竜の家族の話
「それから政宗様は変わられました」


石を投げた当人はもちろん、今まで政宗につっかかっていた生徒が何かの圧力により学校から姿を消した。
うるさい人間がいなくなった代わりに、周りの生徒も教員も、政宗にはあまり近寄らなくなった。
下手なことをすれば自分も同じように飛ばされると思ったのか、腫れ物を扱うように接してきた。

周囲の環境のあまりの変わり様。失った右目。政宗の心に生まれた戸惑い、疑問、悲しみ、怒り、そして…諦め。
政宗の世界から色が消えた瞬間だった。


「授業にも殆ど出席しなくなり、夜出歩くようになりました。犯罪には断じて関わっておりませんでしたが、その代わり多くの女性と関係を持ち、それはもう享楽的な毎日を過ごしておりました」


夜に出歩くと、朝早くに起きられなくなる。お昼過ぎに活動を始めると、自然と足は学校から遠のいていく。
幼稚な嫉妬、不幸な事故が重なって、学年主席の生活は一変していったのだった。

無垢な子供には悪い大人が付きまとう。
見目の良い政宗と小十郎にはもちろん、耳のふさぎたくなるような話が山のように飛び込んできたが、ある程度の線引きはできている二人は怪しいことには一切手をつけなかった。

その代わり…とびきり可愛い男の子に手を出す大人の女には、されるがままになっていた。


「…小十郎。遊び呆けていたのはおぬしもじゃろう」


当時を思い出したらしい政宗が照れ隠しのように咳払いをひとつ。
なんだか聞いてるだけの伊智子も照れてきた。幼馴染の目覚めの話をここで聞いてしまうとは…。

「よい生徒でいることに飽きておりまして。それに、政宗様のおそばにおりたかったのです」

次は何があっても自分が守れるように。小十郎は強い視線でそう言った。


「…伊智子からの手紙は届いていたし、読んでいた」

気になっていたことを教えてくれた。よかった、読んでくれていたのか。
伊智子は嬉しくなって、「ありがとう」と言った。

「心が死にそうになった時、いつも読み返していた。だが…返事を書けなかったのは…すまない。何を書けば良いのかわからなかったのだ」

「政宗にいちゃん…」

「伊智子の手紙は本当に嬉しかった。新しく習った授業のこと、両親のこと、友達と喧嘩したこと、嫌いな食べ物を食べられるようになったこと」

そ、そんなことまで書いてたっけ私、と赤面する。と同時に、すらすらと内容を言えるほど読み込んでくれたのか…と思った。
くじけそうな政宗の心を支える一つの材料になれていたのなら、返事が来ないと文句を言いながら送り続けてよかった。と思った。


「…決まって最後には、儂に会いたい、と書いておったな。胸が締め付けられる思いじゃったぞ」


小学生の伊智子のおこづかいで会いにいける距離ではなかったからせめて、毎回手紙で会いたいと綴った。
ずっと書いていれば、いつか、政宗にいちゃんが会いにきてくれるんじゃないか…子供じみた、そんな希望を込めて。

でも今…だいぶ時間はかかったけれど、それが叶った。なによりも嬉しい。伊智子は思わず政宗に抱きついた。


「…ご無礼ながら。話を続けてよろしいでしょうか?」


小十郎の冷静な声が響く。政宗が「よい。続けよ」と言う横で、伊智子は「やば…」という顔で政宗からそっと離れた。
小十郎はせきばらいを一つ。話を続ける。


「そして、政宗様が中学校をご卒業なさる頃…お父上がご逝去されました。」


伊智子はえっ!と声をあげた。政宗にいちゃんのお父さんが、死んじゃっていたなんて…知らなかった。

政宗の父親は輝宗と言って、政宗によく似た優しいおじさんだった。家族で集まるときなんかは必ず美味しいおやつをくれたり、面白い話を聞かせてくれたりした。
決まって「政宗をよろしく頼む」と言ってくるので、そのたびに政宗にいちゃんのことは大好きだと伝えていた。
すると、政宗の父は政宗にそっくりの顔で本当に、本当に嬉しそうに笑うのだった。


「そして…政宗様が高校にご進学された頃から、政宗様は片倉の家に寝泊りするようになりました」
「…え!?」

たった今発覚した政宗の父のことで大分驚いたのに、次に飛び込んできた言葉にも盛大に驚く。

小十郎の家に居候する、ということは、実家は…?実家にいられない、なにか特別な理由があったのだろうか?



「…母上が、もう儂の顔は見たくないと」


「え、え…えっ!?」

政宗は床を見つめながら呟いた。

ちょっと待って、待って待って。
情報が多すぎて処理しきれない。


「…わしが授業に出なくなったあたりから、母上の様子が変わっていった。手術で目を取り除いた頃はもう、まともな会話はなくなっていった。手紙のやりとりが途絶えたのもそのあたりじゃ。東北に移り住んですぐに生まれた弟をひどく可愛がり…まるで儂のことを忘れようとしているようじゃった」

友人もいない慣れない土地で生まれて間もない乳児を育てながら、上の息子が毎日傷をつけて帰ってくること、そのうち非行を繰り返すようになっていくことはたいへんな負担になっていたようだ。
教科書どうりの理想の息子像が音を立てて崩れていく中、昔どうりに接するのは無理だったのだ。
暴力さえなかったが、口を聞くことはもちろん顔を合わすことすら嫌がっていたらしい。
たまたま家の中で鉢合わせると、あからさまに顔をゆがませて、腕の中の子供を隠すように背中を向けられる…。

政宗自身、心の中のどこかで母親の気持ちは理解はできていた。
しかし、中学生の子供にその現実は受け入れがたく、…つらかった。


「とても実家にいられる環境でなかったゆえ…小十郎の家に世話になっておったのじゃ」

「我が家には理解の深い両親と姉がおりましたゆえ。我が家にいる時だけは安心して下さればと思い…」

そして政宗は、小十郎が進学した県内の高校に入学し、卒業した。
高校生の頃は片倉家に世話になっている手前、夜中に出歩くことはなくなっていった。
だが進学先の高校にも中学校の同級生がいたため校内の評判や立場はなにも変わらず、他人は一切寄り付かない。

奇異の視線にすっかり慣れた政宗は、学校では常に小十郎といるか、一人だった。


政宗が高校を卒業する頃、一学年上の小十郎は東北を出て、都内の大学に通っていた。
小十郎が言うにはべつにどこの大学でも良かったし、大学に行かなくたって良かったが、自分が先に東京に行っていれば政宗も東京に戻りやすくなると思ってのことだったらしい。

政宗にとって様々な思いがかけめぐるこの地が、生きやすい土地でないことはもはや明白だった。


「小十郎が実家にいなかった1年間、片倉の人間は儂をずっと保護してくれていた…とても感謝しておる。そんな片倉家の後押しもあり…儂も東京に戻ろうと思い、上京した…」


政宗は一旦そこで言葉を切り、昔を思い出すように目を閉じて、少しの間言葉を発さなかった。

今ごろ東北の家はどうなっているのだろう。
手紙がそのうち届かなくなったから、同じ住所には住んでいないかもしれない。

おばさんと、政宗にいちゃんの弟さんは二人で生きているのだろうか。新しい父親はいるのだろうか。
伊智子の記憶には優しかったおばさんしか存在しない。そしてその優しかった記憶というのは、政宗のほうがたくさん、ずっとたくさん覚えてるのだろう……。

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