■ さみしいにおいの煙草

 かくして。
 数人の監視役と共につかの間の帰郷に臨んだ"蟻"たちではあったが、いざ帰ってみれば驚くほどにこれといった目的地がなかった。

 あの襲撃の日々で殆どの集落は崩壊してしまったし、細々と生きる人々をいたずらに驚かせることも避けたい。それ以前に、そもそも×印が点在する地図を見てもどれが自分の出身地なのかが分からないという者も大勢いた。最初から知らなかったのかもしれないし、忘れてしまったのかもしれない。
 そんなわけで、執着の熱量も記憶の程度もバラバラの彼らに共通しているものは"蟻"として覚醒した後のことだけである。最初こそ思い思いの方向に足を向けた彼らは、けれども日が暮れれば誰が言い始めるということもなくぽつりぽつりとかつての巣に集まり、腹を満たし語り合うのだった。


「なんつーか嘘みたいだよなァ?」

 久しぶりに足を踏み入れた巣は、見事に巣としての機能を失っていた。女王も王もいない場所でそもそも巣など必要ないのだから当然といえば当然なのだが……あの騒ぎの時に、それでもこの巣に残ることを選んだ"蟻"たちは皆どこへ行ったのか。尋ねてみても、監視役のハンターはわからないと首を振るだけだった。
 けれどたとえ"蟻"がいなくなっても。たとえここで何が行われていたかの痕跡がことごとく拭われていたところで。それでもあの日々の中で、この巣で行われていた行為までは無にはならない。
 ヒトの血と"蟻"の血をたっぷり吸った土を踏みながら、メレオロンは記憶を掘り返す……いや、元々忘れたことなどなかったのだけれど。王の誕生までずっとここで自分たち"蟻"は女王の為に生き、ヒトの身を捌きヒトを食らっていた。そして王が生まれてからは、各々の野心を胸に旅立ったはずなのに。

「それが今ごろになってよォ、こんな呑気に肩寄せ合って缶詰つついてるんだぜ? まったく、ハンター連中ってのはわけわかんねェよ」
「ほうほう、それをオマエが言うってのかい。噂に聞いていた"メレオロン" がオマエだったってことが、俺にとってはこの旅一番の衝撃だがな」
「あーそれわかるぅ!奇人"書類整理庫(レターケース)"の凄腕っぷりってある意味有名だもんねぇ。アタシのマスターもその話聞いて来たクチだしぃ。ふふふ、マスターったらおっかしいのぉ!」

 左側の角の生えた大男にベシンと背中を叩かれた。痛えだろと文句を言う間もなく、右側の女が大きな翼を揺らして笑い転げてタイミングを奪っていく。感傷とは無縁の賑やかな声に誘われて、なんだなんだと集まっていた"蟻"たちはやがてそれぞれ付き合いのあるハンターについての愚痴に花を咲かせていく。
 ただでさえ個性が際立つハンターたちの中でも更に、好き好んで得体の知れない人外と雇用契約を結ぼうという者たちである。当然、一癖二癖では到底足りない程に癖だらけのニンゲンばかりで話のネタは尽きることがない。けれど、困った呆れた堪ったもんじゃない……と嘆く"蟻"たちの表情はどこか楽しげで「それもまあ悪くはないんだけどな」と告げるものばかりである。


 女王に尽くす"蟻"の本能ゆえか、独りでは生きていけない"ヒト"の心ゆえか、それとも複雑に混ざり込んでいる他の"何か"の遺伝子ゆえか──なんて考えるのも馬鹿馬鹿しい程の勢いで、愚痴大会という殻の下から溢れ出してくる惚気はあっという間に充満しいっそうハメを外させる。
 メレオロンとしても、元来のノリの良さを前面に押し出して大いに騒いでみせたのだが、実のところ肝心のなまえについては当たり障りのない部分を多少の誇張を交えて話すくらいだった。というか、ノリでネタにしてしまうにはなまえとの蜜月はガチ案件過ぎたのだ。世話を焼くのが楽しいとか、面倒な仕事回すくせに怪我して帰ったら凄く心配するのよーうふふ、とかに紛れて「あいつの声も身体もすげェ甘いんだぜ?」なんて言えるわけがない。

