
「確かに本州の真ん中辺りだと、味噌も醤油も塩気が強いですね。」
「九州は違うんですか?」
「九州の味噌と醤油は甘みがあるんです。」
「味噌と醤油に甘み……?」
濃い味つけが好きで食べ慣れている月島は、甘い味噌と甘い醤油が想像出来ない。
「台所は使われた形跡がないのに、なぜか九州の醤油が置いてあって良かったです。」
「こっちの醤油がどうも合わんのでな。わざわざ送ってもらっている。」
九州人同士で盛り上がっているのをしばし見届け、頃合いだろうと月島は立ち上がる。
「……では、私はこのあと仕事がありますので失礼します。」
「あ、もう出ます?」
「祐季さんは今日と明日、泊りがけで鯉登少尉の看病をするようにと鶴見中尉から言伝を預かってる。
だから戻るのは俺だけだ。」
「キエッ!?」
「えっ、あー、わかりました。」
何の疑いもなく祐季が鶴見中尉の指示を受け入れると、月島は鯉登にそっと何かを耳打ちした。
「つつっつつつつ月島ァ!?」
「頑張って下さい。」
狼狽える鯉登に対し、月島はいつもの無表情でエールを送る。
あとがきという名のガヤ
鶴見中尉の企み、まだ続いてます。