/ / /

風呂から上がった二十三時。
鳴り響く着信音に導かれるようにスマホを手に取ると、画面には名前ちゃんの名前が表示されていた。


名前ちゃんから電話がかかってくるなんて初めてのことやったから、凄く嬉しかった。
でもその反面、名前ちゃんが電話するなんて珍しいことやから何か大変なことがあったんじゃないかとも思ってしまう。


覚悟を決めたように息を呑む。
そして恐る恐る通話ボタンを押し、おもむろに口を開けた。




「も、もしもし名前ちゃん?どないしたん?」


『侑くん‥‥会いたい。』


「えっ!!?ちょ、名前ちゃんほんまにどうしたん?!なんかあったんか?!」




普段の名前ちゃんからは考えられないくらいの台詞に動揺してしまう。
でも声のトーンや調子は名前ちゃんそのもので、だからこそ余計に狼狽えてしまった。




『ううん何もないよ‥‥それより侑くん、今どこ??』


「家やけど‥‥名前ちゃんこそ今どこ?‥‥おん、じゃあ今からそこ行くから待っとって。絶対そこから動かんといてな。じゃ。」




名前ちゃんから現在地を聞き、通話終了のボタンを押すと、施錠したのかも分からないくらいのスピードで家を飛び出した。









「あ、侑くんだ。やっほ〜〜。」




最寄り駅近くに急いで駆けつけると、花壇の縁に座っている名前ちゃんがヘラヘラというか、ふにゃっとした様子で笑いかけた。
めっちゃ可愛い‥‥可愛いんやけど今までの名前ちゃんとかなり様子が違う。




「名前ちゃん‥‥まさかお酒飲んだん?」


普段の名前ちゃんからは考えられない態度に動揺しながら近寄ると、少しアルコールの匂いがした。




「うん。今日ね、サークルで飲み会があってね、お酒を沢山飲まされたの。でも途中で抜け出しちゃったんだ〜〜。」


「えっ、沢山飲まされた?!抜け出したってことはやっぱりなんか嫌なことされたんか?!」


名前ちゃんが入ってるサークルには男も結構おるって聞いた。
きっとついこの間お酒を飲める歳になった名前ちゃんに、どんどんお酒を飲ませて、悪戯しようとしたんやろな。
名前ちゃんが酷い目に遭う前に迎えに来てホンマによかったと心の底から思う。




「ううん、されてないよ。急に侑くんに会いたくなったから抜け出したんだ〜。」


ふにゃりと笑いながら信じられないくらいの言葉を発する名前ちゃんの所為で、カッと全身が熱くなるのを感じた。




「そしてね、トイレ行く振りして抜け出したの。あ、お金はちゃんと置いてったから大丈夫だよ?」


いつもと違う名前ちゃんに動揺しまくる俺のことも知らないで、名前ちゃんは呑気に話を続ける。




「そ、そっか。今日は早うお家に帰ったほうがええよ名前ちゃん。家まで送ったるから。」


これ以上名前ちゃんと一緒におったらおかしくなりそうな気がした俺は、名前ちゃんちの方向に向かおうとした。


すると、名前ちゃんが後ろから俺が着ている服の裾を掴んだ。




「帰らない、今から侑くんちに行くの。」


「えっ、俺んち?!ちょっ、何言うてんの!?なんか今日名前ちゃんおかしいで?!」


「ダメなの?侑くんは私の家によく来るくせに。それとも誰か侑くんちに居るの?」


突然のことに慌てふためく俺に、名前ちゃんが口を尖らせる。
あ〜〜、こういう顔もホンマに可愛い。


確かに名前ちゃんちにはよく行くけど、それは遊んだ帰りに名前ちゃんを家まで送っていっただけのことで、家の中に入ったのは一回しかない。
前に一回名前ちゃんちに上がったら、名前ちゃんのええ匂いに包まれた部屋で、名前ちゃんと2人きりという状況に頭がおかしくなりそうやったからな。




