うっかり姜維


「伊智子よお…ちゃんとメシ喰ってんのか?」

「…え?」

休憩時間。
伊智子が食事をとるために奥へ引っ込むと先客には甘寧と姜維がいた。
自分のぶんのご飯をワゴンから取り出して、甘寧の隣にぽすんと座ったら手首をガシッと掴まれて冒頭の一言。

「た、食べてますよ…食べすぎなくらい」

伊智子はお箸を取ろうと伸ばしかけた手を宙ぶらりんにさせながら戸惑いがちにそう言った。

伊智子はもともと食べるのが好きだし、その証拠に今日だって夕食のからあげ定食を心待ちにしていたのだ。
とにかく今はお腹がへっているのでご飯を食べさせてください。と甘寧の手をふりはらう。
しかしその思いもむなしく、甘寧はめげずに伊智子へと手をのばす。

「にしちゃあ細すぎねえか?もっと喰え」
「ちょ、ちょっと、あまり触らないでくださいよ!」

肩やら背中やらをべたべたと触られてとうとう伊智子がキレそうになった時だ。
パッと手を離した甘寧が、わがままを言う小さな子どもをなだめるようなそぶりでわかったわかった、と言って自身の皿からからあげを一つ伊智子の皿へ移した。

「ったく、しゃあねえから俺のからあげいっこやるよ」
「な、何がしゃあないんですか!?いらないです大丈夫ですどうぞ甘寧さんが食べてくださいっ」
「んなっ」

子どものわがままをなだめるような態度が気に食わず、伊智子はから揚げを甘寧の皿へ戻した。
それを受けてムキになった甘寧は、戻されたかからあげを再び伊智子の皿に無理やり移す。

「やるっつってんだろ!喰わねぇといつまでたってもそんっな体型のままだぞ」
「な………っ」

なんてことを言うんだ。そもそもその発言は完全にセクハラだし。ねねさんにチクってやろうか。
ていうか甘寧さんは、初対面の時から人の体型にとやかく口をはさみすぎだ!

さすがにイラッときた伊智子だったが、一旦落ち着こうと思い深く深呼吸をした。

「………甘寧さん。たくさん食べたといって、そんな都合よくおっぱいやお尻になるわけではないんですよ。
何も考えず必要以上に摂取すれば、顔やお腹につくだけですっ」

「ご、ごふっ」

そう言って皿に移された甘寧のからあげをもう一度戻す。
目の前で姜維がご飯を喉につまらせたが、今は気にしている場合ではなかった。

「喰わねえことには何も始まらないだろうがっ」
そのからあげを再び伊智子の皿に移す甘寧。
「甘寧さんみたいに毎日筋トレしてる人とは違うんですよっ」

ひょいひょいと二つの皿を交互に行き来するからあげ。
目の前で宙を舞うからあげをただ見つめていた姜維はいまだに喉をげほげほさせて、2人の言い合いに口をはさめずにいた。

「いいから喰えって!遠慮すんな」
「もう、いりませんってば!姜維さんあげます!」
「え、ええっ!」

黙って聞いていた姜維の皿にからあげが移された。

「あってめこらっ!俺のからあげ返せよ姜維コノヤロー!」
「わ、私がとったわけではありませんよっ!」

結局甘寧は姜維の皿からからあげを奪ってもぐもぐと食べた。
争いごとに巻き込まれ甘寧に怒鳴られたかわいそうな姜維は、困った顔をして箸を置いて2人に向き合う。

「もう、喧嘩はおやめください。それに甘寧殿、さきほどからの発言は伊智子殿に失礼だと思います」
「ですよね!甘寧さん、言っていいことと悪いことがあると思いますっ」

味方を得た伊智子は、フンと鼻を鳴らしながら言った。

「くっそ…伊智子お前、入社当時の可愛げはどこいったんだよ…」
「甘寧さんに毎日からかわれていたらいやでもこうなりますよ」

つん。
伊智子は甘寧から顔を背けるようにして、ねね特製の美味しいから揚げに舌鼓を打った。

そんな伊智子の正面で、姜維も気を取り直してぱくぱくとご飯を食べ始める。
なかなか気持ちの良い姜維の喰いっぷりをぼんやり眺めていた甘寧は、眉根を寄せて口を開いた。


「…つうかよ。喰ってていいのか、姜維」

お前そんな喰うほうじゃないだろ、と続けた甘寧に「あ、確かに…」と伊智子も頷く。
医師はお客様と一緒に食事をとることがおおいので、出勤日にこうして夕食をとることは少ない。というのは周知の事実だった。

