さよならするのが下手な人
※ライターや火のついた花火で着火するのは危険ですので、絶対に真似しないで下さい。あくまで表現としてお楽しみ下さい。




「何これ。」

ぽんと司書室のテーブルの上に置かれた大きな袋。カラフルな外装の、大きく膨れ上がったそれ。

「貰いもんだ。」

今夜、中庭な。
彼はそれだけ言い残して何処かへ行ってしまった。
1人取り残された私はたっぷり時間を置いてから、はァ?と素っ頓狂な声をあげたのであった。






「店長さんから?」
「ああ。家族とやれだってさ。」

火薬の織りなす鮮やかな色が、彼の赤いメッシュの効いた金髪を照らしている。所詮ヤンキー座りをしながら煙草をふかし、併し手には花火。とてもアンバランスで、でも何故か様になっていると思う。

「優しい人でしょ?」
「ああ。流石はお前の知り合いだ。」

彼は生前から借金をよくする人だった。それはもう、『借金王』の綽名が相応しい程に。死後見つかった借金メモによって、彼の人間的好感度はかなり下がったと言えよう。残っている写真や清貧な歌からは想像できない屑っぷりを披露しており、『日本三大ダメ文豪』にカウントされた程だ。因みに残り2人は太宰治と中原中也であり、この3人――と云っても彼らだけじゃないけど――はこうして転生してもなおその『ダメ人間』の面影が残っている。
なので、彼は趣味のように借金をしている。旧知である高村や北原は勿論、私が知らないだけであってあと数名から借りてるらしい。更には外部からも借りてるらしく、稀に催促状が届く。
これは大変だと館長やネコと話し合った結果、彼にアルバイトをさせることで落ち着いた。
こんな時国定図書館が政府機関であることが幸いする。どうにか戸籍を作り、後は履歴書をそれっぽく捏造、序でにちょっと訳ありな身の上事情を作れば冴えないフリーター青年の出来上がりだ。
そんなこんなで彼のバイト先になったのは、私の知り合いが支店長をしているホームセンターだった。物を仕入れて並べたり、利用客に対応するのは図書館とさして変わらない。更には工具などにもそれなりに詳しくなり、今では他の文士たちからの相談役という立場になった。彫刻作りをする高村や悪戯の為の道具を考える童話作家達、自転車の改造に勤しむ志賀、日曜大工に目覚めた文士で結成した同好会のメンバー達……。彼らから相談を受けて商品の紹介をしたり、時にホームセンターを案内したり。序でに文学談義に花を咲かせられる為、趣味のような感覚で出来る仕事は啄木にとって悪くはなかったらしい。更に、一部の人を除き相談の時には飲みに奢って貰えるらしく、彼はアルバイトに珍しく精を出していた。
彼の場合、今は衣食住が保障されている。故に、借金減らしに専念出来た。中々減らない、というか返しては借りを繰り返しているのだが、それでも生きる為の金も必要だったあの頃から比べれば気持ちも楽に働くことが出来た。そのせいか彼はメリハリある業務が出来ているらしく、今や店長のお気に入りだそうだ。
この花火も、店長からの日頃の労いなのだろう。人のいいその人に感謝しつつ、カラフルなパッケージからまた一つ花火の束を取る。
本当はみんなでやるのも良かったが、数日前に大々的にお盆の送り火の序でに花火大会をしたばかりであり、また中の花火も思ったより多くなかったのもあって2人で充分だ。

「ほら。」

彼は先程煙草にも火をつけていた愛用のオイルライターを取り出し火をつけてくれた。シューシューと音を立てて、花火は瞬く間に色を変えて行く。
あっという間に火薬が燃え尽きて、バケツに放り込めばジュッと音がする。
この音を聞くと、花火がいかにも燃え尽きた感じがして、何処か悲しくなる。

「お盆は楽しかったな。」

不意に、隣で花火に火をつけた彼が呟いた。変なところで気が効く彼は、さりげなく私より風下にいる。花火の煙もタバコの煙も、私にかからないようにしているのだ。

「そうだね。楽しかったね。」

実のところを言うと、私には無難なことしか言えない。
彼らは既に死んでいる。通常ならお盆では迎え送られるような立場である。
だから、そんな彼らが畑で採れた茄子と胡瓜に悪戦苦闘しながら割り箸を刺す姿は何とも言えないものだった。
ある文士は早くに亡くした子のためだと言った。ある文士は未だ巡り会えぬ友や同志のため、ある文士は亡くなった妻のため、ある文士は恩人のため……。
皆色々な思いを胸に転生してから初めてのお盆を迎えていた。
皆口を揃えて言うことは、『死んだ後には何も無い』ということ。先立った人に会える訳もなく、後から来る者にも会えず。天国も地獄もなく、そこにあるのは『孤独』だけであった。この世を垣間見る機会があったとしても、死人に口なし、会話は叶わない。そこに己がいないという事実だけが突き付けられるらしい。
そう言えば、啄木は何を思ってお盆を迎えたのだろうか。聴きたいような、聞きたくないような。そんな気持ちがしていた。聞くに聞けない。沈黙が気まずい。

