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道しるべの君


「早雨、聞いてんのか?」

暗い夜道。
原田さんが私の視界に突如現れる。

「ぅわ!…え、何ですか?」
「お前なァ…!」

ゴンッと握り拳を振り下ろされる。
目の前に星が見えた。

「いったァァァ!」
「ボケっとしてっからだろーが!」

手加減なんて優しいものは欠片もない。
土方さんとは比べ物にならないほど痛かった。

性に浮かぶ涙を耐えながら、「すみません」ととりあえずの謝罪を口にする。

「…お前、あんま副長に迷惑掛けんなよ?」

急に土方さんのことを言われて、私はゆっくりと原田さんを見上げた。

「…土方さん、何か言ってましたか?」
「いや?ただいつもと雰囲気が違ェから。どうせ長引いて悩むことなんてお前のことだろ。」
「はは…そうですか。」
「…。」

大きな身体の原田さんが、私の真ん前で立ち止まった。

「早雨。」
「何ですか?」

原田さんの顔は真剣。
こんな表情は、私をお説教する時しか見たことがない。

私はまた小言を言われるのかと構えていれば、


「俺達にも、話せよ?」


そんなことを言われた。

「…え…?」
「俺達みてェな野郎がお前の話を上手く聞いてやれるかは分かんねーが、」

意外な言葉に頭がついていかないまま、原田さんは「それでも、」と続ける。

「それでも俺達は仲間だろ?」

原田…さん…。

「副長に言えないことがあるなら、俺達にでも言えばいい。」
"お前のことを心配してんのは、副長だけじゃねーんだからな"

…もう…。
どうしてみんな、こんなに良い人なんだろう。

「…、っ、…はい!」

どうしてこんなに、優しいんだろう。
これだけの人たちに囲まれて、私はなんて幸せなんだ。

失うのが、惜しくなる。
離れるのが、悲しくなる。

でもそれはどうしようもないことだから、

…私は。

「ありがとうございます…原田さん、」

私は、
きっと誰にも言わないんだ。


たとえば私は、
"迷惑を掛けない"という意味を間違って認識しているのかもしれない。

私にとってそれは、
"頼らない"ということと等しく近い。


「…ん?あのオッサン、だいぶ酔ってんな。」
"ちょっと声掛けてくるわ"

だから土方さんは、私に"頼れ"と言ったのかもしれない。

…でも私は、
土方さんには、迷惑を掛けたくないから。

「それじゃあ私はこの辺りを見廻っておきますね。」
「ああ、気をつけろよ。」
「はーい。」

どれだけ想っていても、
それが甘えることだとしても、

私はやっぱり、
土方さんに、迷惑を掛けたくないから。

「"頼る"って…難しいなあ…。」

私の"頼る"は、きっと皆とは違うんだろうな。

ふうと吐きだした息が風に溶ける頃、


「…お前は早雨 紅涙だな。」
「…?」


左の方から声がした。
目を凝らせば、建物の陰から帯刀した男が動く。

一瞬にして張り詰めた気は、その姿を見てすぐに解けた。

「ああ、お疲れ様です。」

真選組の隊士だ。
彼も見廻りだったのだろう。
江戸は広いので、三組ほどに分かれて見廻りをしている。

彼の名前は出てこないが、顔に見覚えがある。

そうだ、この人。

「あの時はすみませんでした。」
「…。」
「ほら、土方さんを呼んでくるって言ったのに私できなくて。」
"局長に怒られませんでした?"

この人、

『マズイなー…局長が副長を呼び戻してほしいそうなんです。』
"何だか急用らしくて"

私が死ぬ前に、屯所内で話した隊士だ。

「…。」
「…あれ?覚えてませんか?」
"まあその方が私も有難いですけど"

そう言って笑った私に、隊士はフンと笑った。

「妹は動揺していたんだな。」
「?」
「これだけピンピン生きてりゃ、死んでいたなんて有り得ないだろう。」

"死んでいた"
そう言われて、私は息をのんだ。

隊士は不敵に笑って、抜刀した。

「え…?」
「死に損ないの早雨 紅涙。もう一度死ね。」
「あ…、あなたは…もしかして…」

『母は父を追うように死んで…兄と私は、仇を討つことだけを考えて生きてきた!』

「妹が世話になったな。」
「…そう…、」

二人で真選組に紛れ込んでいたということか。

「妹さんは…お元気ですか?」
「お陰様で気がおかしくなっちまったさ。」

もう接触はないと思っていたけど…そりゃそうか。
私の生きた姿を見てるんだもんね。

人を殺してしまいたいほどの恨みを持っているのに、放っておくわけがないか。


「でもまあ、お前の首でも持って行けば安心して元に戻るだろーよ。」


ああ、私は本当に温い。
考えがどこまでも中途半端で。

結局のところ、"今"しか考えずに生きているせいなんだ。


「死ね、早雨 紅涙。」


隊士は利き足に力を入れた。
砂利の小さな音が、ちゃんと私の耳に届いた。


しんと静まりかえる宵の闇。

遠くで、
鈴虫の声が聞こえた。


main part  END


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