35


未知数


真選組を除隊して、『なんでも屋』としての私で力を貸す。
それが、土方さんが望んだ依頼内容。

「じゃあ契約な。」
「…はい。よろしくお願いします。」
「よろしく。」

私に返事をしながら、土方さんが懐を探る。
カサカサと音を鳴らして取り出した物は、折りたたまれた紙と筆ペンだった。

「それは?」
「筆ペンだ。」
「…え?」
「コレすげェよな、まさか筆を持ち歩ける日が来るたァさすがの俺も――」
「そっちの話じゃなくて!聞きたいのは、紙の方です。」

指をさせば、土方さんが視線で辿る。
「ああ、」と肩をすくめると、さも当然といった様子で言った。

「契約書だ。」
「けっ契約書!?」
「なんだよ、契約には契約書が必要だろ。作ってきてあるからサインしてくれ。」

し…しっかりしてますね。
さすがだな…。

契約書と筆ペンを受け取る。

「そのままだと書きづらいだろ?社殿の柱でも借りて書けよ。」
「罰が当たりません?」
「何も悪いことしようってわけじゃねェんだ。そこまで心の狭い神様なんていねェよ。」
「ふふ、そうですね。」

私は色あせた朱色の柱に「少し借ります」と頭を下げ、紙を置いた。

書面はかなり本格的なものだ。
『依頼中は真選組の指示に従い行動する事』や、
『知り得た情報は外部に漏らさない事』、
『契約違反時は法の下に罰し、しかるべき対応をする』などが、イロハで細かく箇条書きされている。

「こんなの、いつの間に作ってたんですか?」
「元からある原本を触っただけだ。」

土方さんが言うには、
時折、外部に協力依頼して任務に当たることもあるらしい。
その時に使っている物を少し改変しただけだそう…
だけど、これって要は…

「私が絶対に契約するって、思ってたんですね。」

そういうことだろう。

名前を書きながら苦笑する。
ああ、やっぱり柱を下敷きにすると字がガタガタするな。

「お前が絶対に契約するというよりも、どうやってでも俺がさせるつもりだった。」
「そ、そうですか…。」

眩しいほどの自信…。

「結果として、願ったり叶ったりな話になったってことだろ?」
「そう…ですかね。」
「なんだよ、その微妙な感じ。」
「なんとなく…不完全燃焼でして。」
「んなことねェだろ。これで良かったんだよ。俺としても予定通りだ。」

満足げに鼻を鳴らし、今度はポケットから朱肉を取り出す。

「ここ、拇印な。」
「あ、はい。」
「あと、終わったらこれで拭け。」

ほんと用意周到だな…。
私は右手の親指に朱肉を付け、書面に押し付ける。
くっきりと赤い指紋が付いたの見て、渡されたティッシュで指を拭いた。

「これでいいですか?」
「確認する。」

契約書を手に取り、ザッと目を通す。

「……ん、不備なし。これで完了だ。」
「あ、待ってください。」

そう言えば、報酬額を確認してなかったな。

「もう一度見ていいですか?」

手を伸ばす。
すると、サッと避けられた。

「今さら何のつもりだ。契約は締結されたぞ。」
「わかってますよ。ただ、報酬のところを見忘れたなと思って。」
「…んだよ、ビビらせんなよな。」
「ビビる?」
「なんでもねェ。」

土方さんは私の前に紙を置き、指で示した。

「ここだ。よく見ろ。」

差された場所には、『報酬額について』とある。
そこには『依頼者の希望額を支払う』と書かれていた。

……え?

「これって…いくらってことですか?」
「お前の望む額だ。」
「ええ!?」

そ、それって…すごくない!?

「100億とか言ってもいいってことですか!?」
「おう。俺が死ぬまでに払えねェ額なら、それまでだけどな。」
“真選組にはそんな金ねェし”

なっ…

「それなら金額を書いてもらった方が助かるんですけど。」
「本気で請求するつもりだったのかよ。」

くく、と土方さんが喉を鳴らす。

「ま、出来る限りお前の希望に沿うから、好きな額を考えとけよ。」

好きな額…、
うん、やっぱ結構すごい話になりそうだ。
土方さんは副長だから、きっと高給取りのはずだし…。

「早雨、」
「はい?」
「今すげェ悪い顔してる。」
「えっ、」

慌てて頬に手を添える。
呆れたように笑われ、「そんなに金に困ってんのか?」と言われた。

「そうじゃないですけど…お金はいくらあっても困らないので。」
「そうでもねェぞ。収入と所得っつーのは税金に直結して――」
「ああーもうっ。夢のない話をしないでくださいよ!」
「ふっ。まぁ確かに、ないよりはいいか。でも身を滅ぼさない程度の額にしとけよ。」
“貰ったお前と、出来れば支払う俺もな”

…難しい。
やっぱり、報酬額を書いてくれた方が良かった気がする。

「じゃあ早速で悪いが、」

土方さんは契約書を懐にしまい、顔を上げた。

「お前には、これから屯所へ来てもらう。」
「これから?何かあるんですか。」
「出航だ。」
「!それって…」
「ああ。明朝、近藤さんを奪還する。あと、とっつぁんとな。」

