50


その行く末


暗闇が広がる頭の中の、ずっと遠く…
ずっとずっと先で、音がする。

ガタガタ聞こえたり、ゴロゴロと響いていたり。
どことなく、私の身体も揺れている気がする。

なんだろう…、何の音?

集中すると、それは少し鮮明になった。

「だ……、……ね……、はこ…………っろ!」
「……なこ……ら、……が…こ……ださ…よ!」

声は二種類で、どちらも怒鳴り合っているように荒げている。

ケンカ…かな。
でもこの感じ、なんだかすごく懐かしい。
ケンカなんて聞く日常、私にはなかったのに。

…なかった?
そうだっけ…、あった気もする。
だけど、それがいつだったのかを思い出せない。

考えるのも面倒だ。
今はとにかく眠い。
だからまた後で考えよう。

時間はたくさん…ある……。
今はまだ…このまま、何も考えなくても………
誰の迷惑にも…、…ならないんだから…………


「いい加減にしろよ。」


「っ…へ!?」

突然の低い声に、私の思考が引き裂かれた。
驚きで身体を小さく揺らし、バチッと目を開く。

記憶にない木製の天井、
視界の端に映る人影。

どこ…?ここ。
それに、そこに座っている人は…?

ゆっくりと顔を向ける。
すると、腕組みしたその人は溜め息を吐いて口を開いた。

「やっぱり狸寝入りだったか。」
「え…、…土方…さん…?」

土方さんだ、間違いなく。
でも、ここは屯所じゃない。

…あ、そっか。
今は屯所に住んでないんだっけ。
確か潜伏先の屋敷に皆で住んでて、私もやっとその場所を見つけて…

ああ…そうだった。
そこの庭で、私…、土方さんと決闘して……、

「私…、…ッい…ッ、」

起き上がろうとすると、左の脇腹に激痛が走る。
押さえてうずくまれば、土方さんが慌てて身体を支えてくれた。

「いきなり動く奴があるか!」
「だ、だって…ッ、すっかり…忘れてて……」
「忘れるって…、…なんだよ、ほんとに寝てたのか?」

目を丸くする土方さんに、私は戸惑いながらも頷いた。

「そう…みたいですけど。そんなに寝てました?私。」
「丸一日な。あまりにも静かに寝てるもんだから、狸寝入りだと思い始めてたところだ。」
「そ、そうでしたか。」

そんなに寝てたんだ…。
あれから丸一日…、……え?

「あ、あのじゃあ今って、一体……どういう状況、ですか?」
「どういうって?」
「その…決闘から丸一日なら、土方さん達はもう江戸を発ってるわけで…」
「予定通りなら、そうなるな。」
「っえ!?もももしかして、出発を取りやめたんですか!?」

私が気を失ってしまったせいで、皆の予定を狂わせたの!?
それならそれで師匠にでも預けていけばいい話だけど、
きっと、責任を感じて残ってくれたんだろうな…。

私のために。
まだ、江戸にいてくれたんだ。

「……、」

嬉しい、なんて思っちゃダメだよね。

「ッ、……すみませんでした。」

背を丸め、座ったままで頭を下げる。
身体を動かすと、またズキッと脇腹が痛んだ。

「…何に謝ってんだよ。」
「私がなかなか目を覚まさないから、出発日を延ばしてくれたんですよね…。」
「勝手に話を作るな。」

土方さんが、ポンと私の頭に手を置く。

「お前が起きないせいで、何かがあったわけじゃねェよ。」
「…違うんですか?」
「ああ。だから謝るかどうかは、俺の話を聞いてからにしろ。」

今度は頭を軽く叩かれた。

「一つずつ、ちゃんと分かるように順を追って話してやるから。」
「はい…お願いします。」
「…まァ、お前が謝る必要なんて欠片もねェんだけどな。」

土方さんが布団の傍に腰かけた。

「あの日、…つーか昨日。俺と紅涙が決闘して、倒れちまったところまでは覚えてるだろ?」
「はい…。」
「その後…色々あって、総悟がお前を屋敷に運んだんだ。」
「沖田隊長が…。」

お世話になったんだな…、あとでお詫びに行かないと。

「でだ、そのあと――」
「待ってください。」
「なんだ。」
「『色々』って、何ですか?沖田隊長が運んでくれる前の“色々”。」
「…そこは別に知らなくていい。」
「そ、そう…ですか。」

なんだろ、気になるな…。

「まァそれで、俺達の出発時間になって…、……。」

土方さんが眉を寄せる。

「出航の…時間になって…だな、…。」
「……。」
「……、…。」

言いづらそうに目を伏せ、口をまごつかせる。

やはり、私が謝らなければいけない話だったんだ。
なのに、どうにか言い回しを変えようと悩んでくれている。

ほんと…、…優しい人だな。

「あの、土方さん。」
「…なんだ。」
「もういいですから。」
「?何が。」
「この丸一日で起きたこと、わかりました。だから、ッ、」

立ち上がるために布団へ手をつく。

「っおい!動くなっつってんだろ!」
「だ、ッ、大丈夫、です、…ッ。それよりも、これ以上ご迷惑にならないよう帰りッ…」
「もう遅ェんだよ!」
「ッ、…、…え?」

『遅い』?