「い、いや誰もおらんけど‥‥ホンマに俺んち行きたいん?」


「うん、行きたい。だって、ずっと侑くんのこと考えてたんだもん。」


どこまでもストレートな名前ちゃんに白旗を上げた俺は、仕方なく俺の住むマンションの方向へ向かった。


この先何が起こるかも知らずに。









「‥‥なあ名前ちゃん、こうやって男の家に行くことってよくあんの??」


家に向かう道すがら、隣で楽しそうに歩く名前ちゃんに尋ねた。


『そもそもなんで俺んとこに行きたいって言い出したんやろか』とか『もしかしたらこういうことはよくあることなんやろか』とか、次から次へと出てくる疑問が頭の中をぐるぐると渦巻いた。




「え〜〜あるわけないよ。あまり人の家とか興味沸かないしね。」


「じゃ、じゃあなんで俺んとこには行きたいって思ったん?」


困ったように笑う名前ちゃんの解答は、ますます俺を混乱させる。




「それは‥‥‥‥侑くんだからかな。」


はにかむように名前ちゃんに微笑まれた俺は、平静さを取り戻すように自分の髪をわしゃわしゃと掻きむしった。


名前ちゃんは東京に転校した後、俺がバレーで東京に来た時には必ず俺に会いに来てくれとった。
お互い別々の大学に進学してからも、偶然家が近いのもあって、よく2人で遊びに行ったりしていた。

高校の時には『付き合って』とか『好き』とか、よく名前ちゃんに言い寄っていたんやけど、名前ちゃんが転校してからは言わなくなった。

名前ちゃんは俺のことを嫌っているような感じはせんかったけど、もし拒絶されたら今までの関係が壊れてしまうんじゃないかと思ってしまって、怖くて言えんかった。


だから今でも、友達以上恋人未満のような関係がズルズルと続いている。




名前ちゃんは俺のこと‥‥どう思っているんやろ。









「て、適当に座ってええよ。」


少し散らかった自分の部屋を片付けながら、立ち尽くす名前ちゃんに声をかけた。




「じゃあ‥‥ベッドに寝ていい?」


「べ、ベベベベベベッド?!」


名前ちゃんの大胆な要望に動揺し過ぎた所為か、俺は手に取った雑誌数冊を床へとぶちまけてしまった。


ベッドに寝るということは、その‥‥誘っているということなのだろうか?




「‥‥ダメ?」


懇願するように、名前ちゃんが眉を下げた。
それに酔っている所為なのか、いつもより目がとろんと潤んでいる。




「いやっ、いや良いんやけど!俺は大歓迎なんやけど!」


「そっ?じゃあ侑くんも寝よ?」


動揺でブンブンと振る俺の手を名前ちゃんが握ると、意味深な発言をした。




「えっ、寝るってどういう意味‥‥ちょっ、うぉあッ!」


俺の手を掴んだ名前ちゃんにグイっと引き寄せられ、予想もしないことに目を見張る。


そしてシングルベッドに2人、向かい合う形で倒れ込んでしまった。




「ふふっ、おやすみ侑くん。」


正面で呆然と寝転がる俺に名前ちゃんが優しく笑いかけると、瞼を閉じた。


なんやこの状況‥‥名前ちゃんが相手の恋愛シュミレーションゲームか何かか?




「名前ちゃん‥‥?」


名前を何回か呼んでも全く反応がない。
の◯太くん並みの眠りにつくスピードやな。


ていうか名前ちゃんの寝顔、初めて見るけどめっちゃ可愛い‥‥。


せやけど癒される状況なんてものは無く、ここからはひたすら理性との戦いやった。


なんせ視線を下ろすと、名前ちゃんのTシャツの胸元から胸の谷間が見えてしまい、しかも横向きに寝てるからか谷間が強調されているのだ。


柔らかそうな唇と柔らかそうな胸が、嫌でも視界に入り、そして名前ちゃんのええ匂いが鼻をくすぐる。


それにしても名前ちゃんって‥‥結構大きいんやな。
少しくらいなら、触ってもバレへんかな。

‥‥いやでも、触ってしもたら歯止めきかなくなる気する。

でもよく考えたらこの状況って、名前ちゃんから誘ってるっていうことなんやろか?


