/ / /

「なあ侑、名字名前さんのこと知ってる?」




全日本ユース強化合宿中の夜、俺は布団を敷きながら、うとうとと微睡む侑に声をかけた。




「え‥‥何て?‥‥名字名前さんってまさか名前ちゃんのことか?!名前ちゃんのこと知ってんのか?!何でや!?何で名前ちゃんのこと知っとんねん?!」


俺が名字さんのことを話題にした途端、ついさっきまで眠りに就きそうだった侑が、カッと目を見開くと殴りかかりそうな勢いで詰め寄った。




「お、落ち着けって。俺、名字さんと同じクラスなんだ。ちなみに佐久早も。」


「‥‥あっ、あんたら井闥山か。通りで名前ちゃんのこと知ってんのやな。なるほどな。」


俺と近くにいた佐久早を、侑は蔑むような目で見遣る。




俺は正直驚いた。
高校でバレーボールをやっている奴なら、特に有名な佐久早は井闥山だということを知っているはず。
なのにコイツは、名字さんと同じ高校だと知った途端、佐久早と俺を井闥山だと認識したのだ。




「でもどうせ名前ちゃんと出会って1ヶ月も経ってないんやろ?俺と名前ちゃんなんてな、出会って6ヶ月目なんやからな!どや、凄いやろ!?」


「うん、凄い。たったそのくらいの期間で誇れるのが凄い。」


得意げに話す侑を、佐久早がいつもより一層眉をひそめながら指摘する。




「ほんとそれ。てか侑って、名字さんのこと好きなの?」


こんなに食いつくぐらいだから余程好きなのだろうと思いながら、わざととぼけた調子で尋ねた。




「好きってもんちゃうわ!名前ちゃんへの愛は海よりも深いからな!!ま、きっと名前ちゃんもそんくらい、俺のこと愛してると思うけど。」




あ‥‥うん。名字さんのことになると大分痛いなコイツ。


この合宿中、ずっと侑に対して飄々としてつかみ所のない奴だと思っていたが、名字さんのことになった途端こんなにも簡単にキャラが崩壊するとは。




「えっ、でも前、彼氏はいるのかって女子達に聞かれてた時『付き合ったことない』って答えてたみたいだけど。」


「なんだ。ただの妄想かよ。」


ちらっと小耳に挟んだ情報を告げると、佐久早がボソボソっと指摘した。




「妄想ちゃうわ、恥ずかしがってるだけや。でもそういうところがまた可愛いよな。な、そう思うやろ?」


「まあ確かに、名字さんのこと良いって言ってる奴結構いるしなー。」


高校で転校するなんて珍しいことなので、先日転校してきた名字さんは、同学年どころか一年や三年にも知られている結構な有名人だ。
名字さんは誰に対しても媚を売らず平等に接するし、面白いことを淡々と言うところもまた良いので、彼女の周りにはいつも人が集まっている。




「‥‥何やて??それどこのどいつやねん。早速明日井闥山に乗り込んだるわ。」


「‥‥なんかこいつ、名字のことに関すると途端に面倒になるな。」


「そうだな‥‥。」


軽い気持ちで名字さんを称賛しただけなのに、さっきまでの意気揚々とした表情からは考えられないほどの怖い形相へと変貌した侑を、佐久早と俺は遠い目で見つめた。




「もうええわ!今から俺と名前ちゃんのラブラブっぷりを聞かせたるからな!!指くわえて聞いとき!!」


そう言うと侑は、取り出したスマホを操作し、耳元にあてると、名字さんが出るのを今か今かと待ち続ける。




「あっ、もしもし名前ちゃん?もしかして寝とった?フフッ、やっぱそうやったんや。ちゃんと課題終わってから寝なあかんで〜ほんま名前ちゃんは可愛いな〜。あ、てかな、俺今どこにおると思う〜??」