「お前がここから、…俺から離れようとしても…もう、遅いんだよ。」
「…土方さん…?」
「……連れてきた。」
「え?」
「一緒に、連れてきた。」

土方さんが私を見る。
その眼は睨みつけるように力強いものだけど、
どこかオドオドしているというか、私の様子を窺うような眼でもあった。

「え……、……あの、…え?」
「眠ったままのお前を連れて行くのは気が引けたが――」
「ちょっ、ちょっと待ってください!連れてきたって、ほ…本当に、そういう…意味ですか?」
「…ああ。」
「一緒に……私も?」

一緒にって…一緒に、って意味だよね?

「つまり、ここは潜伏先の屋敷じゃなくて…?」
「しつけェな。江戸を発った俺達が乗る船の中だ。」
「!!」

うそ…、
うそうそうそ…っ!

「…やっぱ、色々用意したかったよな。」

土方さんが申し訳なさそうな顔で自分の前髪を握る。

「悪かった。目を覚ますまで待った方がいいとは思ったんだ。」
「……っ、」
「だが変更すると、幕府の奴らに目をつけられ兼ねない。とりあえず志村の姉に必要そうなもんを用意してもらって――」
「っ土方さん!」
「ぅおッ!?」

私は腕を伸ばし、勢いよく土方さんに抱きついた。

「おまっ、傷は!?痛くねェのかよ!」
「い…痛いです…、ッ、かなり。」
「何やってんだ…。あんま動くなっつってんだろォが!」
「でも、すごく嬉しくて…っ」

抱きついた腕に、ギュッと力を込める。

「ほんとに…っ、ほんとに嬉しい…!」

もうダメなんだと思ってた。
何をどう頑張っても、一緒にいられないんだと思ってた。

「ありがとう、っ、土方さん!」

傷の痛みなんて、いくらでも後回しにできる。
それくらい、嬉しかった。

「……、…はァ。」

土方さんは浅い溜め息を耳元にこぼし、私の背中へ腕を回す。
怪我を気遣うように、そっと優しく抱きしめてくれた。

「礼を言うのはこっちだ、紅涙。」

右手でゆっくりと私の後ろ頭を撫でる。

「お前には感謝してる。」
「私に?…何かしましたっけ。」
「した。」
「何をですか?」
「紅涙がいたおかげで、精神的に成長した。」
「わ、私が土方さんを…成長?」
「ああ。だから、本当に感謝してる。」

そ、そう…なんだ。
なんか…照れる。

「結局お前を連れてくることになったのに、決闘までさせて悪かったな。あと、怪我までさせちまって…」
「いえ。平気ですから、このくらい。」
「嘘つけ。めちゃくちゃ痛がってたじゃねェか。」
「それはそうですけど、江戸に残されることに比べたら全然平気です。」
「…そうか。」

また土方さんの腕が私の背中へ回る。
今度はほんの少し強く抱きしめた。

そして一言、


「よかった…。」


安堵そのものを口にする。
短い言葉のそれは、重く聞こえた。

今まで土方さんの中で落ち着かない場所にあった全てのモノが、
ようやく収まるべき場所を見つけられて良かった、と。

胸の奥から出る、終止符の言葉みたいだった。

「…紅涙、」

腕を解き、やんわりと私を離す。
見つめ合うと、自然と距離が縮まった。

「ん…、」

唇が触れる。
けれどもすぐに離れ、また見つめ合った。

「お前が目を覚ましたこと、皆に知らせねェといけないが…」
「…はい、」
「まだ…、…いいよな。」
「……え?」
「まだ俺だけが知ってても、いいよな…。」

私の首筋に顔を埋める。

「んん…っ、」
「どう思う?紅涙。」
「ど、どうって…、」

土方さんが顔を上げる。
ほんのりと頬は赤くして、その瞳を妖しげに揺らせていた。

「なァ、今知らせに行った方がいいと思うか?」
「っ……そ、それは……、…」

丸一日も眠ってたなら、きっと皆も心配してくれているはず。
だったらすぐにでも報告した方がいい。

…のは分かるんだけけど………。

「何か言えよ。」

ぬるっと、首筋に柔らかいものが伝わる。
独特の滑りに、思わず背筋が伸びた。

「っひァっ、」

土方さんがククッと笑う。

「ンな声出すな、ヤりたくなる。」
「っ、な!?」

『やりたくなる』!?
土方さんの頭の辞書にそんな言葉があったの…!?

