2月14日



「竹谷君、どうしたの?」

社長がもらってきた、かつて高級せんべいが入っていた金色の缶の前に立ち尽くしている俺を見て、先輩はのんびり話す。同期の兵助や勘右衛門に「先輩にバレンタインのチョコ、貰ってきたんだよね」と言われていても立っても居られなかったのに、先輩たちに依頼された書類の用意は意外と終わらなかったし、会議室の予約が入ってなくて慌てて予約したし、書類の細かい修正が思ったよりも多かったり。とにかく、最初の「バレンタインのお菓子をもらった」報告から何時間も経ってから、やっとの思いで通称”お菓子ボックス”の中身をのぞき込んだら、何もなかった。

「いろいろ買ったんだよ。いろんな反応が見たかったし、甘いもの好きじゃない人もいるから」
「三郎、喜んでましたよ」
「あぁ、よかった。私その時会議中だったんだよね」

今日は珍しく甘味を求めない人がたくさん来たんだよ、とディスプレイの電源を落としながら先輩はゆっくり話してくれた。空の箱の中身に思いを馳せる。先輩のデスクの隣は空いていて、その上に立派な金色の缶がいつも鎮座している。その中身はいつも先輩が補充していたお菓子でいっぱいだった。先輩がいるときは先輩に一言話しかけてお菓子をいただくのがルールで、何処かのお土産のお菓子もその缶に詰めるのが暗黙のルールだった。一度、社内用にお菓子のサブスクリプションを導入したらどうかと話題になったけど、結局先輩のお菓子を選ぶセンスが好きで流れてしまった。
社内用のお菓子のサブスクリプションの話がなくなった時、正直ほっとした自分がいる。先輩と話す時間が好きだった。わざと会議が入ってない時間を狙ってみたり、お昼ギリギリを狙ってみて一緒に昼ご飯食べてみたり、先輩の業務が落ち着く16時くらいを狙ってみたり。先輩と話す時間が、声が、お菓子が、先輩が、好きだ。

「無くなっちゃったか。ごめんね、私も手持ちがなくて」
「……いや、まぁ気にしてないっすけど」

困ったように笑う先輩が可愛くて、でも困ってほしいわけじゃなくて言葉が見つからない。

「先輩からチョコ、貰いたかったっていうか……」
「え?」
「えっと……いや、今年一個も貰ってないんすよ、チョコ」
「そうなの?竹谷君カッコいいからたくさんもらってるかと思った」

サラッとお世辞か本音か分からないことを言うし、いちいち俺も舞い上がっちゃうし馬鹿みたいだなって思ったけど、今年はチョコが一個もないのは事実だし。

「じゃー、可愛い後輩竹谷君のためにおいしいカレー屋さんを紹介しましょう」
「へ?」

もうすぐ終業。先輩はもうディスプレイの電源を落としているし、他の社員の空気もまったりしている。月半ばだから、この部署が忙しい時期じゃないのはわかってる。

「行くの?行かないの?」
「……もしかして、カレーが茶色いからチョコにカウントできるんじゃないかと思ってるんですか?」
「思ってます。ね、行く?行かない?」
「い、行きます!」

思わず大きな声で返事をすれば、一瞬ビックリした顔からの笑顔。あーもう、先輩のこういう表情に弱いんだよな。PCの電源を落としたら会社の入り口に集合。そうと決まれば先輩を待たせるわけにもいかないし立ち去ろうとした時だった。

「竹谷君だけ特別扱いになっちゃうね」

小さい声で、俺にしか聞こえない声で。先輩の顔を見れば、いたずらっ子のような、大人なような、普段の先輩からは想像できない表情でぐらっと来る。先輩、それって期待していいの?聞きたかったのに、先輩はふわっと離れてゴミ箱のごみを回収し始めた。なんてことなかったみたいに「慌てないでいいからね」と笑いながら。

カレーにチョコ入れるって、聞いたことある気がする。



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