「お前、ちゃんと兄貴を送ってやれたか。」

不意に彼が発したその台詞に、手に取ったばかりの花火が落ちる。
驚きの儘に彼を見れば、少し困ったような顔をしていた。

「すまねぇ。変なこと言っちまったな。
いや、店長から聞いちまってよ。……今年は新盆だったんだろ。」

誰にも話したことはなかった、司書になる前のこと。
うん、できたよ。そう言った私の声は、震えていなかっただろうか。

「あーッ、すまねえ。これだから俺様は……。」
「ううん。いいよ。ありがとう。気にしてくれて。」

多分彼は気を使ってくれたのだろう。
祖父母は産まれる前に既に他界していて、身内が死ぬのは兄が初めてだった。
初めて、もう2度と会えない人が出来てしまったのだ。
『さよなら』なんて言えない不慮の事故。唐突な別れ。
彼とて、生前身内を亡くした身だ。彼だけではない。皆誰かを見送った身だ。だから、こうして心配してくれたのだろう。別れに慣れていない私を。
初めての別れに戸惑う私を。

「啄木は誰を迎えたの?」

話を変えようと、変えきれていない気もする質問をしてみた。
彼の手から煙草がポイと捨てられる。自嘲するような笑みとともに、彼は煙草を踏み消した。

「家族、だな。迷惑かけるだけかけて、先に逝っちまって……。まあ、俺様のところには来てくれなかっただろうが。」

彼が新しく手にした花火に火がつく。音を立てて、色が変わっていく。
先程落とした花火を、彼が持つ花火の先に翳して火を移す。二本の花火が其々違う色に輝いて、間も無く消えた。バケツに入れた音が、呆気ない花火の終わりを告げる。会話は無かった。あったとしても、続けられる自信が無かった。
何も言うことが出来ないまま、最後に残っていた線香花火を取り出す。啄木のライターを借りて、まずは一本火をつける。そう言えば、これは啄木への誕生日プレゼントであげたものだ。大事に使ってくれていることが嬉しい。

「花火って、呆気ねぇな。」

同じようにして火をつけた彼の線香花火がぽとりと落ちた。呆気ない。人は儚く呆気ないものに心を惹かれる。
彼もまた、儚い人だった。決して誠実とは言えなくても、短い人生を生きた。貧しくても、彼は生きることを諦めなかった。それでも、線香花火のように呆気なくぽとりと命を落とした。30年にも満たない、ほんの僅かな命だった。

「お前……。」

知らず知らずに、私は泣いていたらしい。泣くなよと、彼は無造作に私の頬を指で拭った。ごめんね、何故か、泣けてくる。

「なあ。お前は、全部終わって、皆もういっぺん死んだら、こんな俺様でも迎えてくれるか。」

その声色は、酷く悲しいものだった。
啄木は優しい人だ。そんなこと、聞かなくとも。
彼は酷い人だ。そんな残酷なこと、言わせないで。

「じゃあ、啄木は私が死んだら迎えてくれる?」

仕返しのつもりで問うた。
この図書館の日々が失われるとわかった時、その前に私がどうするか、この問いが何を示すか、彼なら察してくれると思った。啄木は鋭い人だ。感覚は鋭くて、でも観察する眼は基本的に優しい人だ。

「そうだな。
送るより送られる身の方が気が楽だからな。」

言いつつ、彼はそっと、私の肩に手を置いた。
家族と友人に看取られたというこの人は、一体どんな思いでその言葉を口にしたのか。
彼だって、人を見送り慣れていないだろうに。余りにも早い死は、多くの人のさよならを作るだけ作って、彼には一つの別れにしかならなかった。
だからこそなのだろう。見送られた側だからこそ、そう言ったのかもしれない。彼女が『送る』のを苦しまないように。
でも、そうしたら彼は、置いて行かれ慣れていない彼はその時どうするのだろう。
結局、別れに怯える2人は自信を持って互いの問いに答えられない。
胸にのしかかる何かが、私の首を絞める。それから逃れたくて、そのまま身体を彼に預ける。彼の手が私の身体を強く引き寄せるから、この愛すべき身勝手なその人に、また一つ涙がこぼれた。

最後の一本に火をつけた。私が伸ばした右手には、啄木の右手が添えられている。パチパチと小さく控えめに音を立てながら、線香花火は命を燃やしていた。
火が消えた瞬間、視線が重なるなり2人して殆ど衝動的に啄木と唇を重ねた。今はここにいるのだと、今はまだ共に居られるのだと確認し合うかのように。互いの熱を感じて、安心しようと。

別れに慣れていない私は、啄木たちと別れることが恐ろしい。
成功した線香花火が、バケツに冷やされて呻く。
図書館の庭は久し振りに静かになった。今はただ、巡り合った魂達が静かに数奇な出会いだけがそこにある。
いつかがあると身を以て知っている、哀しき魂が集っているだけだ。



なか様の『ぼくら主演サイレント映画』企画『線香花火』提出
4/4
prev  next