シ『それじゃあね!明日楽しみにしてるよ!』


『ん。ばいばい』



通信を終え、夜闇を映す鏡から夜空へと顔を上げる。金に輝く月を真っ黒な雲が覆っていくところだった。



『…………』



途端に景色が暗闇に飲み込まれていき、その影が私の姿も包み込もうと手を伸ばす。



薬「大将」


『……、』



後ろからかけられた声に反応すると、再び現れた月の光によってその影は姿を消した。何事もなかったかのように夜風が池の水面を撫で、サワサワと音を立てて吹き抜けていく。



『追いかけっこは終わりましたか?薬研』



背後に近づいてきた彼に声をかけると、彼は疲れたように溜め息をついて隣に腰を下ろした。



薬「えらい目に合ったぜ。乱と鯰尾の兄貴だけならまだしも、長谷部の旦那にまで追われる羽目になるとは」


『でも、撒けたんですね?』


薬「なんとかな。長谷部の旦那、偶然にも昼間に鶴丸の旦那が作ってた落とし穴に嵌まってな。今は鶴丸の旦那が追われてる」


『それは…』



ご愁傷さまと言うかなんと言うか…。他に言いようがありませんね。ご愁傷さまです、はい。

…あ、遠くから長谷部の怒鳴り声が…。聞かなかったことにしよう。



薬「妹と話してたのか?」



話題を変えようとしてか薬研は私の手元、鏡を見てそう訊ねてきた。



『はい。大和守と薬研に決まったと報告を。楽しみにしていると言っていました』


薬「念願の刀剣男士との対面だもんな」


『そうですね』


薬「大将も一ヶ月ぶりの面会なんだろ?現世だって久しぶりなわけだし、他には何もしねぇのか?」



他の予定はということだろうか。現世に行く時は買い物したり遊びに行ったり自由に過ごせと真黒さんにも言われている。

でも生憎と私にはそういう願望が無い。買い物なんて…買いたい物は万屋に行けばすぐ手に入るし、遊びに行くっていったい何処へ?瑠璃様も一ヶ月出禁にしてますし遊び相手なんか皆無です。

……あ、でも…



『病院の他に、一ヶ所だけ付き合ってもらうかもしれません』


薬「″かも″?」


『許可が下りなければ行けないので。行くときにまた教えます。それまでは秘密です』


薬「大将は秘密が多いな」


『薬研には話している方だと思いますよ?』


薬「違いねぇが、それでも俺っちだって知らないことの方が多いぜ?」



まぁ…確かに言ってないことの方が多いのは自覚している。皆さんは過去を話してくれたけれど、私の過去は話していない。

別に隠しているわけではない。言うタイミングが無かったというのは言い訳にしかならないだろうけど、私の過去を話したら彼らは再び自分の古傷を抉ることになってしまう。優しい彼らの胸に、これ以上痛みを与えたくないのだ。

…でも、やっぱりそれは私の我儘で、言い訳でしかないのだろう。強い瞳だと皆さんは言うけれど、私はそんなに強くない。弱くて汚くて…必死にならないと生きることさえも出来ない。ちっぽけな人間だ。

私がこんな人間だと知ったら、彼らはどう思うのだろうか?軽蔑される?引かれる?彼らから冷たい瞳を向けられるのは…、嫌だ。



『…薬研は知りたいと思いますか?私を』


薬「そりゃあ知りてぇな。大将の過去は特に」


『…どんなに…汚れた過去でも?』


薬「俺たちだって同じだろう?」


『それは…』


薬「無理に話せとは言わねぇさ。俺っちも皆も、今は心があるからな。辛い過去ほど言うのに勇気がいるのはわかってる」


『すみません…』


薬「良いって。でも、大将はもっと俺たちに甘えてくれて良いんだぜ?溜め込むことで潰されちまうなら吐き出してくれや。俺が受け止めてやる」



大将は全部背負っちまいそうだからなぁと笑うと薬研は優しい手つきで私の頭を撫でた。澄んだ藤色の瞳が綺麗で…、言われた通り、本当に全てを吐き出してしまいそうになる。

こんなことを思うのは初めてで、その戸惑いを隠そうと夜の景色に視線を移した。





ダメだ

吐き出してはいけない

イタイのも

クルシイのも

ツライのも

ゼンブゼンブ、呑み込むの

感じているのは長い長い時の中の

たった一瞬のことなのだから





瞳を閉じてそう自分に言い聞かせるのは何度目だろう?もう数えることすらも億劫になってしまった。



薬「大将?」


『…なんでもありません。皆さんそろそろ静まったでしょうか?』


薬「ああ、そうだな。寝るか?」


『そうですね。
明日はよろしくお願いします。おやすみなさい』


薬「こちらこそよろしくな、大将。おやすみ」










『…………』





薬「大将はもっと俺たちに甘えてくれて良いんだぜ?溜め込むことで潰されちまうなら吐き出してくれや。俺が受け止めてやる」





『……甘えたら……否、それは出来ないな』




そんなことしたら、私が私じゃなくなってしまう…

ごめんねと一言呟いて、私は部屋に入り襖を閉めた。


 

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