普段の姜維も例に漏れずだったのだが、珍しく今日はからあげを美味しそうに頬張っている。
姜維はお茶を飲み口の中のものを飲み込むと、さわやかな笑顔をたたえて頷いた。

「ええ。今日は21時からの常連様しか予定がございませんので。途中で腹が鳴らぬようにこうして食事をとっているのです」
「お前の常連ってあれか。あの、胸のでかい…」
「で、ですから。そのような発言はおやめください…」

「…………ん?」

甘寧の発言に顔を赤くしている姜維を見て、伊智子はふと思い出した。

姜維の本日の予約は確かにいつもの常連様一人だけ。
21時から延長を2つつけて合計2時間の予約だ。
曜日的にも混むほうではないから、普通であれば食事をしたって問題ないように思えた。

それだけならばいつもと変わらない。
しかし、重大な問題が発生した。

「…姜維さん、まずいですよ」
「ふえ?」
姜維は新しいからあげを頬張ったところだった。

「ご予約希望に、姜維さんと大食い対決がしたいってあったの忘れちゃったんですか」

姜維は半開きの口からからあげを落とした。

「大食い対決?はっはっは!なんだそりゃ!ヤベェな姜維、色々と。ぶふっ」
「姜維さん…私、この前ちゃんと言いましたよね…予約内容…」

「す、すっかり忘れておりました…ど、どうしましょう…」

姜維は頭をかかえてうなった。

予約がはいった数日前、伊智子は間違いなく姜維に確認をとった。
少々変わった内容の予約だったうえ、延長がかかっていたこともあり念入りにお願いしたにも関わらず。

「ああ…!私はどうすれば…!!どうすれば良いのですか、丞相ー!」

一人天井に向かって大きな声を出した姜維。
その様子を見た二人はこそこそと耳打ちした。

「な、なんですか?じょうしょうって」
「知らね」

普段とは違う姜維の様子に戸惑っていると、姜維がおもむろに休憩室を出ようとしていたので伊智子は慌てて声をかける。

「ちょっと姜維さん、どこいくんですか」
「腹の中のものを全て出してきます」
「やめてください!!!」

とんでもないことを言い出す姜維の手をつかみ、ソファに座らせる。
無理やりソファに腰をおろした姜維の表情は重く、これからお客様をお迎えするようにはまったく見えなかった。

伊智子と甘寧は一度視線をあわせると、姜維のほうへ向き直る。

「正直に話すしかねえだろ」
「甘寧さんの言うとおりですよ。ちゃんと謝ったら許してくれますよ」
「そうでしょうか……せっかくご予約をして頂いたのに…数日前から楽しみにして下さっていただろうに…やはりここは、」

「だーっ!吐くな吐くな!待て姜維!」

吐くしかない、と腰を浮かしかけた姜維の肩を甘寧がグッとソファに押しとどめた。
そのまま両肩に手をかけ、甘寧は姜維をにらみつけた。

「落ち着け。もう時間もねえんだから、諦めろ。喰ったもん吐いた口で客に会う気かよ」
「姜維さん、仕方ないですよ。取り繕う方が良くないと思います」


「うう…私は…いつまでたっても未熟者です…」


姜維はがっくりとうなだれ、そのうち準備があるからと部屋へ引っ込んでしまった。
伊智子と甘寧は姜維のことが気にかかっていたが、それに後ろ髪を引かれつつもお互いの仕事へ戻っていった。



