

一つ屋根の下
無表情ではあるが、月島軍曹の存在はかなりありがたいものだったのだと、鯉登は身にしみて理解した。
というのも、さっきから祐季との間で言葉が交わされることがなく、すごく気まずいのだ。
たまご粥があるうちはまだ良かった。楽しそうに粥をすくい、雛に餌を与える親鳥のような感覚で次々鯉登の口に匙を突っ込む祐季と、賑やかな時間を過ごすことが出来たからだ。
しかし茶碗が空になると祐季はさっさと片づけに行ってしまい、今、鯉登は大人しく布団の上で座って待っている。
《この二日間で祐季さんを自分のものにして一緒になるように、と鶴見中尉から言伝を預かっています。》
月島軍曹が去り際に残した言葉が、さっきから頭の中でぐるぐると彷徨っている。
何だか顔が熱いのは、風邪のせいだけではないのだろう。
「夕食はたまご粥の残りですけどいいですか?」
「キエエエエエエエエエッ!!!!」
ひょっこり顔を覗かせ尋ねた祐季に、思わずけたたましい猿叫を上げる鯉登。
「え、駄目なんですか?」
「急に話しかけるから驚いただけだ!」
「なら、たまご粥あっためてきますね。」
少しの会話の後、またいなくなってしまった祐季。
彼女の姿が見えないだけで、自分はこんなにも寂しく感じるらしいと自覚するや否や、鯉登は布団から出て台所へと向かった。
「〜〜〜♪」
近づくにつれてはっきり聞こえてくるのは、彼女の歌声。
相変わらず、明治の日本では聞き慣れない変わった旋律だが、とても綺麗で惹かれるものがある。
歌いながらたまご粥を温める後ろ姿を眺めていると、まるで料理をしている新妻を見ているかのような嬉しい気持ちになった。
鯉登の実家では台所に立つのは母ではなく、屋敷で下働きをしている者たちであった。そのため《おふくろの味》というものはよくわからないが、祐季が作ったたまご粥の味はあたたかみのあるものであり、何より自分のために作ってくれたことがたまらないのであった。
鍋から茶碗ふたつに移したたまご粥と匙2本をお盆に乗せて持ち、振り返ったところでようやく祐季は鯉登に気づいた。
気づいたが、少し驚いた顔をしただけで、お盆を落とすことはなかった。
「寝てなくていいんですか?」
「もう良か。祐季がおらん中一人で寝らるっか。」
「大人なんだから一人で寝られるでしょう。…もしかして、今迄月島さんと一緒に寝てたんですか?」
「ないごっ月島と寝るんか!」
慌てて否定する様子を見るに、体調は大丈夫そうだなと祐季は安心した。
「……そろそろ寝っか。」
夕食後、片づけも済んだのでしばらく他愛ない話で盛り上がった2人。
しかし今は話題もなくなってしまい、お互い静かにお茶を飲んでいた。
それで鯉登は寝る流れに話を持っていったのだが、不自然な表情になっていないかと少々心配した。
しかし祐季は特には気にしていない様子だ。
「そうですねぇ。…あ、けどこの服のまま寝るとシワになりそうですね。」
「なら、そん箪笥に入っちょっおいん寝間着を着れ。着物ん着方がわからんでも、寝間着程度ならないとかなっじゃろう。」
鯉登が指で示した箪笥の引き出しを開けて、適当に一番上にある寝間着と帯を取り出す。
「じゃあちょっと着替えて来ます。」
「ん。」
別室に移動し、また祐季はいなくなる。
そわそわしながら待っていると、寝間着に身を包んだ彼女が戻って来た。
「……!」
「うーん、やっぱり大きいですかねぇ。……どうかしました? どこか変です?」
「いっ、いや……。」
鯉登が目を見開いて見つめてくるので、やはり帯の結び方がリボン結びなのはまずかったか、と祐季は視線を帯に向ける。
しかし鯉登は帯の結び方など今はどうでも良くて、自分の寝間着を好いた相手が着ているのを見たことで、脳内がパニックに陥っていた。
鯉登のパニックをよそに祐季は部屋を見回す。
「布団はそこの押入れに入ってるんですか?」
「いや、布団はこん布団しかなか。」
「えー。一緒に寝たら風邪が移りそうで嫌です。」
客人が泊まる時はどうするんだと祐季は思ったが、そもそもこの人が人を呼んで泊まらせることはないだろうな、とすぐに思考を止めた。
「畳とはいっても流石に床で寝るのはきついんで、あそこの長椅子使わせてもらいますね。」
「そしたや今度はわいが風邪を引っじゃろう!」
「…じゃあ一緒に寝ますけど、風邪を移したら一週間は無視しますからね。」
ほんの少しだけ嫌そうにしながら、祐季はもぞもぞと布団に入った。
「……おい。」
寝ようとしたら声をかけてくるので、祐季は閉じていた目を開ける。
枕元の明かりは消されており、視界は暗い。しかし目を閉じていたためうっすらと鯉登の顔が見える。
「厠について来て欲しいんですか?」
「違うわ! …月島から聞いたが、祐季は28だそうだな。」
「はい。この時代では年増ですね。」
年増、と聞いて鯉登はどこかムッとしたような顔を見せる。
「……見た目だけならもっと若い女に見えるぞ。」
「ありがとうございます。」
「ッ……少しは照れるなり恥ずかしがるなりしろ!」
「ふふっ、鯉登さんは可愛いですね。薩摩弁だと、確か『むぜ』って言うんですよね。」
「そうだが可愛いと言われて喜ぶ男はおらん!」
鯉登なりに怒っているのだが、目の前の彼女はふふふと笑うばかりで全く動じていない。
自分より年上だからこその余裕なのか、それとも遠い未来で生きていたからそもそもの感覚が違うのか。
いずれにしろ、鯉登は彼女の余裕を崩したくなった。
「っ!」
祐季の頭の両側には鯉登の手があり、彼に押し倒されているのだと祐季が理解した時、天井を背景に真剣な顔で熱っぽく見つめる鯉登が見えた。
「…わいを嫁にすっ。」
この状況になって、月島を通して鶴見が自分に鯉登の看病を泊りがけで任せた理由を祐季は何となく理解した。
「…月島さんが帰り際、鯉登さんに何か耳打ちしていましたけど、こういう流れに持っていくことを鶴見さんに間接的に命じられて、私と一緒になろうとしてるんですか?」
「!! い、いや、おいはほんのこてわいんこっが好いちょっ! …月島からそげんこっを言われたことは本当や。じゃっどん、おいは祐季んこっが好っじゃ!」
「……鶴見さんに拾ってもらえなかったら、私は慣れない時代と見知らぬ土地で、途方に暮れていたと思います。もしかしたら、死んでいたかもしれないですね。
鶴見さんには恩があります。養ってもらっている身です。だから鶴見さんが仰るんなら、私は鯉登さんと一緒になります。」
祐季の言葉を聞いた鯉登は納得がいかないような、どこか悲しげな表情を浮かべながら見下ろしている。
命令だから仕方なく一緒になる、みたいなことを述べた祐季だが、組み敷いてから一度も目線を合わせてくれていない。
そのことに、鯉登はふと気がついた。
「…さっきから、ないごてこっちを見てくれんのじゃ?」
聞いてみると目を泳がせたので、鯉登は口の片端を上げた。
「照れちょるんか。」
「ッ! …………今迄男の人から好きだと言われたことがないですし、鯉登さんは顔がいいんで……。」
「!! ……むぜっ…。」
普段は見せることのない彼女の動揺した姿を目の当たりにし、たまらなくなって口づけた。