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晴天


孤独な蝶は、
甘い蜜に誘われて飛んでいく。

進めば進むほど、
その匂いは甘く、心地の良いもので。

いつの間にか陽は陰り、

気が付けば、
ここは周りすら見えない闇。

だが寂しくはない。
そこにはたくさんの仲間がいたから。

唯一ある光に群がり、
いつか闇が明けるのを待つ仲間。

そして。
気が付けば。

彼女は蛾になった。


蝶の尾ひれ
― 往歳編 ―


「何してるッスか。」

どこか面倒そうな声がして、そちらへ顔を向ける。

派手な色が目に映った。
その上、膝上に切った丈の着物。

「また子さん、丈短くないですか。」
「てめぇの丈見てから言った方がいいッスよ。」

呆れに似た顔で隣に座る。
そして私の着物を見て、大きな溜め息をついた。

「また新調ッスか。」

私は自分の着物を見て、曖昧に笑む。

「いい加減殺す!」
"その笑みが腹立つ!!"

声にならない声で掻き毟る。
彼女がこう言うのには訳がある。

私の着物は全て、
また子さんが大好きな"晋助さま"から贈られたもの。

いつからか始まった。
頼んでもないし、強請ってもない。

私にくれる服は、
決まってどこかに蝶がある。

それもまた、
彼女が妬く要因の一つ。

高杉さまと同じ、蝶の柄だから。

「今回はここに蝶ッスか…。」
「あ、ほんとだ。」

二人して蝶の場所を探していると、

「…ダアアアア!」

急にまた子さんが声を挙げた。

「マジ腹立つ!!」
「私のお古で良ければ、どうぞ。」
「殺す!今日こそは殺すッス!!」
「あはは」

こんな話題で笑っていると、血生臭いことも忘れる。

私が鬼兵隊に入って、もう二年。
ここに入って、刀の技量も伸びた。

だけどそれを表沙汰に振るうことは止められていて。

『いいか、紅涙。』

私が動くのは、はみ出した時。

『お前は、俺の仕込み刀だ。』
"容易に手の内を見せる必要はない"

予想外の動きや、
仕留め損なった時、

塗り残してしまった場所を埋める存在。


「次の仕事、聞いたッスか?」

また子さんが、自分の拳銃を取り出した。

「まーた使えなさそうッスよ。」
"派手にドーンとかねーのかねぇ"

ここのところ、物の取引が多い。
そこで出る裏切り者の処分も、すぐに片付く。

「次は何の取引かな。爆薬とか?」
「さあね。あたしらは取引を成功させるだけッスよ。」
「そうだね。」

こんな風にしていると、
少しだけ、昔の環境に似ていると思う時がある。


私がここに来る前の環境。
家族のような仲間たちと過ごしていた時間。

二度と会えない、仲間。

あの頃は、

攘夷派とか何派とか、
そんな面倒なものには深く関わらず、

自分たちだけが生きていけるだけの力と媚で、毎日を過ごしていた。

それで楽しかった。
不満もない。

仲間が居れば、それで良かった。
それはずっと続いていくはずだった。

だけど、
誰かに壊された。

永遠に続くものはないと、
私たちは幼稚な存在だったんだと、思い知らされた。

確かに。
縄張り闘争もなかったし、
少し自分たちに驕っていた部分があったのかもしれない。

もっと疑っていれば、
あれは防げたはずだったんだから。


どこまでも透き通っていた、青い空の日。

そんなに高くない屋根の上で。


「気持ちー…。」

うとうとしていた私に、下から声が掛かった。

「紅涙、起きてるか?」

顔を出せば、
私と同じようにここを引っ張る存在の男。

「何?」
「寝てばっかいると鈍るぞ。」
「じゃあ相手してくれる?」
「遠慮しとく。」

私は刀を扱える方で、ここの縄張りを守る者。

彼は頭を使う方で、ここを上手く廻して守る者。

「紅涙、遣いに行ってくれないか。」
「遣い?」
「ああ。この簪を直して来てほしいんだ。」

彼の手から差し出された簪は、
黒色で、僅かな紅が彩られた簡単な造り。

どこの女にやるつもりか、この男が買ってきた物。

そのくせ、
大切に懐へ仕舞っていたせいで、闘争の時に折ってしまった簪。

「どこで直すの?」
「とりあえず小物屋にでも見せに行ってくれ。」

お世辞でも高そうな物には見えない。

確かに同じ物は難しいが、
買い直した方が安くすむはずだ。

「直すかどうかも兼ねてさ、他のも見てくれば?」

私は苦笑して手であしらった。
何より遣いに行く気はなかった。

守り番のような私が、
そんな小さなことで離れるわけにはいかない。

だけど彼は、
私の言葉なんて特に気にも留めず、

「どうしても、これを送りたいんだ。」

わざわざ頼む。

女は他にもいる。
私じゃなくても出来る用事。

「これが、似合うんだ。」

彼の顔に、思わず目を瞬かせた。

簪を見る眼。
随分と優しい顔。

あげたい相手。
さぞ愛おしんでいるんだろう。

「はあ〜…、分かった。」

表通りの小物屋は、
私たちにも良くしてくれている。

顔を出しに行くついでに、頼まれてやろう。

「今日だけだからね。」
「ああ、すまないな。」

男は嬉しそうに笑う。
「行ってくるよ」と簪片手に背中を向ければ、「紅涙、」と呼び止められる。

振り返れば、

「…、」

ただ黙って、にこにことしている。

「…何?」

不気味だ。

僅かに眉間へ皺を寄せれば、
男は「いや別に」と同じ顔で返事をする。

私はそれに首を傾げて、今度こそ足を進めた。


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