■ 溺れる二人に祝福を 上

 真っ昼間に突然の《交信》。
 今回も発信元はお馴染みの"恋人"だ。

 数か月ぶりの事態とはいえ人目を忍ぶような声色は相変わらずで、それだけで彼には伝わるものがあった。特に何を聞く必要もない。こんな時間に突然の連絡。それだけでもはや面倒な展開だと決まっているのだから。
 浮かぶ苛立ちを隠し、茶化すメンバーににこやかに別れを告げるも、ひとたび彼らを背にすればその笑顔など途端に剥がれる。

 さて、今回はどれほどの面倒が相手なのだろうかと《磁力》を使用した彼の目の前に現れた光景は概ね予想に違わないものだった。すなわち、疲弊した女とゲスな男たちというある意味変わりばえしない光景である。
 ただし、その面倒事の方向が今までと少しだけ違っていた事だけがこの場合は小さいようで大きな問題だった。


  ***


「で、今日は何があった」

 着くなり一言も発することなく、状況を改めて確認することもなく、ただ倒れた女を囲む男たちを相手に問答無用で距離を詰め、まずは足を繰り出し、続けて幾つもの技を決め、仕上げに骨を折りつつ念で爆破という早業コンボを決めて四人の男を虫の息にしたゲンスルーはそこでようやく女を振り返った。
「一段と酷い格好をしているじゃないか」
 血と土で汚れた服はところどころ破れているし、よく見れば腰付近にはぬるりとした液体がかかっているようだ。
 乱れた姿は、どこを重点的に狙われたかを雄弁に語っている。おまけに、肩で息をする女の目はいつになく鋭く、らしくもないむき出しの怒りに満ちている。
「来てもらえて助かりました……でも、本当に、わかりませんか」
「いいや。あいつらの無様な姿で見当は付くさ。ただ、どうせ未遂だろう。ならお前が嫌そうに話す姿を楽しんでやろうかとなァ」
 ひょいと肩を竦めて答える男に、女は露骨に顔をしかめ口を開きかけたもののそのまま飲み込んだ。憤懣の代わりに一呼吸して、前向きな要求を述べることにしたらしい。
「ご迷惑ついでに、すみませんが上着か何か貸してもらえませんか? 出来れば今すぐどっかでお風呂に入りたいんですけど、さすがにこれで町を歩くのは勘弁したいと言いますか……」

 いつも以上に固い口調は、込み上げる怒りや恐怖を封じる為のものだろうか。それ程までに、乱されたのか──そう思ってしまうと、今度は自分の手でもう少し傷をつけてみたくなる。だから、嫌がるだろうなと予想した上で、あえての言葉を口にしてみたのだ。
「なら、こいつらの服を剥いだらいいだろうが」
「……本気で、気持ち悪いです。酷いこと言わないで下さいよ」
 ベルトの緩んだ下半身が纏うものは当然としても、上着すら嫌悪の対象らしい。眉を寄せると共に心底げんなりとした声で返す女にますます興が乗る。

「いつものカード漁り、するか?」
「いいえ。出来ましたら、もう一秒でも早く消し去って下さいな」
 けれども心躍ったのはそこまでだった。見たことのない顔をしたなまえが彼女にしては大変珍しい判断を下すのを前にして、ようやくゲンスルーは少しばかり目を見開いた。
 てっきり、この女なら「むしろ慰謝料ですから」とでも言うだろうと思っていたのだが。
「お前にしては珍しいな。まあ……その様子では無理もないか」
 クズどもが。呟きと共にゲンスルーが腕を伸ばせば、瞬く間に四つの名前は光を失った。