…そ、そうだった!
つい身近な近藤局長ばかりに意識が向いていたけど、松平長官も同じ刑を受けてるんだ。

「忘れてただろ。」
「い、いえ…薄れてただけです。」
「くくっ、言いやがる。」

土方さんが目を細めて笑う。
こんな言い方は違うかもしれないけど、
なんとなく、今の土方さんは肩の力が抜けているように見えた。

生き生きしてるというか、怖いものがないというか。

輝いていて…
一段とカッコイイ。

「はぁ…。」
「なんの溜め息だよ。」
「あ、べ、別に…。」
「行くとなったら怖くなったか?」

薄い笑みを浮かべて、土方さんが新しい煙草に火を点けた。
私は強く首を振る。

「違います。怖いどころか、早く行きたいくらいですから。」
「そりゃ頼もしいな。」
「…早く見たいんです。真選組が…また揃うところを。」

当たり前の光景を見て、早く安心したい。
いつも通りの日常に、安心したい。

「……じきに見れるさ。」

土方さんは煙草をひと吸いして、煙を吐き出した。

「じきに見せる。」
「…はい。」

大丈夫。
きっと……大丈夫。

「…今回お前にした依頼だが、」
「はい。」
「あれは契約書にもあった通り、真選組副長 土方十四郎としての依頼だ。」

言いながら、土方さんが煙草を前歯で噛んだ。
何をするのか見ていると、おもむろに隊服の上着を脱ぎ始める。

「…?」
「本来なら、俺個人の名前でお前に依頼すりゃァいくらでも融通が利くんだが、訳あってそうもいかねェ。」
「…そう、ですか。」

土方さんは話しながら上着を脱ぎさり、ベスト姿になった。
そのベストからも腕を抜こうとしたが、「まァいいか」とやめる。

ほんと…

「何してるんですか?」
「“副長”を置いてる。」
「?」
「屯所に戻ったら……いや、ここを出たらキツい時間しかない。もしかしたらってこともある。だからその前に…」

土方さんは煙草を指に挟み、私を覗き込む。
急に縮まった距離に身を引こうとしたら、

――チュッ

身を引ききる前に、唇に熱が触れた。

「完全に副長職へ戻る前に、キスしとく。」
「……、」

今…キス、されたの?
土方さんに…

「キス…、」
「ああ。」
「なん…で……?」
「真選組内で早雨に色事は禁止だから。」

それってつまり…なんで……?
呆然としたままの私を土方さんが笑う。

「悪い。度が過ぎたな。」

1度だけ煙草を吸って、脱いだ上着を自分の腕にかけた。

「お前、坂田が好きなんだろ?」

……え?

「なんかよ、俺、アイツがお前に詳しい様子を見る度に、『そんなこと俺だって知ってる』って思ってて…」

ちょ、…

「アイツより俺は長い時間一緒にいるのに偉そうに言うなって、いつも腹立ててたんだ。けど、違うんだよな。」

ちょっと…

「お前と坂田には俺の知らない長い付き合いがあって、後から来たのは俺の方だった。」
「あの…」
「もうさっきので、しまいだ。」
「『しまい』?」
「お前の顔見て、気持ちにケリついた。」

バサッと上着を広げ、肩に掛ける。

「この先は副長として生きていく。」
「え、あの土方さん…」
「あんなことしちまった後だし、依頼も受けづらいかもしれねェが…忘れてくれ。」
「いや、えっと」
「依頼は依頼として、頼むな。」

上着に腕を通す。
私はその隊服を、

「まだ着ないでください!」

力いっぱい引っ張った。

「ぅお!」

土方さんの身体が前のめりに傾き、一歩私に近付く。

「危ねェじゃねーか!」
「勝手に話を進める土方さんが悪いんです!」
「…そうするしかないだろ。」
「私が好きなのは、師匠じゃありません。」

師匠とは確かに土方さんより前に出会ってるけど、
一緒に過ごした時間で言うなら、土方さんとの方がずっと長い。

「私が好きなのは……土方さんですよ。」

まぁ私の場合、一緒に過ごした時間以前に、
『一目見た瞬間から好き!』みたいな部分もあったけど。

「…笑えねェ。」
「笑わなくて結構です。真剣に言ってますから。」
「…マジかよ。」
「大マジです。」
「……、」
「……。」
「……なら、もう少しだけ着なくてもいいか。」

土方さんが隊服を社殿の傍に置く。

「こっち来い。」

片手を伸ばされ、少し近付いた。
「焦らしプレイか」と笑われ、腕を引っ張られる。

ギュッと、腕の中に閉じ込められた。

土方さんの煙草の匂いがする。
土方さんの温もりがある。

「…土方さん、」
「ん。」
「……好きです。」
「…ん。」

腕の力が少し強まる。

「……。」
「……。」
「……土方さんは?」
「俺が何だ。」
「言ってください、私への気持ち。」

まだ直接的な言葉は一度も聞いてない。

「…言わなくても分かるだろ。」
「口にしてくれないと分かりません。」
「分かれよ。察しろ。」
「……。」
「…絶対言わねェからな。」
「絶対って…ほんとに好きなんですか?私のこと。」
「好――、……。」
「惜しい!」
「惜しいじゃねェよ!」
「ふふっ。」

まぁいっか。
これでも十分、満足かな。


- 35 -

*前次#