残酷なことば
このクリニックに拾われてから数日が過ぎた。
最初は四苦八苦していた業務にも、周りの人たちのサポートのお陰で大分慣れてきたある日のこと。

一見穏やかに見えていた伊智子の日常だったが、まだもう1つ問題を抱えていた…。





その日、伊智子はお昼を少し過ぎた頃、掃除でもしようかと休憩室を訪れていた。

「(あ……)」


するとそこには、政宗が換気扇の下でたばこを吸っていた。

誰もいないと思ってきたのに、よりにもよって一番気まずい人と鉢合わせてしまった…。
遠くを見ていた政宗も、扉が開いた際にこちらを向いてしまった。

「…」
「…お、おはようございます」

ばっちり目が合ってしまったので無視するわけにもいかず挨拶をする。
勿論返事が来るはずもなく、昔の面影を思い出して一人胸を痛くした。

許されるなら、今すぐ駆け寄って、今まであったことや政宗のことなどを話したい。話しかけたい。
でも、冷たい色をした左目がそれを許してくれない気がして、もう伊智子は政宗の顔もまともに見られなくなっていた。

見てしまうと…どうしても悲しくなってしまうから。


できるだけ政宗のほうを見ないよう、床に散らばったごみやテーブルのよごれなどを掃除していると、ふいに向こうから声をかけられた。


「…おぬし、いつまでここにいるつもりじゃ」


「え…」

正直、声をかけられて一瞬嬉しいと思っていた自分がいた。昔みたいにお話できるのかと思った。
でも、自分へ投げかけられた言葉はひどく残酷で、伊智子は空気のような声を漏らすだけだった。


「はよう出て行けと言っておる」


久しぶりにまともに見た政宗の顔は見たことのない表情をしていた。
いつの間にかたばこの火も消していたらしい。
両腕を組み、顔を少し傾けて上から見下ろすように伊智子を見る。
眉を吊り上げ、ひどく冷めた目つきと口で「出てけ」と言った。


「…で、でも…」


自分には、ここを出て行っても、帰る場所がない。
そう言いたいのに、政宗に、大好きだった政宗にいちゃんに睨まれて何も言葉が出なくってしまった。

距離をつめるわけでもなく、遠くから静かにこちらを睨む政宗に、立ちすくんでいると。


「政宗!!」
「政宗殿!」

バン!と扉が勢いよく開き、兼続と幸村が政宗の名を呼びながら休憩室へと入ってきた。
なんだか二人とも、すごく…怖い顔をしている。

二人はずんずんと室内に入ってきて、伊智子の近くまで来ると政宗をキッと睨んだ。


「先ほどから聞いていたが、我慢ならん!今の言葉、取り消せ!」


どうやら扉の向こうからも声が聞こえていたらしい。
特に兼続などはいつもの温厚な表情と言葉遣いはどこへやら。
思い切りけんか腰で叫んでいた。
幸村も兼続ほどではないにしろ、兼続の隣で静かに怒っているようだった。

いきなりの乱入者に少しひるんだ様子の政宗だったが、すぐにいつもの調子へ戻る。


「なんじゃお前らは!伊智子!おぬしもさっさと家族の元へ帰れ!!」


「………っ」


それは、今の伊智子にとって一番つらい言葉だった。
戻れるものなら戻りたい。もう一度会えるものなら会いたい。会って、話をしたい。

大好きだった政宗の口からそんな言葉を聞くとは思わず、伊智子は我慢できなくなってその場を走り去ってしまった。
自分の目から涙がぼろぼろこぼれているのがわかった。でも、それをぬぐうのもできなかった。
今はこの場からできるだけ遠くにいきたい。その一心だった。

三人は皆一様に伊智子が出て行った扉のほうを見ていたが、兼続と幸村は信じられないものを見るような目つきで政宗を振り返った。


「政宗…今のような言い方はないだろう!」

「政宗殿…なんとひどいことを」

二人揃って最低なものを見るような目で政宗を見た。
政宗はなぜいきなり現れた二人にこんなに言われなければならないのかわからず、イラついたように頭をかきむしった。

「う…うるさい!おぬしらには関係ない!わしはひどい言葉など言うたつもりはない!」

「伊智子には!帰る場所などないだろう!」

叫んだ政宗に負けず劣らずの声の大きさで兼続が言った言葉。
政宗はそれを聞くと、途端に怪訝な顔をした。帰る場所がないとは、どういうことだ?

「…どういうことじゃ」

「伊智子殿は…ご両親を亡くされているのですよ。住んでいた場所も追い出され…ここに雇われるまでの数日、その身ひとつで街をさ迷っていたそうですよ」

「…なん じゃと?」


政宗が目を丸くした。
政宗は、伊智子の両親が亡くなったことを知らなかったのだ。
知らない…そんなこと、知らない。
政宗はてっきり、伊智子の両親はもちろん健在で、ふらふら街を歩いているときにでもあの社長夫妻に声をかけられたのではないかと思っていた。
お世辞にも経済状況が良いとはいえないあの家から出て、ここで住み込みのような生活をして少しでも家のためになれればと考えてるのかと…そう思っていた。
現実は想像よりずっと重く…残酷だった。

そしてすぐ、自分の放った言葉の重大さに気づく。政宗は思わず、失ったはずの右目を押さえた。

「頼れる身内も友人もいなく、孤独な日々を過ごしていたと言っていた」
と兼続。
「出て行けなどと…残酷な言葉にも程がございます」
と幸村が言った。

幸村と兼続は、伊智子がここに入ってすぐ、迷子の伊智子を救出したときに聞いていた。
だからこそ、政宗の言葉に我慢ができなかったのだろう。

政宗はもはや二人の言葉が耳に入らなくなるくらい、自身の目の前が真っ暗になるのを感じた…。
そんな政宗に幸村がそっと声をかける。

「政宗殿は…」

政宗はゆっくり幸村のほうを向いた。
そんな政宗に、幸村は一拍おいて、厳しい目つきで言った。



「政宗殿は、伊智子殿の兄のような顔をしておいて、そのようなことも知らなかったのですか。」



幸村にそう言われた瞬間、政宗は頭を何か固いもので殴られた気がした。
そして政宗は、その後すぐに伊智子が去った方向へ走っていってしまった。

「あ!政宗殿…」

思わずぶつかりそうになった幸村が慌てて一歩避けた。
その場には、換気扇が回る音と、恐らく政宗のだろう、廊下を走る音が響いていた…。


「…少し、言い過ぎたでしょうか…」
「構わん。悔しいが、わたしが言うより大分こたえただろう」
「……伊智子殿、大丈夫でしょうか……」
「……ああ、心配だな………二人とも」

伊智子と政宗がいなくなった休憩室で、二人はそんなことを話していた。
できることなら二人が和解してくれれば良いと、兼続と幸村は心から願っていた。

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