ひみつの本屋さん。その2




3人が店内に足を踏み入れると、一瞬で空気が変わったような感じがした。

天井ぎりぎりまで設置された本棚の中には所狭しと大小さまざまな本が詰め込まれている。
文庫本くらいの大きさのものから、抱えるのが大変な図鑑レベルのものまで色々だ。
あたたかみのある照明で照らされた店内は俗世から切り離されたような独特の雰囲気があって、まる別世界に迷い込んだみたいだった。

「ここは……」

隆景は戸惑いがちに、しかし目は本棚に釘付けになりながら一歩、また一歩と歩みを進める。
その様子を見ていた元就はついつい苦笑いを浮かべた。

「この古書店は半兵衛の古い友人が営んでいるんだ。大衆向けから絶版の専門書まで品揃えが豊富だからとてもありがたいんだよ」

元就は何度かこの店に来ているような口ぶりだった。
それを聞いた隆景は、すこしショックを受けたような顔をして元就のほうへ振り向いた。

「父上……。このように素晴らしい場所を、どうして教えてくださらなかったのですか……」

「え?い、いやあ…内緒にしていたわけではないんだけどね。いつか連れて来ようとは思っていたよ。ただ、なかなか機会がなくて……そんなに睨まないでくれ。すまなかったよ」

恨みがましい目線を受けながら、「まあ今日は存分に楽しむといいよ」と、隆景の背中をポンと叩いた元就は探しものがあるのか、一人で店の奥へ歩いて行った。
そして隆景も、花の蜜に誘われる蝶のように店の奥へゆっくりと消えていった。


「2人とも行っちゃった…」

一人取り残された伊智子は、あたりをキョロキョロと見回した。
暇だからついて来ただけなので、特に目的もないし今これといって欲しい本もないのだ。

でも、この店の雰囲気はすごく好きだな、と伊智子は思った。

本がぎっしり詰まった本棚が等間隔を開けていくつも設置されていて、もともとは広い空間なのに通路がたくさんあるみたい。
天井まで本がびっしりなのに、不思議と息苦しさは感じない。

むしろ、宝探しをしているみたいでワクワクする。

対して本に興味のない伊智子でさえそう思うのだから、根っからの本好きである元就や隆景にとってはたまらない空間なのだろうな、と思った。

「私もなにか本読みたいかも…」

この古書店にすこし興味がわいてきて、何か面白そうな本があるか物色してみようと通路を進みだす。

そのときだ。


「――っ、」

「わ!ご、ごめんなさい」


キョロキョロしながら歩いていたら、前からやってきた人にぶつかってしまった。
通路が狭い上に本をたくさん腕に抱えていたようでよけきれなかったようだ。
しかしぶつかった衝撃でその人が持っていた本が一冊床に落ちてしまったので、伊智子はあわててしゃがみ、それを拾って差し出した。

「ごめんなさい、よそ見してました。――あ」

拾った本のほこりを落とそうと軽く表紙をはらっていると、その表紙がかつてよく見たものであったことを思い出す。
ついつい表紙をじっと見つめていると、目の前の人から怪訝な視線を感じてハッとする。

「す、すみません。じろじろ見てしまって」

謝りながら本を差し出す。
目の前の人はとても背がたかく、伊智子は首をうんと曲げないと顔が見えないくらいだった。

「…問題ない」

背の高いその人は特に気にした様子もなく本を受け取る。
店内の照明は控えめなので表情はあまり見えないけれど、怒っているようには感じなかったので伊智子はひとまず安心した。

「……」

するとその人はおもむろに、本を抱えていない方の腕をすっと伸ばして店の奥を指差す。
どうしたんだろう?と、伊智子とは比べ物にならないくらい長い腕、そして指先をじっと見つめた。

「?」
「……この先をまっすぐ行った突き当りに、この作者の著書が揃っている。気になるようであれば、見てみるのをおすすめするが」


「! ほ、本当ですか?実はこの本、中学生の時何度も読んでいたんです。今久しぶりに見てすごく懐かしく思えちゃって。教えてくださって有難うございます!見てみますね!」


なぜ知っているのかとか、なぜ教えてくれたのかなどは、この時の伊智子の頭には浮かばなかった。
が、思わぬ情報に嬉しくなり、指し示されたほうへ一目散に歩いていく。



男は伊智子の背中が教えた場所に無事たどり着いたのを横目で確認すると、静かにきびすを返す。
店の入り口付近にある少々広めのレジカウンター内に入る。そこは一面にじゅうたんが敷かれており、男は靴を脱いで椅子に腰を下ろした。

座り心地の良い革張りの大きな一人がけチェアに深く腰掛けると、カウンターの下、足元に何かが転がっていて足をぶつけた。


「…半兵衛。そこで寝るのはやめろと言っている」


男は表情を変えることも足元を覗くこともなく、慣れた様子でそう言った
するとカウンターの下からモゾモゾ動く影がひとつ。


「ふわ〜ぁ。だって〜、ここ、暖かくて…すごく寝心地良いんだもん。この時期はテラス行っても寒くて寝られないでしょ〜?ここが一番良いんだあ、俺……」


床暖房って最高だよねえ。そう言って再びゴロリと寝転んだ半兵衛は気持ち良さそうに目を閉じる。
官兵衛はそんな半兵衛の言葉を無視し、「そういえば」と話題を変えた。

「またあの男の姿があったな」

「…元就公のこと?資料探し兼息抜きじゃない?」
「卿らの会社はよほど暇と見える」
「ふふーん、今日は定休日なのでした〜」

「……若い者達も連れて来ているようだったが」
「若いの?」

ここはおよそ一般的な若者が好む店ではない。官兵衛はそう言いたいようだった。
半兵衛はそこでようやく目を開けた。

「隆景のことかな?息子さんだよ、元就公の」

似たもの親子だから、ここもきっと気に入ってると思うよ。と柔らかく笑う半兵衛に、官兵衛はふむ。と一瞬考えた。

「息子だけか」
「?……あ、もしかして、女の子もいた?なんかこう…犬っぽい」

半兵衛は両手をあたまの上にやって犬耳のように見立て、ふざけて「ワンワン」と鳴いた。
それをチラリと見て特に否定をしなかった官兵衛は、先ほど持ってきた本の束から一冊抜き取る。

「通路の真ん中で呆けていたが、児童書に興味があったようだ」

「…児童書かあ。伊智子らしいなぁ……」

ふふふ。と半兵衛はゆっくり目を閉じながら笑った。
そのうち小さな寝息が聞こえてきて、官兵衛は自身のひざ掛けをそっと半兵衛の体にかけてやった。

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