『会いたい』とか『ベッドに寝よう?』とか言っとったし、友達だからとはいえ独り暮らしの男の家に平気な顔で上がり込むなんて、そうとしか思えへんような気もしてくる。




「名前ちゃん‥‥独り暮らしの男の家にのこのこ来るなんて、何されても文句言えへんで‥‥?」


覚悟を決めたように上体を起こし、すやすやと眠る名前ちゃんに話しかける。


『据え膳食わぬは男の恥』って言うし、それに、こんなに無防備に寝てる名前ちゃんが悪いんや。


名前ちゃんの顔にかかる髪を優しく払い、顔を近づけた。




‥‥いや、やっぱあかん。

酔った名前ちゃんに漬け込んで最後までしてしもうたら、それこそ名前ちゃんの信頼がなくなってしまう。


一時の快楽の所為で、今までの関係がなくなってしまうのは絶対嫌や。


意を決した俺は目を覚まそうと、頭をブンブンと振った。




「んぅ‥‥あ、侑くん‥‥も、ダメぇ‥‥。」


「!!?」


突然名前ちゃんが漏らした言葉に、ビクッと肩を震わせる。


恐る恐る名前ちゃんの方へ視線を向けたけど、名前ちゃんは瞼を閉じていた。




「こんな、大っきいの‥‥んっ‥‥無理だよぉ。」


またもや情事中かのような台詞を漏らした名前ちゃんにギョッとする。


い、一体どんな夢を見てるんやろか。
それとも誘っとるんか?これは合意の上ってことでええんか?


我慢の限界に達した俺は、名前ちゃんの上に覆い被さり、首筋に顔を近づけた。




「もう‥‥お腹いっぱいだから‥‥こんな大きいの食べられないよ。もう‥‥当分食べ放題はいいや。」


‥‥なんや、食べ放題の夢見とっただけか。


つらつらと出てきた寝言で真相が分かってしまい、拍子抜けしたと同時に我に返った俺は、名前ちゃんから離れた。


そしてこのままベッドから降りようとしたんやけど、いつの間にか名前ちゃんが俺の服を強く掴んでいて出来んかった。


どうにも出来ない状況に発狂しそうになった俺は、ベッドにまた横になって、手元にあったリモコンで照明を消した。


ハァ‥‥後少しで名前ちゃんの寝込みを襲うところやった。

名前ちゃんって、もしかしたら初めてなんやろか‥‥。
それなら尚更このようなことで初めては経験したくないやろな。


それか、俺の知らんとこで経験していたりしたら‥‥?
今回のように迫られて、断る男なんておるやろうか。まあ、俺は頑張って耐えたけど。

というか名前ちゃんが他の男に触られるなんて、考えたくもないわ。早う寝よ。




寝ろ寝ろと念じながら瞼をぎゅっとキツく閉じる。


名前ちゃんを視界に入れなければ大丈夫やろうと思っていたんやけど、名前ちゃんの匂いと、そしてシングルベッドという狭い環境によって腕が触れ合ってしまう所為で、一向に寝付けることができんかった。


ったくホンマに‥‥もし付き合った時には覚えとれよ名前ちゃん。









カーテンの隙間から差し込んだ光で目が覚める。
二日酔いの所為なのか、頭の周りが鉄の輪でじわじわと締めつけられるような痛みがある。
こめかみが鈍く痙き、意識にうっすらと霞がかかっているようだった。




「いったぁ‥‥‥‥‥‥‥えっ?」


頭の痛さに目を細めると思わぬものが視界に入り、目を見張る。


横向きに寝ていた私の目の前で、侑くんがスヤスヤと眠っているのだ。
それに辺りをきょろきょろ見渡すと、私の家とは様子が全然違う。


信じられない状況に、慌てた私はガバッと上体を起こした。


幸いなことに侑くんも私もちゃんと服を着ているし、頭は痛いけど腰とかあそこの痛みは全くない。
まあ、未だそういった経験は無いからどんな痛みなのかは分からないけど。


というより、何故このような状況になってしまったのだろうか。


確か昨日は、いつもは行かないサークルの飲み会に無理やり連行されて、両脇に座った先輩たちに沢山お酒を飲まされた。
『つまんないな、早く飲み会終わんないかな』と思いながら、次々と注がれるお酒を飲んでいたところまでは覚えているのだが。


ん?‥‥侑くんはいつどこで登場した?