そして日付が変わり、本日の業務が終了した。
仕事の終わった従業員達はホールに集まり、いつものように終礼をして何事もなく解散の号令がかかる。

「伊智子」
「あ、甘寧さん…あそこ」
「おう」

終礼のあと。
どちらともなく顔を見合わせた伊智子と甘寧は揃って姜維の元へ駆け寄った。

「姜維」
「姜維さん、どうでした?」

「ああ、甘寧殿、伊智子殿。それが……」




個室に入ってお客様と向き合った姜維は、開口一番床に手を付き、ことの次第の全てを正直に告白した。


「…ということで、ご希望に添えず申し訳ございません!どうかお許しを…」

額を床にこすりつける勢いの姜維はこれ以上ない程必死だった。
どんなお叱りの言葉が来るか冷や冷やしていた姜維に降ってきたのは、想像以上に優しいものだった。

「…そうだったかしら…?忘れてたわ。今日はもう食事してきちゃったもの」
「え…?」

「ま、そういうことだから。今日はいつものようにゆっくり楽しみましょ。さあ、隣に座って。話したいことがたくさんあるの」

差し出された柔らかい手は暖かく、赦された安心で姜維は天にも昇る気持ちであった。
それからの2時間は、とても楽しいものだった……。




「…ということなのです」
「ええ……?」

晴れやかな笑顔でそう言い放つ姜維の言葉には、一切の疑いはない。
元気になったのはいいことだが、今の話を聞いた伊智子にはどうしても姜維のように晴れやかな笑顔を浮かべることはできない。
ましてや「それはラッキーですね、一件落着!」と一緒になって喜べなかった。それは隣で話を聞いていた甘寧も同じだ。

「なんと運よくお客様も食事がお済みであったもので。なにごともなく…」

「姜維…」
「姜維さん…」
「…なんですか、おふたりとも。目が怖いです」

一歩、後ろに後ずさった姜維を追いかけるように甘寧が一歩前につめた。


「次、もし、万が一、ご予約があった時は、十分に謝って、お礼したほうが良いと思いますよ」

「な、え、それは…なにゆえ…」

「んな都合よくメシ食ってくるわけねえだろバカ。お前に気を使っただけに決まってんだろうがタコ」
「痛っ」

甘寧のデコピンが姜維のおでこに直撃した。

「ちょっと甘寧さん、ハッキリ言っちゃかわいそうですよ。姜維さん、おでこ大丈夫ですか?」

デコピンをされた上、バカだのタコだの言われ放題の姜維は額を抑えながらハッとしたように目を見開き、甘寧を見つめた。

「な、なんと…それはまことですか」
「まさか本当にラッキーだと思ってたのか」
「はい……」

返事をともに視線を床に落とした姜維に、甘寧は顔を覆って「ダメだこりゃ」と呟いた。


「……私はやはりとんでもない未熟者だ…!叱ってください、丞相ー!!」


ふるふると体を震わせて、天に向かって叫び出す姜維。

「だからじょうしょうって何?人?」
「あーくだらねえ、もう寝ようぜ、伊智子」
「はーい」

「丞相ー!」

「うるせえ!」

深夜。
すっかり人のいなくなったホールに姜維の悲鳴と甘寧の怒号が響いていた。




とあるマンションの一室。
徐庶、諸葛亮、ホウ統の3人は諸葛亮の部屋で酒を飲んでいた。

そんな時おもむろに諸葛亮がぶるりと肩を震わせた。

「……なんだか寒気が」

「孔明が一番暖房の近くにいるのに……?」

青い顔をする諸葛亮の背後には最新型の暖房機器がある。それを見た徐庶は苦笑いだ。
部屋の主である諸葛亮は「そのようなことは関係ありません」と首を振る。

「風邪じゃないのかい?やだねえ、この年になると長引いて困るよ」
「もう若くはありませんからね。夜更かしもほどほどにしたほうが良いということでしょう」
「は…ははは…」

諸葛亮の発言に地味にダメージをくらった徐庶は、視界の端でチカチカ光るスマートフォンを見つけた。

「あれ、孔明、スマホ光ってるけど。放っておいていいのかい?」
「え?ああ、いいです。こんな時間に連絡してくるのは私の知る限り一人くらいしかいません。うっとうしいので、無視します」
「…孔明、たまにひどいよな…」
「おや、良い人ができたのかと思ったけど違うみたいだ」
「あんなうるさいのごめんですよ。ところで元直、あなた今夜は泊まるんですか?」

ホウ統の冗談をかわせないあたりどうやらなんだか不機嫌そうだ。
本当は帰るのがめんどうくさいから泊まろうと思っていた徐庶は荷物をまとめる。
やつあたりを受けちゃたまったもんじゃない。そう考えたのは徐庶だけではないようで。

「いや…帰るよ。士元、孔明、風邪に気をつけて」
「じゃあ、あっしも帰ろうかね。じゃあね孔明」

ホウ統はマンションの隣の部屋へ。徐庶はすぐ隣のビルへと帰って行った。

2人がいなくなった部屋で、キッチンのカウンターテーブルに放置しているスマホの通知ランプがチカチカとうっとうしい。


「…はあ」


諸葛亮は深い深いため息をついたあと、重たい手つきでスマホに手を伸ばした。
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