 けれども本当は、そのあたりをすっぱり切り捨ててみてもなまえについて語るネタなど幾らでもあるのだ。ただ、何を話そうとしたところで結局すべて惚気になってしまうだけで。だってあんなに無茶苦茶で面倒で、なのにどうしようもなく愛らしい生き物なんて、そうそういないのだから。
 たとえば、甘える時はとことんべったりと甘えてくるなまえだが、本質的なところでは一人を好むマイペース気質だ。特に夜はその傾向が顕著で、良質な睡眠を求めて別々のベッドかクイーンサイズ以上のベッドの左右に分かれてゆっくりと休むことを好む……くせに、時折もぞもぞと横に入り込んでくるところなど本当に可愛くて堪らない。
 むにゃむにゃと寝ぼけた彼女は、メレオロンに触れるとふにゃりと安心しきった顔で眠るのだ。足を尻尾に絡めてきたり、柔らかい唇を肩に寄せてきたり。正直心臓に悪いしとても眠れたものではないし、ともすれば寝ている彼女に覆い被さりたくなるのだが、当人としてはあくまで睡眠を満喫しているらしいので……この据え膳は全力で据え膳のまま楽しむことにしている。散々くらったお預けは、朝の日差しの中で小首を傾げるなまえ相手に取り立てればいいだけなのだから。──とまあ、こんな調子では聞かされる方も堪ったものではないだろう。


  ***


 今日も夜通し続くだろう宴を遠巻きに眺めながら夜風に当たっていると、ちょいちょいと裾を引く者があった。

「ひとのこと言えねっけどさ、おめぇも相当変わったよなっ。師団長のジェイルって言やぁ、薄気味悪りぃ根暗でサドで効率重視のいけすかねぇ野郎で有名だったっつーのになぁんだその顔。にやけちまってよ、しまりねぇっ」
「酷ェなオイ。なんだよ、そんなに評判悪かったのかよ……いやまあ、知ってたけどな?」

 イノシシよりはウリ坊と呼んだ方が似合いの風体を小突けば、相手は抵抗もなくころりと転がる。こうなるとただの小さく丸い毛玉だ。ぱっと見の愛らしさだけは群を抜いているが、内面はかなりのクソ野郎だったと記憶している。けれど、言われてみれば再会からこちらゲスモードを見ていない。

「……そっか、お前さんも今はそんな感じなのか」
「そうさな。そりゃまあお互いに"いろいろ"あったんだぁ、丸くもなるさっ。けどまぁ、あんだけのことをやったってぇのに、こうして銭稼いで食って寝て生きてられんだからおいら達は恵まれとる……正直、どっかおかしいんでないかって怖ぁなる時があるさっ」

 その感情には覚えがあった。
 けれど、何か言おうにもうまい言葉が見つからない。

「おいらのとこのアネサンはさ、せっかくの"ぼーなすすてーじ"なんだから気楽に生きろって笑うんよぉ。ここまでずうっと逃げてきただけってのに、今更"ぼーなすすてーじ"言われても嬉しかないけどなっ。けどせっかくやから、今度の"最後"はアネサンに使うたろって思っとんのよっ」

 おいら"あの時"誰かを突き飛ばしたんよっ。仲間か家族か、とにかく知ってる奴を突き飛ばして"蟻"から逃げようとして、"蟻"になったらなったで死にかけの女王様を置いてって、けど王様のところでなぁんか思い出してしもてよぉ、また逃げたんさっ。逃げて逃げて逃げて、もう、逃げるってやつはやり尽くしちまったからなっ。
 吐き捨てるようだった口調は、いつしかからりと乾いたものに変わっていた。すっかり酔っ払っている元同僚を横目に、ボーナスステージなァと呟いてみる。


  ***


 どれ程見渡そうとも電気の光の一欠片も見付けられないこの場所では星がよく見える。
 どこにいても空は繋がっているからという慰めがあるが、なまえのいるスワルダニシティーではこんな夜空は望むことは出来ないだろう。

 ふうーっと吐き出した紫煙が静かに形を失い溶けていく。後に残るのはにおいだけだが、それもまた次の一服を前に霞んで消える。手持ち無沙汰で再び服を探れば、すっかり減った煙草の箱がカサカサと軽い音を立てた。そういえば、こんなに吸うのはいつ振りだろうか。


 ──あーあ。早く最終日になんねェかなぁ。

 ごくごく当たり前のようにそう口にしてしまい、一拍置いてあまりの滑稽さに自嘲する。
 郷里にいながら"ホームシック"だなんて笑い者もいいところだ。



(2016.10.03)(タイトル:as far as I know)
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