ひみつの本屋さん。その1




今日はクリニックの定休日。

伊智子と隆景は2人でランチを食べたあと、ぶらぶら街を散歩していた。


「美味しかったですね、伊智子」
「はい!とっても。でも、出してもらっちゃって本当によかったんですか?」

ご飯に加えてしっかりデザートまで頼んでしまったのに、会計のときにサッと2人分支払いされた時はすごく焦った。
そんな伊智子に、隆景はいつもと変わらない笑顔を向ける。

「ええ、気になさらないで下さい」
「でも…」

「代わりと言ってはなんですが。これから少し行きたいところがあるのですが、お付き合いいただいてもよろしいでしょうか?」

それを聞くと伊智子は困り顔をパッと明るく変えた。

「もちろんです!どこに行くんですか?」

「古書店にいく予定なのです。昔からずっと欲しい本があるのですが、もう随分前に絶版になっている本で…。休みの日は大体都内の古書店めぐりをしているのです」

「古書店って古本屋さんですか?」
「ええ」

頷く隆景を見て、伊智子はなるほど、とどこか納得していた。

「そうだったんですね!隆景さん、休みの日いつも見かけなかったから不思議に思ってましたけど、出かけていたんですね」
「ここは地元に比べるとずっと店の数が多くて。ほぼ全ての休日を費やしてもなかなか回りきれなくて」

それでもまだ見つけられないのですけれど。と、隆景の表情が陰る。
そんな隆景の肩をポンと叩き、元気づけるように微笑んだのは伊智子。

「いつかめぐり合えるといいですね」
「…ええ、本当に」

伊智子の優しさにつられるように笑顔を取り戻した隆景はさぁ参りましょう、と駅へと向かった。



「……ん?」

駅へ向かう道すがら、人ごみの中でよく見知った後姿を見かけた。
ひょろっとした長身に、セットなんだか寝癖なんだかよくわからないふわふわした黒髪。
少し猫背気味の背中だけでもわかる。あの立ち姿は……。

「隆景さん、隆景さんっ」
「…ん?どうしました、伊智子?」

隣に立つ隆景の袖をちょいちょいと引っ張る。
隆景は違うところを見ていて気付いていないようだった。

「あの、あそこのあの人って…」
「…父上!」

こっそり耳打ちする。その途端、隆景はくりくりした目をぱちくりとさせて大きな声を上げた。
その声でこちらに気付いた人物は、いつもと変わらないのんびりとした顔でこちらへ振り向いた。


「隆景と伊智子じゃないか。こんなところで奇遇だね」


目尻にしわを浮かべて、ニッコリ。そんな効果音がつきそうなくらいにこやかな笑顔を浮かべているのは、クリニックの事務長であり、隆景の実の父親である毛利元就であった。

伊智子と隆景は元就に駆け寄り、思わぬ邂逅に喜んだ。

「こんにちはー、元就さん」
「やあ、こんにちは」

元就の大きな手が伊智子の頭をよしよしとなでた。

「父上、どこかにお出かけですか?」
「あぁ、本屋にちょっとね」

その言葉を聞いた隆景の視線がいくらかギラついたが、伊智子は気付かなかった。

「本屋さん?隆景さんも行くって言ってましたよね。さすが親子ですねぇ」
「そうなのかい?予定がないなら一緒にと思ったんだが…行先が決まっているなら仕方ないね。またの機会に」

「行きます」

「え?」

顎に手を当てて残念そうに言う元就の言葉に、若干喰い気味でさえぎった隆景。
キョトン顔の伊智子がそちらに視線をやれば、隆景はきらきらした目で元就を見つめていた。

「父上の選ぶ店にハズレはありません。むしろ行きたいです。ぜひ連れて行ってください」

きらきら、というよりはぎらぎらに近い必死さがあったが、その勢いに押された元就は若干戸惑いつつ頬をかく。

「そりゃあ構わないけど…行きたい店はいいのかい?」
「そうですよ、古本屋さんじゃなくていいんですか?」

それを聞いた元就はおや、と呟く。

「古本?あ、もしかして、まだ探し物中かい?」
「はい。東京に来てからも探してはいるのですが…なかなか…」

そう言って肩を落とす隆景。
落ち込む息子の姿を見て困ったように笑った元就は、先ほど伊智子にやったのと同じように、隆景の頭をぽんぽんと撫でる。

「そういうことなら。今から行くところは、新本も古本も置いているんだ。なかなか類を見ない品揃えだから、きっと見つかるかもしれないよ」

「父上…ありがとうございます!」

髪の毛をくしゃくしゃにされながらも、隆景は本当に嬉しそうに笑った。






「さあ、こっちだよ」
「はい、父上!」
「え、こ、ここ…本当に人間が歩く道ですか!?なんか…すご…せま…!」

元就の案内で、3人はしばらく入り組んだ路地裏を歩いていた。
伊智子が一人で来たら絶対に迷いそうな道のりをハァハァ言いながら一生懸命ついて行くと、やがて目的地にたどり着く。

「ここが…」


名前も知らないようなさびれた商店街の一角に、その店はあった。
隆景の口から感嘆の息が漏れる。

どことなくレトロな雰囲気のある店構えに、落ち着いた風合いの屋根や看板。
温かみのある木製の扉、使い込まれたドアノブが、この店に今までどれだけの人が訪れたのかを物語っていた。
奥のほうにはテラスも見える。ここの店主の趣味だろうか?もっと暖かくなれば日向ぼっこが気持ち良さそうだなあと伊智子は思った。



「じゃあ、入ろうか……」


元就がドアを開ける。
隆景と伊智子は、誘い込まれるように店の中へと入っていった。



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