今だけは
外が明るくなった頃、うつらうつらと船をこぎだす男たちもでてきたようだ。
少し前から焼酎をお湯で割ったものに切り替えていた李典は、始めより大分赤みの差した頬でぐるりと部屋を見渡し、そんなことを思っていた。
目の前ではちっとも顔色の変わらない朱然が、さっきからずっととりとめのない話をしている。
それをなんとなく聞きながら、ふと視線はある一点で止まった。
「…………んん?」
「すう…」
「…ん…」
そこには、横倒しで重なるように横たわる二人の年少者の姿があった。
李典は長い睫にふちどられた目をぱちぱちとまばたきすると、グラスをテーブルに置き、気持ちよさそうに眠る二人に膝歩きで近寄っていった。
「……伊智子?蘭丸?おーい、寝たのか?」
「んー…」
「…完璧に寝てるわ。蘭丸も落ちてんな、こりゃ」
(誰かが私の名を呼んだ…。返事をしたいのに、頭が動かなくてまともな言葉がでてこない…)
伊智子は部屋の電気がまぶしいのか、眉をひそめて目をつむり、眠りの世界へ深く入り込んでいく。
李典はため息を一つつくと隣の部屋を指差して、蘭丸にもたれかかっている伊智子の肩をポンポン叩いた。
「…おい、お前ら、寝るならベッドで寝ろ。俺ら、まだこっちで飲むから…」
「んー…ぐう」
「おいおい…」
「え?そいつら寝てんの?」
「おい、朱然大きな声だすな。起きるだろうが」
面白そうに首を突っ込んできた朱然に小声で釘をさす。
そんな朱然が景勝に
「あいつ母ちゃんみたい」
とコソコソ言っているのを李典はグッとこらえて無視した。
李典は静かに、伊智子と蘭丸に寝室のベッドを使うよう声をかけるが二人は全く動く気配がない。
…それもそうか。
完全に寝てしまっている。
聞こえるはずもないだろう。
このまま寝かせてもいいのだが、いくらかペースは落ちて眠たそうな顔をしてても飲めそうな人間はまだまだいる。
話し声や物音で、もしかしたら起こしてしまうかもしれない。
できれば別室に移動させたほうが良いと考えたのだが…
「…抱えても良いんじゃね?」
「いや、そうはいっても…」
朱然にそう言われたが、蘭丸ならまだしも伊智子は女性だ。
仮にも、一応、ピンとこないが、女性なわけだ。
すやすや眠る二人の子どもを見て、さてどうするかと頭をひねっていると、服をひっぱられる感覚があった。
「…ん?」
そちらのほうを向くと、伊智子の手が自分の服をギュッと握っていることに気付く。
上着の裾をギュッと握ってむにゃむにゃ寝ている姿を見ていると、なんだか毒気が抜かれていくみたいだ。
女性だとかなんだとか悩んでいたのが一瞬であほらしくなってしまった。
李典は一瞬ポカンとした顔をして、すぐにフッと薄く笑顔を浮かべた。
「…しゅぜーん。俺のグラスとってくれ」
「そっちで飲むのか?」
「まあな」
朱然がグラスを持ってこちらに歩いて来てくれた。
ほらよ、と李典にグラスを渡し、ついでにぐっすり眠る二人を、しっかり握られた服の裾を見て、
「気持ち良さそうに眠ってる。小学生…いや、幼稚園児だな」
と楽しそうに笑った。
というわけで、眠った二人を寝室に連れて行くことを諦めた李典は部屋の隅で一人静かにグラスを傾けることになった。
いつもだったらグダグダしゃべりながら永遠に酒を飲んでいるので、こんなに静かな晩酌はずいぶん久しぶり、いや、初めてかもしれない。
「…おや、李典殿」
と、そこへ用を足しになのか席を立った楽進が通りかかった。
はじめは眠たそうに目をこすっていたが、李典とそのまわりの光景を見てクスッと笑った。
「…恋人を飛び越えてお父上…でしょうか?」
「なんでだよ。そこは兄貴くらいでいいだろ」
「申し訳ありません。伊智子殿に兄上はもうたくさんいらっしゃるようなので」
「…俺は母ちゃんも父ちゃんも願い下げなんだけど…」
「そのようですね」
謝りつつも、面白そうにフフフと笑いながら楽進は去っていく。
李典は珍しく楽進にからかわれたが、不思議と受け入れている自分がいることにすこし驚いた。
「…ったく…。母親役も父親役もピンとこねえが、今だけはお守しててやる。感謝してほしいぜ、全く」
そうこぼした李典はポケットからそっとスマートフォンを取り出すと、カメラアプリを起動する。
すやすやと仲良く眠っている二人にピントを合わせ、寝顔のツーショットを一枚だけ撮った。
これくらいいいだろ、お守りしてやってんだから。
「おい、盗撮やめろよ、変態」
「うるせーよ、馬鹿」
茶化してくる朱然に笑って冗談を返すと、李典はアプリを閉じてスマホを床に置いた。
…年の近い、妹と弟のような二人の寝顔を眺めていると、李典はなんだか穏やかな気持ちになれたのだった。
…ちなみに、そんな李典もいつのまにか眠っていたようで。
三人くっついて寝ている写真をしっかりと撮られていたことを本人たちが知るのは、もう少し後のお話。
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