長いコールを待ち続けた末、名字さんが応答したのだろうか、侑の顔がパアッと明るくなった。


というかなんだこの侑の有り様は。
目の前でデレデレと嬉しそうな侑と、練習中の侑が同一人物とは到底思えないのだが。




「えっ、せやけど何で東京おること知ってんの?!まさか以心伝心‥‥!?名前ちゃんどんだけ俺のこと好きやねん‥‥‥‥えっ?あ、俺前に言っとったっけ?」


ラブラブっぷりを聞かせたいんだったら、せめてスピーカーボタン押せよ。
名字さんがどう返答しているのか全然分からないじゃないか。




「おん、明日帰んねん。‥‥えっ、名前ちゃん俺が帰るのが寂しいん?ほんなら『侑くん帰らないで!』って言って新幹線に飛び乗ってもええんやで?一生面倒見たる、てか見たい。」




まだ一ヶ月しか関わったことがないが、名字さんはどんな時でも淡々としていて、少しミステリアスな人だと思う。
決して『寂しい』と言うようなキャラではないはずだが、名字さんがどう返答しているのか、気になって仕方がない。
というか、あの侑をここまで変貌させる名字さんは一体何者なんだ。




結局二人のラブラブっぷりというより、侑の痴態を夜が更けるまで見せつけられたのであった。









全日本ユース強化合宿も終わり、解散した俺と佐久早は駅のホームで電車が来るのを待っていた。




「あそこにいるの名字じゃない?」


「‥‥あ、ほんとだ。」


佐久早が指差した方向に視線を向けると、学校から帰宅途中なのだろう、制服姿の名字さんが反対側のホームを歩いていた。


名字さんを大声で呼び止めようと口から息を吸った瞬間、名字さんはある一人の背後に近寄った。




「あ、宮だ。」


呆然と見つめていた佐久早がボソボソっと尋ねた。
あの髪型、あの体型、解散したときに着ていたジャージ、確かに侑に間違いない。




すると名字さんは、後ろから侑の肩をポンポンっと叩いた。


肩を叩かれた侑がくるっと振り向く。
今までは単純な行動だったのだが、名字さんの行動に、俺たちは目を見開いた。




名字さんは意地悪そうな笑みを浮かべ、振り向いた侑の頬を、指でツンっとつついたのだ。




やられた侑は最初はぽかんとした表情を浮かべていたが、次の瞬間には嬉しそうに目を見開いた。
名字さんが突然現れただけでなく、あんな悪戯を、想い人である名字さんにされたんだから喜ぶのも無理もない。




「‥‥あいつ、犬みたいだな。」


「ほんとだ。飼い主に構ってもらえて喜ぶ犬みたい。」


本当に侑が犬だったら嬉しそうに尻尾をブンブンと振っているんだろうな、と想像した俺は声を立てずに笑った。









「名字さん昨日、侑と密会してたでしょ?俺見ちゃったんだ〜。侑と付き合ってるの?」


その翌日の朝、教室に入るなり名字さんのもとへ駆け寄ると、面白そうに言い遣った。




「えっ、あ、いや密会ていうか、ちょっとだけ会いに行ってあげただけで、ていうか付き合ってないし!」


普段は冷静な名字さんが、今では目を泳がせながら否定しているため、一目で動揺しているのが分かる。




「そうなの?仲良さげだったからてっきり付き合ってるのかと思った。」




「ないない。まあでも‥‥‥‥大切な人‥‥かな。」




いつもは感情をあまり表に出さない名字さんが、はにかみながら、でもどこか嬉しそうに呟く。


昨日の行動といい、今の反応といい、名字さんはギャップの塊で、意外な一面をまた一つ知った。




なんか‥‥侑があんなに名字さんにのめり込む理由が分かった気がする。


『名字さんがあんなこと言ってたよ』と侑に言ったら、あいつは絶対調子に乗るだろう。
このことは俺と名字さんの秘密だ。




しかしまあ、名字さんにこんな反応をしてもらえる侑が、俺はなんだか羨ましいと思ったのであった。