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揺さぶる音



俺は紅涙に決闘を挑み、望み通りに勝った。

負けてやるつもりはなかったし、
負けるわけがなかったから、当然の結果だ。

…だが、

「こんな胸くそ悪い決闘なんて初めてだな…。」

掻きむしりたいほど、胸の辺りが落ち着かない。

これで良かったはずが、
これで良かったのかと問う自分がいる。

「…紅涙、」

俺の一打で倒れ、砂利の上に静かに目を閉じて横たわる姿。
抱き起こすことさえ、ためらった。

できるだけ痕を残さないように打ったつもりだったのに、
状態を考えると、失敗だ。

「俺は…、…。」

この結果を、望んでいたのに。


『離れたく…っ、ないっ』


紅涙の声が、何かを揺らす。

明日からは会えない。
次にいつ会えるのかは…わからない。

頭では分かっていたものが、身体の中に重く積もっていく気がする。

…その時。


「そんなもんじゃねーぞ。」


屋敷の方から声がした。
聞こえたそれは、ここにはいないはずの男の声。

「…なんでテメェがそこにいるんだよ、」

俺は声の方へ目を向け、

「坂田。」

屋敷の側で腕組みして立つ男を睨みつけた。

「テメェへの挨拶はもう済ませたはずだ。」
「俺だってもうお前に用なんてねェよ。紅涙が心配で見に来ただけ。」
「…"心配"だァ?」

はっ…、よく言う。

「お前が俺の頼んだ通りに解雇通知を渡していれば、こんなことにはならなかったんだぞ。」
「うわー、この人サイテー。この状況を人のせいにしてるんですけどォォ。」
「おまっ、実際そうだろーが!」

そりゃまァ決闘を仕掛けてこうなった結果は俺の責任だ。
だが紅涙がまだ解雇通知を見ていなければ、
ここへ来ることはなく、決闘なんてする必要もなかった。

…うん、やっぱコイツのせいだな。

「テメェさえ約束を守ってりゃァ今頃は――」
「待て待て。俺だって約束を破る気なんてなかったよ?けど、紅涙の立場で考えると気が変わったの。」

…紅涙の?

「どういう意味だ。」
「よく言うだろ。自分ならどうするか、相手の立場に立って考えろって。」

坂田が紅涙の傍へ歩み寄る。

「土方が俺に頼んだ時、もし自分がその立ち場なら、俺も同じことをすると思った。コイツのことを考えて、なんとしてでも置いていくってな。」
「……ああ。」

だから託したんだ。
お前に解雇通知を…

紅涙を。

「だがよォ、」

腰をかがめて、しゃがみ込む。
目を閉じる紅涙の前髪に、そっと手を触れた。

「もし俺が紅涙の立場なら、隠されるより知りてェなと思ったんだ。」
「……、」

紅涙の…立場……。

「何も言わずに去られたら、たとえそれが優しさでもイイ気はしねェ。」
“やっぱ聞きてェだろ…、本人の口から”

まるで話しかけるように、紅涙の髪を撫でる。

口調こそ、いつものダラしないものだが、
坂田の言うことは、結構まともで…俺の胸に刺さった。

もし俺が紅涙の立場なら、
紅涙が黙って去ろうとしていたら――

「……、」

俺は……どうしてた?

「…まァそういうこった。」

坂田が膝を打ち、紅涙を抱き起こすことなく立ち上がる。

「でもさすがの俺もコレは予想外だったけどな。」
「…どれだよ。」
「この状況だ。まさか副長ともあろう男が、紅涙相手に力技で押し通すとは。」
「……仕方ねェだろ。それしか方法がなかったんだ。」
「はァ?ンなわけねーだろ。」

耳の穴に小指を入れ、「あんたバカァ?」と顔を歪める。

「あるでしょーが。普通は一番初めに思いつく方法が。」
「…なんだよ。」
「本気で分かんねェの?別れるんだよ。」
「『別れる』?」
「だから恋人関係を解消すれば、決闘なんてする必要はなかっただろって言ってんの。」

……。

「一番話が早いだろ?理由なんてもんは『他に好きな奴が出来た』とか何でもいいんだから。」

それは…、……。

「どうなのよ、ニブカタ君。その方法は思いつかなかったのか?」
「……。」
「それとも、…あえて選ばなかったのか。」
「……、……。」

俺は坂田の目を見て、

「…、……そうだよ。」

溜め息まじりに頷いた。

コイツの言う通り、
紅涙と別れて江戸を去るという方法を、俺は“あえて”選ばなかった。

どうせ離れるんだ。
わざわざ関係を切らなくても、いずれ切れることに変わりはない。

なら、どんな適当な理由でも、
紅涙と別れるために、嘘を吐きたくなかった。
せめて俺の気持ちに嘘はなかったと、紅涙の中に残したかった。

…嫌われてもいいとか言っておきながら、矛盾してるよな。

「お前ってほんと、つくづく残酷な男だわー。」

坂田が肩をすくめる。

「こういうことになると、極端に立ち回りが下手っつーか、残念すぎるのな。」
「…お前に言われたかねェよ。」
「いやいや、俺は恋愛のスペシャリストだからね。キミみたいな底辺と一緒に線引きしないでいただけます?」

