13


風吹く華


「ぅおりャァァァ!!」

土方さんなのか、
私を攫った人なのか。

どちらかの怒声と、何度も耳を貫く刃音。

奥歯が浮くような音が、真っ暗な視界に響いた。

耳を塞ぎたいほどの音なのに、

「ふっは…ぁ」

今一番、私を縛る感覚は生暖かい感触。

視覚が乏しいせいで、
より感覚が鋭く感じて気持ち悪い。

いくら逸れさせようとしても、逃れられない。

「くくっ、お前…土方の女だったのか。」

舌から解放された頃、男の声がした。
それに返事をすることもなく口を閉じる。


私は、
男の顔を知らない。

あの夜道、
土方さんのところへと歩いていた暗い道。

後ろから誰かに襲われた。

羽交い絞めにされて、
口を塞がれた手には布のような何か。

悲鳴を上げようと息を吸った時、鼻がツンとした。

何の臭いだろう…、
なんて考えてる間に気を失って。

気が付けばこの湿気臭い場所に居た。

「なァ、紅涙。」
「っやめてください!」

また掴まれた顎。
振り払うように顔を背けても、「馬鹿かお前は」と喉で笑う。

「自分の立場、分かってんのか?」

そう吐いた男は、
着物の上から雑に私の胸を掴んだ。

「っ、痛っ!!」
「何だ、優しくしてほしいのか。」

喉で笑う男は「我が侭な姫さんだ」と言った。
途端に胸に感じる冷たい手。

「っ!っやぁっ」
「ほら。ジッとしてねェとまた痛い思いするぜ?」
「っ…、ンぅっや、だっ、」

クツクツと笑う男の冷たい手が、
太ももにも感じて、下から撫でるように沿わされた。

「ッぁっっ、」

足がピクリと動く度に男は小さく笑った。

「…ますます欲しくなる。」

楽しそうな男の声が耳に入る度、後悔ばかりが頭を埋め尽くした。

ごめんなさい。
ごめんなさい、土方さん。

私が江戸で待っていれば、
こんな面倒なことにはならなかったんですよね。

私なんかが出来ることなんて限られているのに。

「っふ、ぅっ、」

どうして…、
行くって言ってしまったんだろう。

どうしてもっと、
冷静に判断しなかったんだろう。

「くく、泣くお前をヤるのも悪くない。」

やっぱり待っていれば良かった。

ごめんなさい、
ごめんなさい…っ、

「っ、土方っさんっ!」

「呼んだか?紅涙。」

彼の声を近くに感じて。

「土方さんっ!?」
「待たせたな。」

ああっ…、
すぐ傍にいる。

土方さんは、私のすぐ傍にいる。

その声に縋ろうとした時、
私に這っていた男の手がゆっくりと離れた。

「ほォ、万斉が殺られたか。」
「残念でござるが、拙者は殺られていないでござる。」

少し離れた右側から違う男の声がする。

「斬られたのは弦。もう拙者は戦えぬ。」

誰かの小さな溜め息が聞こえる。

「それで土方は斬らなかったってか。」

土方さんの声はしない。
でもそこにいる。

それが分かる。

それだけで、
私は泣きそうなほど嬉しかった。

「くくッ。甘いな、土方。」
"どこかの糖分馬鹿みてェに甘ェ野郎だ"

近くで下駄の音がした。
カチャリと刀を鳴らす音が聞こえる。


「殺るか殺られるか。必要なのはそれだけだろ?」
"違うのか、土方よォ"


息が、苦しい。
空気が張り詰めるというのは、このことを言うのか。

身体の芯が震える。

声を出したいのに、
空気ばかりを吸って声にならない。


その時、
離れた場所で「晋助」と呼ぶ声が聞こえた。

「今日は土方殿に免じて引き上げるでござるよ。」

張り詰めた線を切るように、その人が言う。

「拙者の侍魂に通ずるものがある。」
"雑魚は捕まったようでござるし"

遠くでガチャンと音がして、カツカツと歩いていく音が聞こえる。

近くで男が笑えば、
一瞬で空気が変わった。

「テメェら二人して甘ちゃんだよ。」
"さっきの殺気はどこに行ったんだか"

