大事な常連さん
「……いつもの」
「かしこまりました!」
目の前に座る男性の平均身長よりやや低めの男性、中原中也さんはそのお洒落な帽子を頭から剥ぎ、低めの声で言った。
私はグラスを取り出し彼の所望する"いつもの"を作る為、 葡萄酒を片手に見遣った。
「なんだか御機嫌斜めですね」
「そうでもねェよ」
私は慣れた手つきでオリジナルカクテルを作り終え彼の目の前に差し出した。
「どうぞ!今日もお勤めご苦労様です!」
「おう。少しは作れるようになったか?」
「…お陰さまで、」
彼は差し出されたグラスを口許に傾けながら問うた。
このお店でバイトを始めて半年近く経った。
初めの頃は呪文のようなお酒を扱うことにとても苦戦していた。今では様になっているが中原にバーカウンター越しに指導されたのも記憶に新しい。それも良い思い出だ。
「それにしても中原さん、なんだか久しぶりですね。お仕事忙しかったんですか?」
「まぁな、やっと一段落ってとこだ。」
「それは良かったです。なんだかお疲れみたいですしゆっくり休んでくださいね。」
中原さんは私が作った葡萄酒ベースのカクテルを味わうように飲みながら少し間を置いて再び言葉を紡ぐ。
「九条、お前酒は嗜むのか?」
「私ですか?うーん、あんまりお酒を飲む機会っていうのがなくて…でも作るのは好きです!」
中原さんとはいつも他愛ない話をする。
それは学校帰りに見つけた素敵な本屋さんで見つけた文庫本の話だったり、この前受けた講義の内容だったり、近所の野良猫が子猫を産んだ話だったり、内容は様々で。でも共通して言えるのが全て私への問いかけであった。私自身、中原さんのことをあまり知らない。今だってそうだった。
「作り手が味を知らねェとは客として少し不安なものはあるなァ」
「そうですよね、マスターにも言われるんですけど1人で飲むなら誰かと飲みたいし、ましてやバイト中では飲めないしでなかなか…」
語尾を濁しながら言うと中原さんはまた少し間を置いて続けた。
「九条、今日は何時上がりだ?」
「あと30分くらいで終わりです!どうされたんですか?」
「30分か、待ってやるからバイト終わったら俺に付き合え九条。飲み直すぞ」
「えっ、ま、まぁいいですけど…
私でいいんですか?もっとお酒に強いお友達さんの方がいいんじゃないですか?」
私は正直吃驚した。目をパチパチさせながら控えめに答えると中原さんはまた口許にグラスを傾けながら言った。
「俺も1人でやけ酒みたいなこと本当はしたくねェんだよ、それにあの時お前に慣れた頃に味も教えてやるって言っただろ?付き合え。」
キョトンとした私はある出来事を思い出していた。そう、まだアルバイトを始めて間もない日にバーカウンター越しに教えてもらった時だ。あの時確かに中原さんは『作り手が味を知ってるのと知らないのとでは全然違う。今度そっちも教えてやるよ』そう言ったのを思い出した。真逆中原さんが覚えていたとは…私は完全に忘れていた。
「覚えていたんですね!ありがとうございます。では、今夜はお言葉に甘えます!」
明日は日曜日。学校も休みだ。
でも大切なお客さんの前では醜態を晒せない…ハメを外さない程度に飲まなければ。
「マスター、今夜九条借りるぞ。いいよな?」
「おやおや、九条さんを泣かせるようなことしないでくださいよ?大事なうちのスタッフなので」
マスターが笑みを含みながら中原さんに言った。うちのマスターは30代前半の所謂ダンディーななりの男性だ。含笑いも大人の魅力を感じさせる。
「餓鬼に興味はねェよ。許可はちゃんととったからあとでごちゃごちゃ言うんじゃねェぞ過保護野郎」
「分かりましたよ…九条さん、少し早いけど上がっていいよ、中原さんがお待ちだ。」
「えっ、私まだ残りますよ!あと少しですし」
「大丈夫だよ、くれぐれも送り狼にならないようにね?」
「…?ありがとうございます!では、マスターお先に失礼します。
中原さん着替えてくるのであと少し待っててください」
「おう、早めにな」
「はい!」