「…なんだよ。」
「い、いえ…なんか、日頃の土方さんとイメージが違って…。」
「そりゃそうだろ。普段から副長が鼻息荒くしてるような野郎だったら、さすがにヤベェよ。」
「そ、それはまぁ…そうなんですけど。」

思えば、土方さんとこういう展開って初めてだな…。
色んな意味で、ドキドキしすぎて苦しい。

「お前はそういう淡泊な俺の方がよかったのか?」
「ぅえ!?べ、べつに…私はどちらの土方さんでも…好き…です、よ。」
「ふーん。」

ニヤッとした笑みを浮かべ、私に顔を近づける。
とっさに強く目を閉じると、耳元で声がした。

「ま、今日はシないから安心しろ。」

は、はい…、…って、

「えっ!?」

しないの!?

「何ガッカリしてんだよ。」
「そっ…そういうわけじゃ…」

少し…ありますけど。

「怪我してるのに、できねェだろ?」
「でっ…でき……ます…よ?」
「できない。変に無理させちまっても嫌だし、しない。」
「……、」
「そんな顔すんな。俺が我慢強いのは、後にも先にも今くらいなもんだから――」

土方さんは私の顔を覗きこみ、

「せいぜい貴重な休息期間だと思って、身体を休めとけよ。」

厭らしく口角を歪ませ、キスをした。

「完治した暁には、しっかり付き合ってもらうから。」
「っ…、…あの、ほんとに土方さんですよね?」
「…はァ?」
「本物…ですよね?夢じゃないですよね!?」
「ふっ、…夢じゃねェよ。」

イタズラに笑い、私の腰へ手を回す。

「…っと、危ねェ。」

引き寄せようとした手を、そっと添わせた。

「傷、痛まなかったか?」
「大丈夫です。というか、むしろ心配しすぎなくらいですから。」
「いいんだよ。治るまでは、やりすぎなくらい労ってやる。」
“じゃねェと、他の奴らがギャーギャーうるせェし”

他の奴らって、隊士の皆のこと?

「アイツら、お前が決闘してる姿を見て、妙な母性…みたいなもんが目覚めちまったらしくてな。」
「え…、ぼ、母性?」
「何かにつけ、『もっと大事に扱ってやれ』だの『紅涙の立場で考えてやれ』だの、うるさくて仕方ねェ。」
「…ふふ、そうなんですか。」

みんな、
あの時、やっぱり見守ってくれてたんだ…。
もしかしたら皆の口添えもあって、私はここに居られるようになったのかな。

「おいコラ、何ニヤついてる。」
「皆の気持ちが嬉しいなぁと思いまして。…えへへ。」
「『えへへ』じゃねーよ。いいか?アイツらも分かってるはずだが、色目使ってくるような奴がいたらすぐに報告しろよ。」
「そんな人、いないと思いますけど…」
「男は欲に駆られると何するか分かんねェ生き物なんだよ。」
「こ、こわ…。」
「そうだ。だから気を付けろよ。これから俺達と過ごす時間は果てしなく長ェんだから。」

…うん、そうだね。
果てしなく、長いんだ。

「気をつけます!」
「おう。」


私達の目的地に、屯所はない。
この先に真選組の居場所があるのかも分からない。

でも、確かに彼らは存在して、
その自覚さえ失わなければ、これからもずっと真選組は存在し続けるんだと思う。

あり方は変わっても、
きっと、何も変わらない真選組のみんなと共に、
そして何より、大好きな土方さんと共に、
私達は江戸から離れたどこかの星で、道を造り、残していく。

いつかまた、必要とされるその時まで――
今はしばし、思い出にサヨナラを。



袖の雫



悲しくはない。
寂しくはない。

涙の色は、他にもある。

「お前も、よそ見しねェようにな。」
「しませんよ。怪我をしてまで手に入れたかった人が、今は傍にいるんですから。」
「それは…、…悪かった。」
「ふふ。じゃあ、好きって言ってくれたら許してあげます。」
「す…、……調子にのんな。」
「も〜っ!」

師匠…、

私は今、
このうえなく、幸せです。




2017.06.25
*にいどめせつな*


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