■ 答え合わせは後でいい 1

 すれ違う者のない裏路地を、メレオロンはただひとり進んでいた。
 ポケットの中の手を行き場なくにぎにぎと動かしながら、肺の中を全部を集めるようにふぅっと吐いたところで一向に気分は上がらない。

 仕事はひと通りこなしたたものの、成果の方は今ひとつ。
 おのずと足取りも気怠げなものになるのだけれど、しかしまあ、生きていればこんな日も珍しくはない。
 おまけに、一応は"失敗ではない"ので非難される心配もない。しかも実際のところ帰りを待っているなまえは朗報という手土産があろうとなかろうと扉をくぐる存在が彼だというだけで笑顔になるのだから、そもそも落ち込む理由すらない……はずなのだが、期待を外してもなお胸を張って帰宅できるような分厚い面の皮は持ち合わせていないつもりだ。

 あいつの思いに添いてェと思うし、喜ばせてやりてェと思うし、頼りにされてェと思っちまうんだから仕方ねーよなァ。

 はぁぁぁと今度こそ胸に巣食った靄を吐き切るようにして顔を上げたメレオロンは、そのままくるりと向きを変えた。
 甘いもので釣ろうとかそういうことでは断じてない。ただ、たまたまこの先にショップがあることを思い出したから。きっとあそこなら、彼女が妙に気に入っているキャンディも置いているだろうから。そんなふうに無邪気に喜ぶなまえを思い浮かべただけのつもりが、柔らかな唇を貪った時に薫る香料と絡めた舌先越しに知った味までうっかり蘇り、途端に心臓が高く跳ねてしまう。慌ててフードの襟元を絞ったものの緩む口元はどうにも隠し切れそうにないので、真っ赤な顔のまま全てを誤魔化すように小さく呟くことにする。ちきしょう、アイツが可愛過ぎるのがいけねェだろ。

 そんなわけで、毎度お馴染みの異種族に対しての戸惑いと警戒の視線にもめげることなく店を後にし、キャンディという極々ささやかで甘やかな下心を抱えたメレオロンの足取りは打って変わって軽いものだった。
 どうせ反応が無いとわかっていながら形だけのノックをし、どうせ聞こえないとわかっていながら帰宅の声をかけ、リビングに誰の姿もないことを確認し、さて今日はどこで活字の世界にのめり込んでいるのやらとなまえの姿を探すことにした時ですら口元に浮かぶのは余裕の微笑みだった。


 しかし、開けて閉めてを繰り返した先の一部屋で、メレオロンの瞳はこれ以上ない程に大きく見開かれることになる。

  扉の向こうに感じる気配にいよいよと笑みを濃くしたというのに、そこに居たのは年端もいっていない全く見覚えの無い子どもだった。
 ベッドに背を預けて座る子どもの瞳もメレオロンと同じく限界まで見開かれていたが、小さくまとまる控えめな座り方とそこが間違いなく見慣れた部屋であることからしても"異物"なのがあちらの方であることは明らかだった。けれどもお前はなんだと尋ねる前に、あまりの衝撃に呼吸すら忘れていたらしい幼女の口から数秒遅れの呼気がひゅうと漏れる。

 ──あ、ヤベェかも。

 鼓膜を劈く悲鳴を予感し、メレオロンは反射的に身を強張らせた。



  ***



「あーハイハイ。ストップ、ストップだぜお嬢ちゃん。叫びたい気持ちも分かるががまあ聞けよ? オレはこう見えても心優しいナイスガイで平和主義者で実に紳士だぜ? ここにいるのだってちゃーんと認可を受けてるし、女子供には優しくするのが性分っていう安全が服を着ているような男だ。だからなぁ……できればその悲鳴は引っ込めてまずはオレの質問に答えてくれねェか」

 子どもの視線を移ろわせないように饒舌に振る舞いながら、じりじりと距離を詰めていく。
 相手は十にも満たない幼女だ。姿を消して回り込めばあっという間にこの手で黙らせることができただろう。にも拘らず慣れない手間暇をかけるのは、これほど小さくぷにぷにとした子ども相手にどんな力具合で接すればいいのかという不安がある故だ。うっすらとした記憶によると子守経験は一応あるらしいが、生まれる前から知っているような隣家のガキと突如現れた幼女では別物である。しかも、この外見でまず怖がられていることが確実なのに、乱暴に扱えばどうなるか……泣かれて済めばまだマシな方だろう。

「なァ、お嬢ちゃん。どこの子なのかとかなんで居るのかとか聞きてェことは色々あるんだがよォ、この家におねーちゃんが居たと思うんだが、あいつが何処へ行ったか知ってるか?」

 見つめた先で幼女の肩がびくりと震え「いけねェまた怯えさせたか」と慌てるが、兎にも角にもなまえのことが気になるメレオロンには結局のところ逸る心のまま動くしかできない。
 少々抜けたところはあるものの来客をそのままにして出かけるほど不用心な性格はしていないし、よく知る相手だとしてもプライベートルームへ直行というのは考え辛い。だが、そもそも記憶を漁るまでもなく幼女となまえに接点が見付からないのだから、これはもう自分の預かり知らないところで彼女の身になにかが起こったのだとしか思えない。

「……わかった。じゃあな、お嬢ちゃんが知らねェって言うんならそれでいいから、他に知ってる人のこと教えてくんねェか? ほら、お嬢ちゃんも早く帰らねェとおウチの人が心配してるだろ?」
「……あ。そっか、心配、だよね」

 呟きと同時に小さく丸まっていた背中をひゅんと伸ばした子どもの瞳は、もう震えてはいなかった。メレオロンが知り得るはずもないが、メレオロンにとってこのなけなしの一般常識に従って紡いだ間に合わせの言葉であり幼女の警戒心を取り払うためのありきたりな定型文は、実のところはまさしく彼女のトリガーそのものだった。

 ここが何処で自分の使命は何なのか。それらを思い出した子どもは、もうただの怖がりな子どもの顔をしていなかった。



(2015.12.27)(タイトル:亡霊)
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