「名前ちゃん起きたん?おはよ。」


声のほうに視線を向けると、肘枕をした侑くんがニヤニヤとした笑みを浮かべていた。


考えに没頭し過ぎていたのだろう、侑くんが起きていたことに全く気がつかなった。
そして驚きのあまり勢いよく退いた所為で、壁に背中を思いきり打ってしまった。




「っ!!‥‥お、おはようございます。」


「フッフ、そんな畏まってどうしたん?あ、体調大丈夫?昨日の名前ちゃん、ホンマ大胆やったもんな〜。」


「えっ、体調大丈夫?‥‥大胆やった?‥‥ま、まさか私たち本当に‥‥。」


侑くんの意味深な発言に、頭からさあっと血の気が引くのを感じる。


た、確かに服を着ているからとはいえ、絶対に何もなかったとは限らないよね。




「何もせえへんかったよ。」


「ほ、ほんと‥‥?」


少し胸を撫で下ろしつつも、半信半疑で尋ねる。




「ほんと、何もせえへんかった。‥‥俺はな。」


「えっ?‥‥えっ?!『俺はな』って何?!」




ニヤニヤしながらまた意味深な発言を突きつけた侑くんに、私は今にも泣きそうな顔で詰め寄った。









侑くんに昨夜のことを説明され、真相を知った私は、全身から力が抜けてしまいそうだった。


私がやったとは到底思えないのだが、私も昨夜のことは記憶が全くないし、そもそも侑くんは嘘はつかない人なので、事実なのだろう。


淫乱女のような昨夜の自分の行動に、さらに頭の痛みが増したような気がした。




「‥‥この度は多大なるご迷惑をおかけしまして、本当に申し訳ありませんでした。」


土下座ぐらいの深さで頭を下げて謝罪をする。


シングルベッドの上で、土下座をする女と土下座をされる男。
なんともカオスな状況だ。




「別にええよ。‥‥それより名前ちゃんさ、酔ったら誰にでもあんなこと言ってるん?」


「言わないよ。どうでもいい人に会いたいとか、家に行きたいとか死んでも言わないし‥‥酔っ払ってたとしても。」


穏やかな、でもどこか真剣な表情の侑くんに尋ねられ、視線を泳がせながら答える。




「じゃあ‥‥俺に会いたいってホンマに思ったん?」


「‥‥まあ‥‥そう、だね。」


直球に尋ねる侑くんから逃れるように、言葉を濁した。


確かに侑くんの言っていることは事実だ。
昨日の飲み会中『こんな飲み会より侑くんと遊んだほうがよっぽど楽しい』と思い始めた私は、それから『侑くんは今何をしているのかな』とか『侑くんに会いたいな』とか、侑くんのことばかり考えてしまっていた。




「なんで?なんで俺に会いたいって思ったん?」


「それは‥‥私が侑くんのこと‥‥その‥す、好きだからじゃない?」


「‥‥名前ちゃんが俺のことを好き?ちょっ、待って。えってかそうなん?‥‥ホンマに?」


しどろもどろではあったが私から思いを告げたにも関わらず、こういう時だけどこまでも鈍感な侑くんに苛々してしまう。




「‥‥好きって言ってるじゃん!これ以上変なこと言わせないでよね‥‥って、えっ?!」


怒ったようにまくし立てると、突然の展開に目を見張る。


侑くんに引き寄せられ、そして息が止まるほどギュッと抱きしめられているからだ。




「めっっっちゃ嬉しい!!俺も名前ちゃんのこと好き‥‥めっっっちゃ好き!」


「ちょっ、ちょっとやめてよ!大体昨日私、お風呂入らずに寝たみたいだし、汚いからほら‥‥ね?」


力を弱めるどころか更に抱きしめる侑くんを、宥めるように懇願した。




「心配せんでもめーっちゃええ匂いするし、俺んちの風呂入ってもええよ?あ、なんなら今から一緒に入‥‥いでっ!!」


「‥‥調子に乗らないで。」


馬鹿げたことを言ってのける侑くんの頭に、力一杯の拳骨を振り下ろしたことで、私はやっと抱擁から逃れることができた。




‥‥ようやく私と侑くんは、お付き合いし始めたのであった。





高二で出会い、二十歳で付き合い始めたふたり。付き合ってはいない関係で、酒に酔っていつもより甘えた&大胆なヒロインに翻弄され、そして葛藤する宮侑が書きたかったので、どうしても二十歳になってしまいました。ようやく付き合ったよこのふたり。おめでとう。