よくもまァ堂々とそんな嘘を…。

「なら“恋愛のスペシャリスト”として、俺と紅涙が直接ぶつかり合った今の結果には満足したのか。」
「ま、6割くらいは。」

6割ね…。

「なんたって、ニブカタ君がそこまでニブカタ君だと思ってなかったからさー。」
「ッるせェな。鈍くねェよ、……そこまで。」
「はいはい、天然は自分で気付かないって言うしな。」
「天然じゃねェし!」
「はいはい。」
「その“はいはい”やめろ!」

鈍いのは…あるかもしれねェが、さすがに天然じゃねェだろ。
今まで一度もそんな風に言われたことはねェし、
聞いたことも、自分で感じたことも……、

……え、
…これが天然なの?

「そんな土方をここまでして好いてくれる女なんて、後にも先にも紅涙くらいしかいねェよ。」

それは…そうかもな。

「アレだぞ。お前、明日から普通に暮らせると思うなよ?」
「…暮らせるだろ。」
「バカ、明日から毎日少しずつ喪失感が溜まるから。それでいつか仕事に身が入らなくなって、そのうち任務に支障を来たし始めて――」
「やめろ。不気味な予言するんじゃねーよ。」
「予言じゃねェ。これは断言だ。」

「いいか」と俺に真っ直ぐ指をさす。

「今のテメェには紅涙が必要なんだ。このまま行って、簡単に昔の自分に戻れるなんて思うな。」

…なんだそりゃ。

「お前、俺を何だと思ってんだよ。青臭いガキじゃねェんだ、この手の経験だって初めてじゃ…、…。」

そうだ。
俺は昔、似たようなことをした。
誰かをおいて行くのには…、…慣れている。

「…この手の経験は初めてじゃねェんだから、なんともねェよ。」
「状況が違うだろ。」
「同じようなもんだ。決闘したかどうかの違いしかない。」
「じゃあその時もお前は相手に『好きだ』っつって、置いてきたってのか?だとしたら最低だわ。」
「!それは…」

言ってない。
自分の気持ちは、…アイツに言わなかった。
俺達の関係も恋人なんてもんじゃなかったし…

そうか、
似ているようで…全く違うのか。

「わかってたはずだろ?一度甘い汁を口にしたら、こうなるってこと。」
「…そうだな。」
「分かってて口にした理由を思い出せよ。お前は仮にも副長で、そこまでバカじゃねーんだから。」
「…仮じゃねェよ。つーか、バカバカ言うな。」

腹立つな…。
コイツ、俺が大人しく聞いてりゃ好き勝手言いやがって。
妙に偉そうだし。
言ってることも間違ってねェから、余計に腹が立つ。

「ま、お前みたいなのは自分で経験しないと響かねェだろうから、ちょっと間して迎えに来るってのもなくはねェけどな。」

……いや、ねェよ。

「たとえ今だろうが明後日だろうが一年後だろうが、俺は…紅涙を連れてなんて行けない。」
「呆れた。まだ紅涙の幸せがどうとか言ってんのか。」
「違ェよ。…俺だけ、持って行きたいものを持って行くなんてことは出来ねェだろ。」

この旅立ちで、他の隊士には色んなもんを我慢させたんだ。

家族だったり、
荷物になるような思い出の品だったり、
それぞれの大切なものを、置いて行けと我慢させた。

なのに俺だけが持って行くなんてこと、出来ねェだろ。

「他の奴らには諦めさせておきながら、紅涙を連れていくなんて話は…虫が良すぎる。」
「でも紅涙はまだお前らと同じ隊士じゃねェか。なら、隊士が一人増えるだけだ。考え方次第でどうとでもなる。」

甘ェな…、
つくづく甘い奴だ。

「俺はそんな偏った考えを正当ぶって話せるほど、ぬるい副長をやってきたわけじゃねェんだよ。」
「じゃあ捨てちまえよ、そんな肩書き。」
「なっ、お前…」
「どうせ真選組の名はこれまでだ。これからは上司も部下もない、横一列な団体でいきゃいいじゃねェか。」

本人を前に、よくそんなことを…。
…けどまァ実際そうか。
真選組の名はこれまでで、
この先、再び俺達が隊服で街を見回りする機会はないのかもしれない。

…だとしても、

「だとしても、それでもコイツらと行く以上…俺は副長なんだよ。」

肩書を捨てて解決する話じゃない。
それが好き勝手するためのことなら、なおさらだ。

「何年何十年経っても、俺はアイツらの副長なんだ。」


「自惚れてんじゃねェよ、土方コノヤロー。」


俺と坂田の間に、違う声が割り込む。
小さく砂利音を鳴らしながら歩いてきたのは、

「向こうに行ってまで副長だァ?局長の近藤さんならまだしも、勝手に親鳥みてェな言い方しないでくだせェ。」

不満げに口にする総悟と、

「確かにトシの言うことは最もだが、これからは今までほどキツく束ねる必要はないぞ。」

浅く頷く近藤さんだった。
…なんだよ、皆して平和ボケか?

