私の知らない物語

政宗が東京から東北に引っ越したのは12の頃。
以前から目指していた東北の名門中学校の入学試験に合格したのがきっかけで、寮にいれて離れ離れになるくらいなら…と、家族総出で土地を移ったのだった。
たまたま政宗の父が勤めていた会社にも東北支社があったこともあり、政宗が伊智子のことを少し気にしていたこと、また伊智子が鬼のようにゴネにゴネまくったこと以外はトントン拍子に進んでいった。

「成績優秀で中学校に入学してきた政宗様は、それは瞬く間に全校生徒に存在を認識されていきました。成績優秀、眉目秀麗、運動神経もとても良かったですし、人当たりもよくご友人がたくさんいらっしゃいました」

新しい土地での生活も、新しい学校での生活も、政宗のこれからのすべては順風満帆に見えた…。

小十郎が語る政宗は伊智子の記憶の中の政宗そのものだった。かっこよくて、勉強ができて、面倒見が良くて、頼りになる理想のお兄ちゃん。
自分のことではないのに、なぜか誇らしげになる伊智子。

しかし良い話はそこまでとばかりの厳しい表情の小十郎に向かって、ひとつ疑問の浮かんだ伊智子はおずおずと手をあげて発言した。

「あの、質問があります」
「はい、どうぞ。伊智子様」

まるで学校の先生みたいに対応されて、ちょっと面白いなと思って笑いそうになるのをこらえ、まじめな顔をして問いかける。
それはとても素朴な疑問だった。

「えっと…政宗にいちゃんの昔のことを、なんで小十郎さんが知っているんですか?」

「私は、政宗様の1学年上で同じ中学校に通っていたのです」

そうだったのか…。3人の年齢をまとめるとこうだ。
政宗は伊智子の2つ年上。伊智子は18なので、政宗はちょうどはたち。その一つ上ということは、小十郎はこんなに大人っぽくて、冷静で、すごい上から目線なのに、21歳だったのか…。

「先輩なんですね。政宗にいちゃん、小十郎さんのこと呼び捨てにしちゃダメじゃん」
「うるさい…小十郎、話を続けよ」

承知いたしました。と言って小十郎は話しをつづける。


「ですが…それを快く思わない者もございました。人の目を集めるというのはそういうこと…。政宗様は幾度となく呼び出しを受け、その度に傷をおつくりになっておりました。」

伊智子は自分の喉がひゅ、と鳴るのがわかった。
語る小十郎の表情は固く、隣に座る政宗も眉間にしわをよせていた。

「政宗様の力であれば、返り討ちにすることも十分可能…ですが、暴力でやり返すのは好まなかったのでしょう。暴力に耐え、次の日も何事もなかったかのように登校し、優秀な生徒でありつづける…そんな姿勢がますます相手の神経を刺激していきました」

最初の一週間は傷は残さないように。次の週は見えないところに。その次の週からは、袋叩きにあった。
そんな日がずっと続いていた。数ヶ月の間の出来事が、政宗には何年にも、何十年にも感じられた。闇の底のような毎日だった。

その当時ついた打撲、切り傷なんかは痕もなく綺麗に治っているが、伊智子はそっと政宗の頬に触れた。
大好きな政宗がそんな目にあっていたなんて…。

「政宗にいちゃん…かわいそう」
「ふん。小物のすることにいちいち気を砕いていられるか」

ひどいショックを受け動揺を隠せない様子の伊智子に向かって、たいしたことないといった風に鼻を鳴らした。


「そんな時…最悪の事態が起こってしまったのでございます。」


ある日、政宗様をよく思わない生徒が石を投げた。悪ふざけのつもりだったのだろう。
石はそのままいけば、政宗には当たらない方向に飛んでいった。
しかし、その軌道の先には…部活動中の生徒が立っていた。生徒は石が飛んできていることにこれっぽっちも気づいていなかった。
政宗は咄嗟に走り……そのまま、石は右目に直撃してしまった。


「……その時菌が入り込み、政宗様は右目の視力を失い…のちに眼球を切除することとなったのです」

小十郎がゆっくり語った最悪な出来事に、伊智子は言葉を失ってしまった。

政宗に対面すると、まず目に入る右目の眼帯。
その眼帯の理由に、そんな残酷な理由あったなんて…。

「そんな…」


伊智子は思わずぎゅっと政宗の腕に抱きつく。
そのまま政宗の横顔を見つめると、政宗がふとこちらを向く。
やさしい色をたたえた左目が細められ、安心せよと言う様にやさしく頭をなでてくれた。

「小十郎はその場におりました。政宗様をよく思わぬ方々が近くにいるのも気づいておりました。…なのに…それを防げなかった自分が情けなく…」

自責の念にかられた小十郎は深くうなだれた。
過去の自分がもっとうまく行動していれば…政宗の右目は失われることはなかった、と。

小十郎はその日からずっとその気持ちを持ち続けていた。片時も忘れたことはなかっただろう。

政宗はうなだれる小十郎に優しく、力強い声をかけた。

「何を言う。あの時、小十郎がすぐ救急車を呼んでくれたから大事には至らなかったのじゃ。
 …本当に感謝しておる」

「政宗様…」

政宗と小十郎の間に妙な空気が流れる。

中学校からの付き合いのはずなのに、今の二人からはなんだか…ずっとずっと昔、はるか昔から絆が続いているような、そんな感じがした。
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