■ ベルベット・ハンマーはスローモーションで振り下ろされる 1

「よお。待ってたぞ……って、珍しいな。お前だけかよ」
「ほら、ご覧の通りなまえもまだでね。てっきり、また一緒なんだろうと思っていたんだが……」
「またって言うか、いつもなまえが待ち伏せしてただけでしょ。で? 今日は撒いてきたの?」

 店の重い扉を押したメレオロンを挨拶もそこそこに迎えたものは、馴染みのメンバーからの問いかけだった。しかし、あいつはどうしたのだと当然のようにセット扱いで尋ねられたところで、自分にできる反応は限られている。

 「さあ……ただ、そう言われれば、ここ数日は見てないな」

 メレオロンとしては事実をただ口にしただけ……なのだが、途端に彼女をよく知る者たちはざわめき始める。
「マジかよ。アイツがお前のとこに行ってねぇだって!?」
「……しかも数日。これはおかしいわね」
「いや待て。ひょっとして、押してもダメなら引いてみろという駆け引きのつもりなんじゃ……」
「ちょっとシュート、何言ってるのよ。猪突猛進しか知らないあの女よ? そんな芸当、出来るわけがないじゃないの。せいぜい一昼夜で音を上げるわ」
 呆れ顔のパームがさらりと辛辣な一言を放っても、誰も異を唱えなかった。
 そのまま三人は、貶めているのか心配しているのか不思議がっているのかわからないような応酬を続け、ついにはナックルが極め付けの爆弾を投下した。
「つーかよぉ。さてはアイツ、あんまりにもお前がなびかねぇもんだから、いよいよ諦めたんじゃねぇのか?」
 傍観を決め込んでいたところに「なぁ」と突然矛先を向けられ、メレオロンはただでさえ大きな目を、さらに大きく見開く羽目になる。とっさに口を開いてみたものの、予想外の内容に頭の方が追いつかない。言葉は出ず、静かに息を吐き出すだけで精一杯だ。

 置いてけぼりの外野を待つ気はそもそもなかったらしく、メレオロンのこの反応は注目を集めなかった。そして、それ故に。爆弾を爆弾だとも気づかないまま、三本のナイフは振り下ろされ、乱暴に切り刻み始める。
 切り口から溢れる毒がメレオロンだけを蝕むことにすら、誰一人として気がつかない。たったの一人も、気がつかない。当人でさえも。

「……確かに、その可能性も濃厚ね。でも、だったら私たちにヤケ酒のお誘いくらい有りそうじゃない?」
「いや、待てパーム。なまえのことだから、気が逸れると同時に希少本にでも興味が移ったのかもしれないぞ。なら、もう街にも居ないという可能性が……」
「あー。そういやぁ、ここんとこずっとメレオロンに夢中で他のことには手が回らずって感じだったしな。そろそろ、蒐集癖が疼き始めたか?」
「まあ、元々が欲望を抑えられるようなタイプじゃないものね。本来は、現実の男よりも文章に惹かれるような、ただの変人だもの」
「……パーム、変人はさすがに言い過ぎだろう」
「あら、なぁに? 『書類整理庫(レターケース)』だの『歩く本棚(ブックシェルフ)』だのそれっぽく言ったって、結局はそういうことでしょうが」
 あの熱意と執着がだだ漏れの生き様は、疑いようもなく異常だし、間違いなく変態の域よ。
 パームは事もなさげにそう言い放つ。一転して「確かに」と頷き始めるナックルとシュートに追いつくように、相変わらず混乱の海を漂うばかりだったメレオロンの思考は現実に着地した。
「あー……つまりアレか。ようやく、オレにも静かな日々がやってくる、ってわけだな?」
 ぐらりと揺らいでぐにゃりと歪む心だけが別物のように、言葉は何事もなかったかのようにメレオロンの口をつく。傍目にはいつもと同じテンションで、いつもと同じ口調で、いっそほっとしたと喜ぶように笑って。そうして、そっとナイフを突き立てる。


  ***


 そうして。
 いつもと同じように、食べて、飲んで、話して、食べて、飲んで、話して、一人を欠いたままでテーブルはお開きとなった。
 けれども、月に照らされた夜道を歩きながら、メレオロンはふと気がついてしまった。
 自分が何を食べて、何を飲んで、何を話して、何を聞いたのか……それらに対しての記憶は、今夜に限って酷くあやふやだった。



(2014.12.05)(タイトル:銀河の河床とプリオシンの牛骨)
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