  ***


「あーすっきりさっぱり。お風呂お先でしたー」

 バスルームから鼻歌を歌いながら出て来たなまえは、すっかりいつも通りだった。
 てっきり個人宅へ直行かと思いや、外の汚れは外で落としたいとかよくわからないことを言うのでアイアイの連れ込み宿に落ち着くことになった。が、正直落ち着き過ぎだろう。風呂上がりの一杯ってのはいいねーと酒を呷る姿には、もう少ししおらしくしていてもよいのではという感想が湧き上がる。正直に伝えて機嫌を損ねられても面倒なので口には出さないが。
「しかしなぁ、お前ならあの手の変態くらい上手くあしらえるだろうが」
「……明らかに数日分と思われる気色悪い体液を集めて、いきなりぶっかけて来るような生ゴミ連中相手にどうフレンドリーに接することができましょうか」
 余談だが、被害に合った服はすでに丸めて袋に入れて厳重に封をしてゴミとして処理済みだ。補足すると、その作業の最中よほど衝撃だったのか悔しかったのか、あるいは両方か、なまえの目が潤んでいたことにゲンスルーは当然ながら気がついていた。
「お前がそこまで嫌がることがあるとはなぁ」
 多少の変態相手なら余裕でやり返すと思っていたぞ軽口をたたけば、すぐに心外だと反論がある。
「うわぁ、失礼なこと言わないでもらえます? 私にだって、好みってものがあるんですから。好きな男が相手なら、そりゃあ多少は引くようなことでも頑張りますけど……でも断じて、あんな見ず知らずの生ゴミ相手にサービスする心の余裕は持ち合わせていませんって」
 蛇蠍の如く嫌う姿が必死過ぎて、ゲンスルーは軽く噴き出す。
「なるほど。心底嫌がる前にまず相手を選ぶってか。お前らしい」
 茶化しながらも、ささやかなひっかかりがあった。
「そう言えば、尋ねたこともなかったな……。なまえ、お前の好みって例えばどんなんだ」
 問い自体ただの思いつきで、特に期待する答えがあったわけでもない。むしろ「いくらお前でも金持ちか身体の合う奴、なんて俗物な答えは言わないよなぁ」とにやにや笑って続けるつもりだった。

 しかし、そのイメージは叶わなかった。予想に反して過剰な反応を示すなまえを前にして、軽口を向けるタイミングを完璧に失ってしまったのだ。

「……へ!? えっと、そんな、私の好みって言えば、そんな……」

 わかりやすく頬を染める反応は、具体的な対象が例として脳裏に存在することを示している。珍しい反応は面白いはずなのに、面白く感じるどころかただただ不愉快さを伴ってゲンスルーの心を引っ掻いた。そして、傷口から滲み出る血のようにどす黒い胸の奥からこぽりと浮かび上がってくる思いつきが、ひとつ。

 思えば、どれほどこの女が現状に甘んじているように見えたとしても、実際の所は目の前の姿しかわからない。
 四六時中監視しているわけでも拘束しているわけでもないのだ。しかも、最近ではG.I内でもほぼ放任な上、ゲームの出入りも自由にさせている。この状況では、むしろ好きな男や恋人の一人二人居たって不思議ではない。
 ならば、たとえば……この女の相手がG.I内に居るなら、それを捕えて遊んでやれば、どんなふうに悲しむだろう。外の世界に居るなら手出しはできないが、だったらこちらであえて好みに合うような男を見繕えばいいのだ。想い人に良く似た姿を目の前で痛めつけて遊んでやれば、こいつはどんなふうに苦しむだろう。最近輪をかけて気安さが増しているこの女を、思い切り傷つけて、痛めつけて、泣かせてみたら──そんな加虐心に暗く輝き出した瞳に、早々に気がついたなまえがぶるりと身を震わせる。

「……今、なにか意地悪なことを考えているでしょう」
「いいや別に。ただ、お前みたいな底なしの淫乱を相手にする男は、大変だなぁとな」
「だから、なにかにつけて人を淫乱扱いしないでっていつも言ってますよね? ……大体、あのふたりは加減してくれますもん。まったく気にせず、底なしで仕掛けてくるのはゲンスルーくらいですって。あ、せっかくだしこっちのボトルも飲んでいいですか?」

 答えも待たずの早業で、ふたつのグラスに酒が満たされる。はい、と差し出された一方にゲンスルーが手を伸ばせば、満足そうになまえは笑う。笑いながら、なまえも残っているグラスに手を伸ばし、そのままくいとグラスを傾けると水でも流す様な軽さで飲み干した。
 アルコールでいっそう赤くなった頬を隠しもせず、女はなお笑みを浮かべ、言う。

「心配していただかなくても、私はいつも満足させてもらっていますから」

 その言葉が、先ほどの「お前の相手をする男」を指しているのだということにゲンスルーは数秒遅れて気がついた。けれど「凄く優しくて、激しくて、もう心も体もお腹いっぱいって感じですよ」とへらへらと言う女は、ゲンスルーの戸惑いには気がついていなかった。そしてその言動がどれほどゲンスルーの怒りを買うかも、気づいていないに違いなかった。
 緩みきったその顔を苦痛に変えてみたいと、久しぶりに身の内の外道が疼き始める。

「……お前とはそれなりに長いつきあいだが、そんな相手が存在するってのは初耳だなぁ」
「まあ、明らかに面倒なことになりそうでしたし、知られないように振る舞っていたからねぇ」

