酒は飲んでも
終業後、いつものように従業員全員でホールにあつまる。
皆の前に立った三成は、鐘会のことを報告すると厳しい顔で皆も気をつけるよう言った。
今回の問題は既にほとんどの者が周知していたようで、特に驚いたような声もあがらず、真剣な顔つきで頷いていた。

「それでは、本日もご苦労だった。解散」

解散の号令がかかる。今日は色んなことがあってなんだか疲れた。早く部屋に戻って眠りたい…。
そう思ってふらふらと歩いていると、きちんと前を見ずに歩いていたせいか誰かにぶつかってしまった。

ドン!

「あいてっ!」
「む……」

「…だから、今日の飲み比べでは俺が絶対に勝…あれ?景勝?」

時間ぎりぎりに終礼に駆けつけたものだから、ホールのはじっこ、玄関側にいた伊智子。
自室に向かうための階段はホールの最奥、反対側にある。
そのため、大勢の人の間を縫っていかなければならないのだが…

丁度伊智子とは反対方向、玄関のほうへ歩いてきた人物と思いっきり正面衝突した伊智子は、ぶつけた鼻をさすりながら一歩下がってあわてて頭を下げた。

「あああ、景勝さん、すみません、前をよく見ていませんでした」

景勝の広い胸に不可抗力ではあるがダイブしてしまった伊智子は米つきバッタのごとく平謝りだ。

「…大丈夫だ。それよりも、怪我はないか?」

「あ…大丈夫です、すみません…」

「気にするな、伊智子。景勝は体だけは見たとおり頑丈だからな」

そう言って景勝の肩をポンと叩いたのは景勝の義理の兄、上杉景虎だった。

景虎は景勝の隣にいればこそ小柄に見えるが、伊智子よりずっと背が高くて体もがっしりしている。
だが、顔はとても整っていて優しそうな雰囲気もある。おしゃれな服装も相まって、ファッション雑誌に載っていそうな今風の美青年だ。

その隣に立つのは義理の弟、上杉景勝。景虎の言うとおり、よく鍛えられた大きな体はちょっとした衝撃はものともしないらしい。現に伊智子はふらついているが、景勝のほうは微動だにしていない。その上相手の心配もしてくれるとは、海のように広い心をもった人物だ。
たくましい体つきと、男らしい顔。一見とっつきにくそうに感じるが、実は前述のとおりとても優しくて心が広い。
またなんでも相談したくなるような包容力を持っているので、医師にはとても合った性格と言える。

二人は揃ってこのクリニックでアルバイトとして働く医師。
実家は東北にあり、本業は大学生だ。今は二人で近くのマンションでルームシェアをしているらしい。


「なあなあ伊智子、俺と景勝。どっちが酒強そうに見える?」

「え?」

「俺たち、毎晩呑み比べしてるんだ」

景勝と景虎は血のつながりはないがれっきとした兄弟。
先に東京の大学に進学していた景虎の部屋に、少し遅れて上京してきた景勝が入ってきた。

実家はすごく有名な酒蔵で、もともと東北生まれの景勝はザルなみに呑むらしい。
生まれは東京の景虎は(説明するととてもややこしいが、複雑な家庭環境のようだ)、いつもいいところで(本人談)寝入ってしまうのだそう。

そのことを前々から聞いていた伊智子は景虎の問いかけに答えることができず、あいまいな笑顔を浮かべるだけ。
そんなことも知らない景虎は、伊智子が質問に答えなかったことも対して気にせずに、今日も酒盛りをする気満々だ。


「まあ、今日こそは俺が勝つ!なんたって、今日の酒は……ん?伊智子、景勝、どうした?変な顔して」

「景虎さん…呑みすぎは体に良くないですよ」

「…そうだぞ、景虎。…勝敗などに囚われず…そろそろ酒の呑み方を覚えた方が良い…」


意気揚々とこちらに向けて気合をいれる景虎に、つい言葉が出てしまう。
すると隣にいた景勝も同調するように低い声を出した。
伊智子も景勝も、景虎の体が心配だからこその言葉。
たとえ、ルームシェアが始まってからほぼ毎日行われている呑み比べに、景虎が1回も勝てていなかったとしても。


「…なんだよ…二人して!お前ら、嫌い!!」

「ええー!!」

言われた言葉が図星で、真実だとしても心の幼い景虎は心の底から面白くなかった。
年下の二人に、まるで年長者のように諭されたのだから。
景虎は整った眉をキッと吊り上げて、子供のようなことを言ったかと思うと、フン!と背中を向けてしまった。

やばい!怒らせた!とあせる伊智子だが、もう遅い。


「ちょ、ごめんなさい!」

「うるさい!もーぜってー話しかけてやんねえからな!」


ばーかばーか!と吐き捨てて、ヘソを曲げた景虎は玄関のほうへ走っていってしまった。
走り去る直前、キッと睨まれて何も言い返せなくなる。
おろおろとしながら隣に立つ景勝を見上げた。

「ど…どうしましょう、景勝さん…景虎さん、おこった……」
「心配せずともよい。明日には忘れている」

景勝の言い分はなんだか慣れている様子だった。
…毎日一緒に住んでいると、景勝の一言に景虎が腹を立てることなど日常茶飯事なのかもしれない。

「…景勝さんも、景虎さんの体を心配するなら呑み比べのお誘い、断れば良いのに」

「……断ると、無理やり杯を握らされ、勝手に酒を注いでくるのだ」

「な、なんて迷惑な」

注がれた以上は呑まなければもったいない。
飲み干せば、また注がれる。そのうち杯を空にしてもそのままにされ、おや、と思い横を見ると、一升ビンを握った景虎が真っ赤な顔で寝転がっている……。
ということらしい。

「…いつもお疲れ様です、景勝さん」
「…む」

景勝の苦労を想像してなんだかゲッソリした伊智子はぽつりと呟く。
景勝は静かに首を振った…。なんて出来た人間なんだろう…。


「……いずれ伊智子も酒が呑めるようになったら…わしらと呑もう…」


景勝はそう言ってフッと笑うと、伊智子の頭をくしゃっと一撫でし、背中を向けて玄関へと向かっていった。

数年後のお酒のお誘いを受けた…嬉しい…。
景勝の背中をじいっと眺めていると、どこからかいきなり現れた兼続がやってきてあれやこれやと話しかけていた。
声が大きいせいで割と距離があるこの場所でも声が聞こえる。

「景勝様!お疲れ様でございました!…おや?景虎様はどちらに?」
「……先に帰った」
「なんと!ではこの兼続、タクシーを呼んで参ります」
恐らく歩いて帰られた景虎様も、途中でお乗りになるでしょうと言って、外に飛び出して行った。タクシーはすぐ捕まるだろう。

兼続のあとを追うように、景勝もゆっくりと外へ出たことを確認すると、伊智子も自室へ戻るためにその場を後にした。

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