私の前で誰かが立ち上がる。

「…次会った時は、テメェの望むようにしてやらァ。」
「面白ェ、楽しみにしてるぜ。副長サン。」

どちらかが鼻で笑って、

「手放すのが惜しい女だ。」

男がそう言った。
その時にフワッと風が吹いて、

「っ!!」

身体を縦に裂くような痛みが走った。

「っテメェェェ!!!」

土方さんの怒声が聞こえる。

男は吐き捨てるように笑った。
「またな」と言い、下駄を鳴らして音は遠のいた。

小さな舌打ちがして、

「…、」

ああ、
こんな小さな音も聞こえるようになったと安心した。

「…。」
「…ぁっあの、」

普段に比べれば、ほんの僅かな沈黙。
今はそれすらも恐くて。

「っ土方…さん…?」

暗い視界の中、
私は土方さんを探す様に声を投げた。

「い、いますか?」

声を出せば、ドンと身体が揺れた。
締め付けられるような感覚に、抱き締められてるんだと分かった。

「っひ、土方さん…、ぁの…」
「…たかった。」
「え…?」

掠れていた土方さんの声。
首を傾げた時、すっと目隠しが外された。

暗かった視界には、
明かりのない倉庫すらも眩しく感じて。

目を細めた世界には、
頬に切り傷を負った土方さんが苦しそうに眉間に皺を寄せていた。


「…逢いたかった。」


僅かに震えた土方さんの手が、頬に触れた。

「かっこ悪ィよな…、手ェ震えてら。」

苦笑して、
土方さんの手が私の髪を撫でた。

「お前を失くすと思うと…恐くて…仕方なかった…っ。」

引っ張るように抱き締めてくれた腕。
「よかった」と声を漏らした土方さんの背中に、腕を回した。

「土方さん…っ、」

私も。
私も会いたかった。

土方さんに、

「逢いたかったですっ…」

切なくて、苦しくて。

何よりも、
嬉しくて。

いろんな涙が出てきて、
それを拭うように、土方さんの親指が私の涙を攫った。

よく見れば、
土方さんの身体には小さな傷がいくつもあった。

「私のせいで…、」
「…紅涙…、」

俯いてしまう私の髪を耳に掛けて、

「顔、見せてくれ。」

優しい彼の声が私の耳に入る。

頭に届く前に、
身体に染みて消えた。

惹き付けられるように、キスをして。

「っ、土方…さ、ん」
「…、あァ…、」

腕を伸ばして、首に縋る。
土方さんの後ろ髪が腕に触れた。

私の声に返事をして、
何もかもを攫ってくれるように舌を伸ばした。

「…そろそろ…やべェ。」

土方さんの体温が、私の身体が遠のいて。

「紅涙、」と呼んだ。
私が「はい」と言えば、「痛くないか?」と言う。

「どうして…ですか?」
「…それ。」
「"それ"?」

土方さんがゆっくりと指を差した。
伸びた先は私を指していて。

そろりと視線を下げれば、

「っ!なっ…何…?」

私の服が、身体の中心で真っ二つに裂けている。

赤く薄く、
滲む血を導くようにスッと傷が走っていた。

「そ、そう言えばさっき…、痛かった気が…。」
「高杉が去り際にやりやがった。」
"すまねェ"

土方さんはまた舌打ちをして、
私の二つに分かれた着物を両端から引っ張り、真ん中でギュッと持った。

「…傷の手当、しなきゃな。」
"早く宿に戻ろう"

土方さんは器用に私の着物を着付け、「歩けるか?」と手を取ってくれる。

「歩けます」と彼の手を取って、二人で歩き出した。

土方さんは私を見て、
また「マジでそろそろやべェ」と言った。

「あっあの、そんなに痛くありませんから私は」
「俺がやべェんだよ。」
「…土方さんが…ですか?」

私が軽く首を傾げれば、土方さんは「そうだ」と頷いた。
そして上を見上げて溜め息を吐く。

「土方さん?」

その空は、

蒼く、
僅かに紅く。


「宿屋に着けば分かるさ。」


長い夜の終わりを思わせたのに、

「せっかく会えたんだ、江戸へ帰る前にゆっくりして行こうぜ。」

にやりと笑う土方さんの顔は妖艶そのもので。

「あ…えっと、…はい…。」

先にある私たちの長い夜に、
目を背けて、頷くことで精一杯だった。


それから。

「これ、預かってきた書類です。」
"くしゃくしゃですけど"

何とか無事だった書類。
差し出せば、書類なんて放り投げて。

「わっ!」

腕を引きこまれた。

「俺、もう限界。」
「んんっ、」

私なんかが大坂に来て、
迷惑を掛けると分かっていた。

なのに、
やっぱり来てしまったことを謝ったのは熱の途中。

「っんぅっごめ、なさィっあアァ!」
「っ何を、謝ってんだよっ。」

どうしてその時に謝ったんだろうと思うけれど、

どうしてもその時、
頭にこびり付いて仕方なかったから。

何よりも、

「会いたくて…仕方なかったんです…。」
"そのために大坂まで来ちゃいました"

火照る身体を寝転ばせている隣で、
土方さんに力なく笑えば、彼は目を大きくして。

「どうしたいんだ?俺を。」

困ったように笑う彼とは正反対に、

また長く、
甘い夜が始まった。


「…紅涙、」


また、
こんな風に離れる時が来る。

きっと土方さんは、
その時もまた私を置いて、一人で行ってしまう。


「お前のためなら何だってしてやるよ。」


そんなこの人に、
私ができることは何だろう。

何度好きだと言っても足りないけど、

せめて、
あなたがどこに行っても、この気持ちを伝え続けよう。

そんなことを考えながら、
私はうとうとと深い闇に身体を沈ませる。

「紅涙、」

夢の底で、


「…ありがとう。」


土方さんの声が聞こえた気がした。


ReMake:2011.10.05
*せつな*
***Thank you for マウス1号さま!

***2008.08.23


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