 三杯目を口に運びながらのほほんとなまえが口を開く。
 よほど気分がいいのか。甘える時特有の気安い口調が混ざってきている。
 そろそろ、隠さなくてもいいのかもしれないなぁと前置きし、彼女は再度喉を潤す。相変わらず水のようにごくりごくりと飲み干してはいるが、勿論それは酒である。
 普段の彼女なら、どんなに浮かれていてもヤケになっても、こんな真似はしなかった。

「そもそも、私のタイプはですねぇ──」

 ──まず、定番だけれど優しいのは必須条件として、私よりも背が高くて、ああ、ほら。高い所のものを取って貰えると便利じゃないですか。風除けにもなるしはぐれても見つけやすいし、なによりギミック処理とか警戒とか分担しやすいし。で、まあそこそこに強くて、少なくとも私よりもだいぶ強くて、勝手に死んじゃわない程度にも強くて、それなりに頭の回転も速くて、美味しそうにご飯を食べてお酒を呑んで、ってことが出来る人生を楽しめるタイプの人でね。で……えーと……ああ、顔は格別な程の美形は必要ないけど、まあ整っているに越したことはないし、ついでに素敵メガネだったら完璧かなぁ。あとは声がいいとか、たまにはちょっと意地悪な真似も出来ちゃう器用さが欲しいとか、まあ他にも勿論もろもろあるんですけど挙げるときりがないので割愛しちゃいますねー。
 でまあ、巡り合っちゃったんですよねー実際そういう人に。もうあの出会いはまさに僥倖。だって、強くて賢くて格好良くて……っていうかいっそ狡猾な方だけど、そんな所もなお良し! ちょっと意地悪ながらも基本的には私に優しくて、いや、優しいって言っていいかは微妙にアレだけど、博愛主義者で早死にしちゃうタイプよりも私にだけ甘いクソ野郎の方がずっといいなーってことで、大雑把に見れば文句なしないい男なんだよねぇ。単純な戦闘力も世渡り力もあっち方面までもなんか強いし、仕事できるくせに血気盛んだから自分でがんがん突っ込んでいくところもポイント高いんだよね。見てて面白くて巻き込まれて楽しくて、もっと触れたいって思っちゃったらもうだめ。こんなの好きになるしかないじゃんっていうくらいに狡いスペック山盛りなわけよ。そもそも、細いようで実はがっつり鍛えてたり書類仕事が似合いそうな長い指でばりばり荒技使うとか偉そうに踏ん反りかえった時の首筋の張り具合とかパーツパーツがいちいちツボを突いてくるってのは最初の頃からあったんだけど。そうそう、パーツって言えば、結構独特なメガネがすごく似合っていて、それだけでもうご飯三杯? その上、メガネを外したらたれ目が強調されてすっごく可愛いくってね。それでいて目を細める表情は妙に色気があってドキドキもので。でも、やっぱりどれが良いって、声がねー。意地悪に責められるとご褒美でしかないなーっていう声で、しかもその言葉の選択がまた心の底からゲスだなぁっていう……

 ぺらぺらぺらぺらぺらぺら…………名や年齢はおろか、地位も関係性にも触れない薄っぺらな賞賛は聞けば聞くだけ無駄だった。
 だというのに。
 三杯目どころか早くも四杯目を傾けながら唇を動かし続ける女は心底楽しそうである。飲み干す分だけ吐き出そうとでもするように、今日までの沈黙を埋め合わせるように、惚気と好意の列挙は留まる事を知らない。しかもだんだんと前後があやふやになり、内容もいったりきたりを繰り返す。つい今しがた言った内容を繰り返し、褒めたところを別の言葉で表し直し、終いには支離滅裂に陥ってしまう。優しいと告げた唇で怖いと重ねて、仲間思いと呼びながら薄情さに言及する。そして、そんなところも好ましいと頬を緩ませる。

 女は、隣の男がはいはいと適当な相槌を打つことすら面倒になり、ついに黙ってしまったことにも気づかない。いや、そもそも気にもしていないのか。不機嫌なゲンスルーを顧みることもなく、遠慮を忘れた口調でだらだらと話し続けるのだからつき合わされる身は辛抱ならない。

「……で、その完全無欠なお相手ってのは、どこのどいつなんだ」

 ともかく話を終わらせようと見計らっていた男がようやく口を挟むと、ここでなまえの視線がようやくゲンスルーに固定された。

「やだなぁ、聞いてなかったんですか?」

 ふふっと真っ赤に茹で上がった女が笑う。何をだとゲンスルーが尋ねる前に、その唇が甘くほころぶ。

「今のに当てはまる人なんて、あなたしかいないでしょ」


 部屋に、たっぷりの沈黙が訪れた。



(2014.04.14)
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