物置前の攻防

グスン…グスッ


政宗はある一つの場所の前で立ち止まっていた。
およそビルの中で探せるところは全て探した。残る場所はここだけで…かすかに、鼻をすする音も聞こえる。

そこはアルバイト以外の医師のほとんどが寝泊りしているフロアに存在する用具室――というか、物置だった。
普段ならば誰も足を踏み入れることのない場所。

おそらくここに伊智子がいるのは確実。しかしそれを認識してしまうととたんにひるんでしまう自分がいた。

先ほどからノブに手を握ろうとして、やめて、また手を伸ばして…と繰り返していると、まごついたその手を横から伸びてきた誰かの手が強く握った。


「……政宗様!」


小十郎だった。
どれだけ走って来たのだろう。肩で息をして、珍しいことに額に汗まで浮かんでいる。

「離せ!」
「離しませぬ」

政宗は掴まれた腕をグッと引っ張った。でも、小十郎は手を離さない。

「うるさい!わしは今…お前に構っている暇がないのじゃ!」
「…伊智子様のことが、…そんなに気になりますか」

小十郎が呼吸を整えながら言った。
政宗は最初「うるさい、」と小さく言ったが、ふと二人の目が合ったとき、政宗の左目が小十郎の眼鏡の奥の鋭い瞳を捉えたとき、政宗はサッと顔色を変えた。



「…小十郎、まさか、おぬし、知っておったのか」



政宗の唇がさまざまな感情でわなないている。
伊智子の両親のことを、知っていたのかという問い。
小十郎は動揺する自身の心を静めるように眼鏡を1回押し上げて、さも当然のことを言うように言った。


「…存じませぬ」

「その言葉、まことか!?」

政宗はぐっと小十郎に顔を近づけた。
政宗の左目に写る小十郎は、いつもの冷静さを欠いているように見えた。

小十郎はしばらく口をつむいで、政宗の瞳の中の自分と睨みあっていたが、存在しないはずの右目でも貫かれているようで、とうとう観念したように唇を開いた。


「……申し訳ありません。伊智子様がこちらに来てすぐに、三成様にお聞きしました」


小十郎の口にしたことは真実だった。

三成が不在の数時間、代理で様子を見ていたが疑わしいところは何ひとつなかったし、自分も伊智子という存在を好ましいと思った。
しかし、初めて伊智子と顔を合わす直前なにやら政宗ともめていた声を聞いたのも事実。
また、どうしてもここに就職することになった理由も明らかにしたかったため、三成であれば知っているだろうと聞いたまでだった。

三成は最初教えるのを渋っていたが、小十郎のクソしつこい粘りと政宗への忠義に折れた形となって最終的には教えてくれた。

三成、社長夫妻との出会いのこと。両親のこと。そこまで聞いて、政宗と幼馴染だという過去を加えれば、おおまかなトラブルは想像するにたやすかった。



「なぜ…なぜ早く儂に報告しなかった!!」



政宗は小十郎の胸倉をつかんで叫んでいた。

きっと、小十郎が真実を早々に政宗に伝えていれば政宗の勘違いも、伊智子との思い違いもなかったし、伊智子を泣かしてしまうこともなかった。…人のせいにするのは良くないと思いつつ、それだけ政宗は伊智子の涙の理由となってしまったことに苛立ちを覚えていた。

「…申し訳ありません。お2人は幼き日からのお付き合いだったとお聞きしたもので…ご両親を亡くしたことを知れば、政宗様の業務に差し支えると思ったまででございます」


「そのようなこと関係あるか!儂はもう大人じゃ!公私の分別はついておるわ!じゃが伊智子はまだ子供じゃ!隣に立ってより添う者が必要なのじゃ!」


「…ご無礼ながら政宗様、寄り添う人間は政宗様でなくても良いのでは」

伊智子はもう既に孤独ではない。
ここで働く人間に信頼され、好かれ、寄り添う存在となりえている。
それは伊智子という人間の本質が招いたことであって、敵を作りやすい自分の主とは正反対だなと小十郎は思っていた。
そんな女性だからこそ、政宗もここまで固執するのだとは思うが…。

小十郎の冷静な言葉を聞いて、政宗は真剣なまなざしで首を横に振って、言った。


「小十郎…おぬしが「そう」だったように、伊智子は儂の家族も同然じゃ…。家族のそばにいてやらんで、なにが兄じゃ!」

「政宗様、」

「…もういい!そこをどけ!」


既に力の失っている小十郎の腕を振りほどき、政宗は身をひるがえして用具室の扉を開けた。

薄暗く、ほこりくさい室内。ガラクタに溢れて窓から光も届かない。足の踏み場もない。

一体どこから泣き声が漏れていたのかと思ったが…目をこらして、見つけた。

部屋の隅に鎮座する巨大なぬいぐるみに抱きつくようにして肩を揺らしながら嗚咽を漏らしている伊智子が、そこにいた。

政宗はその背中を見るやいなや足元に転がるゴミを蹴っ飛ばし、時折よろけながら歩みを進め、真後ろまで近づくと伊智子の肩をグッと掴んだ。


「…伊智子っ!」
「まさむねにいちゃん…」


ゆっくりと振り返った伊智子は涙で顔をぐちゃぐちゃにして、しっかりと政宗の顔を見つめた。
懐かしい呼び名に政宗は胸をわしづかみにされた気分になり、我慢できなくて伊智子を勢いよく抱きしめた。
黒く短い髪の毛に鼻をうずめると、シャンプーも洗濯洗剤も自分たちと同じものを使っているはずなのに、昔と同じ香りがした。
胸元をギュッと掴んでくる小さな手の感触がとても切なくて、政宗も少しだけ泣いた。


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