「俺までアンタみたいに甘いことを言っちまったら、後で収拾つかなくなる。」
「そうか?俺達の中に、道を踏み外すような奴はもういないだろ。皆一様に顔つきが変わった。」
「顔つき?」
「ああ。おそらく元いた場所から一歩、進んだんだろうよ。」

近藤さんが屋敷の方を振り返る。
屋敷の縁側には、いつの間にか隊士たちが出てきていて、

「副長ォォ!早雨も連れてってやりましょうや!」
「そこまでして置いていったら鬼っすよ!」
「鬼じゃねェとか言いながらやっぱ鬼ってなりますよ!」

思い思いのことを言う。

…にしてもコイツら、一言一句逃さず聞いてやがったのか?
いつから見てたんだよ。

「いい仲間を持ったじゃねェか。」

坂田が口にする。
近藤さんは小さく笑い、「トシ、」と俺の肩に手を置いた。

「お前も、前に進んでいいんだぞ。」
「…だが近藤さんですら覚悟を決めたことなのに」
「俺はいい。お前は俺よりもずっと難しい場所に立ち続けてきたんだから。」
「そんなこと――」
「俺の願いは、これからしばらく、トシが少し肩の力を抜いて過ごすことだ。」

近藤さんは柔らかく微笑み、

「できることなら彼女と一緒に。」

視線を、眠る紅涙に向けた。

「俺達は、それを歓迎するよ。」
「……。」
「どうだよ、土方。気は変わったか?」
「…考えとく。」
「考える時間なんてありやせんぜ。」
「それでも即決なんてできねェんだよ。」
「連れて行くって言やいいだけじゃねーですかィ。なァ?旦那。」

総悟の話に、坂田が「だな」と頷く。
だが俺は首を横に振った。

「そんな簡単な話じゃねェんだ。色々、…俺にも思うところがある。」
「面倒くせェ野郎でさァ。」
「ほんと面倒くせェよ、お前んとこの副長。」
「すいやせん、旦那にはいろいろと世話になりやして。中で茶でもどうぞ。」
「うん、貰う。貰うんだけどさ、なんか思ってたよりお礼の仕方が安いよね。もっと違う恩返しでいいんだけど。」
「わがまま言わないでくだせェ。ない袖は振れやせんぜ。」

総悟が紅涙を抱きかかえる。

「これからの俺達は何かと物入りなんで。」
「じゃあお前らの隊服とかでいいわ。俗な奴らに売れば高値がつくだろ。」
「そりゃありがてェや。旦那、そいつらを紹介してくだせェ。すぐに金にしてくるんで。」
「今はこっちの金の話してんの!お前、ハナから俺に払う気ねェだろ!?」

ギャーギャー騒ぐ坂田と共に、総悟は屋敷の方へ歩いて行く。
どうやら紅涙も中へ運び込むつもりらしい。

「まったく。賑やかな奴だな、万事屋は。」

近藤さんがクスッと笑う。

「賑やかっつーか、うるせェんだよアレは。」

紅涙の頭の上で、あんなに騒ぎやがって。
起きた時に頭が痛いとか何かあったらどうすんだ。

「…トシ、」
「ん?」

煙草を取り出し、火を点けながら返事をする。

「早雨君の話だが、…お前の中でまだ譲れない点があるんだろう?」
「…ああ。」
「なら、無理に連れて行く必要はない。」
「近藤さん…、」
「周りに言われたから連れて行くというのだけは、やめてくれ。それだと誰も幸せになれない。」

…そうだな。

「わかってる。…ありがとな、近藤さん。」
「いや。時間はないが、決断は慎重にな。」
“彼女の人生を変えるのは、お前なんだから”


紅涙の人生、か。


…紅涙、
もうすぐ、出発の時間だ。

俺は…、…正直なところ、悩んでる。
お前を連れていくべきか、置いていくべきか。
何が正しくて、間違ってるのか…わからなくなった。

でもお前が目を覚ました時、
どんな結果で、どんな未来が待っていても、
俺がしたことは…本当に、お前を想ってしたことだから、

どうか…、
それだけは…わかってほしい。


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