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誰も誰のために


紅涙に、言った。

『これ、説明しろ。』

言ったら、
気になっていたことが全部、口から漏れた。

紅涙が隠す理由も分からない。
隠さなければいけないのは、誰のためなのか。

俺にすら、言えない。

「…。」

俺がただ、
自惚れていただけなのか。

「…ごめんなさい、…土方さん。」

紅涙が何度目かの謝罪を口にする。

へらりと笑っていたくせに、急にシュンとして。

余計に分からなくて。
苛立って。

「…。」
「…、」

何が"ごめんなさい"なんだよ。
謝るっつーのは、やらかしたから謝るもんだろ?

「…お前は」

一体何をしたんだ?

そう続ける前に、


「早雨ー、見廻りの時間だぞー。」


原田の声で途切れた。
俺と紅涙は無意識に顔を見合わせて、

「あ…今日、夜間見廻りの日だった…。」

紅涙は枕を持って苦笑した。

「…馬鹿。行ってこい。」

気まずそうな紅涙の顔に、俺は煙草に手を伸ばした。

「早雨ー。」
「いっ今行きます!」

急かす原田の声に、慌てて立ち上がる。

「…土方さん、」
「…。」
「あの…、もうすぐ…分かると思います。」

…どういう意味だ?

俺の表情で察したのか、
紅涙が一度口をギュッと閉じて、開いた。

「私の…こと。今は言えませんけど、…もうすぐ、分かります。」

最後に紅涙は「たぶん」と付け加えた。
俺が「どっちなんだよ」と失笑すると、曖昧に笑って「すみません」と言った。

…まったく、こいつは。

「…まァいい。とりあえず今日は逃がしてやるよ。」

俺は煙と一緒に溜め息を吐き出す。
紅涙は小さく笑って、「はい!」と頷いた。

「あっあの、」
「ん?」
「これ…持って行ってもいいですか?」

手にしているのは隊服。
俺はそれを「馬鹿か」と鼻で笑った。

「いいわけねーだろ。代えの上着使っとけ。」
「やっぱり…。」
「当たり前だ。お前、絶対処分するだろうしな。」
"俺が預かっててやるよ"

紅涙は「分かりました」とわざとらしい溜め息を吐いた。

「ほら、行ってこい。」
"原田に怒られんぞ"

顎でさせば、タイミングよく原田の声が響く。

「早雨ー!!」
「っ、はいー!」

こちらに振り返り、紅涙は笑う。


「じゃあ行ってきます!」


ああ、行ってらっしゃい。

口にせずに片手を上げて、紅涙の背中を見送った。

"違和感"ってのは、
些細なことにでも感じるもんで。

「…、」

いつもと同じことにすら、時折それを感じる。

現に今。

「…なんだ?」

紅涙がこの部屋から出て行くことに、俺は違和感を感じた。

原田と市中見廻りへ行くだけ。
別に紅涙の表情だって普通だった。仕草だって。

気持ち悪い。
身体の中に、自分でも理解できない物がある。

それは、なんだ?

ジッと集中した時、

「っ…?!」

俺の背後で気配がした。
すぐさま側にある刀に手を伸ばして、その気配へ振る。

「…、」

するとそこには、男が一人立っていた。

黒い髪で、俺よりも高い背。
俺が言うのも何だが目つきが鋭い。

「…どこの回しもんだ…?」

デカいくせに、反射神経はいいようで。
確実に捉えたと思った俺の刀は男に傷ひとつ付けていなかった。

それどころか、
男はまるで俺など気にもしていないというように、自分の両手を見てハッと笑った。


「おいマジかよ、コイツ。」
"俺の身体、斬られたの初めてだ"


そう言った男が、ようやく俺と目を合わせた。

「お前が土方 十四郎か?」
「分かってて来てんだろーが。」
「クク、確かにな。」
"俺はルカみてぇに間違えねーし"

男に緊張感はない。
もしくはそれを出していないのか。

こいつ…かなりできるのか?

「おい…お前は誰の差し金だ。」
「"差し金"?あーそんなんじゃねぇよ。」
「なら、どうやってここに入った。」

ここは俺の部屋だ。
俺の背後に立つには、障子やら襖やら窓から入るしかない。

だけど生憎、
それはどれも俺の眼に触れる位置にあった。
つまり、この男はそれらのどこからも侵入していない。

これだけ背が高いと考えにくいが、忍の残りか?
なら天井裏?
…いや、頭上ならなおさら気配は察しやすい。

「…。」
「すげぇな、アンタの頭ん中。」
「あァ?」
「疲れねーのか?」
「…。」

こいつ…、
まるで俺の考えが見えてるような言い草だな。

「違ぇよ。"見える"じゃねぇ、"聞こえる"だ。」
「…お前は…一体…。」

男は口を歪ませて笑んだ。

「頭のいいアンタが信じるかどうか分かんねぇけど、教えてやらねぇとな。」

ゆっくりとこちらに近づいてくる。

俺は後退しようと足に力を入れるが、身体が動かない。
まるで金縛りにでもあっているように筋肉がギシギシと揺れるだけ。


「俺も甘くなったもんだ。たかが人間一人のために。」
"ルカさえ間違わなけりゃこんなことにもならなかったのによ"


男は手を伸ばす。

「でもま、…いい機会か。」
"そろそろ俺たちも飽きた頃だった"

一人で呟いて、伸ばした手の平を俺の額に触れさせる。
そのまま鷲掴みするように、頭を握った。

「て、めェっ、!」

五体が動かないというだけでなく、身体の中の筋力も固まっている。

近くなった男を睨めば、
「良かったな、アンタ」と言われた。


「早雨はルカに惚れられたから、道が変わるんだ。」


"ルカ"…?
"早雨"…?
こいつ…紅涙を知ってるのか…?!

「紅涙に…っ近づくんじゃねェ!」
「俺が近づくんじゃねぇよ、お前がするんだ。」

俺の顔を覗き込んで、男は「でも、」と言った。

「早雨の道にはまだ中身がない。」

何の、話なんだ…?
紅涙に何がある…?!


「全てはお前次第。」
"アンタが、早雨の道を作る"


ぐぐっと俺の頭を掴む力が強くなる。

「くっ、…、」
「俺たちに出来るのは、お前を入口に立たせることだけ。」
「何をッ…言って、やがる!」
「土方 十四郎、しっかり見ろ。」

耳鳴りがして、目の前の色が濃くなっていく。
色が混ざって黒になる。


「しっかり見て、早雨のためになる道へ導け。」


男の声はどこか遠くて、


「ルカも…俺も、後悔しない。」


自分の息遣いさえも、聞こえなくなった。


「…早雨を、頼む。」


千切れたように、俺の身体と意識が離れた。


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